第四十四章 お屋敷町の老人

恭子がやって来たのは、ワークに参加している、お屋敷町の老人たちのことであった。
ご老体と五郎が、逆戻りした時に、彼らも一緒になる話になっていたが、あまりの急激な変化の落差が大きいから、少しワークで、頭の改革をやってからということになったのだ。
ところが、ワークでの彼らの理解力が、あまりにも乏しく、結局、マサルや他の連中と相談して、逆に、先にホームレスの実体験をした方がいいかも知れないということになったのだ。
ワークに参加している、お屋敷町の老人は12人いるらしい。
「全員来たら、15人か。ここで大丈夫かな」とご老体が呟いた。
「14人ですよ。中村はいずれ、ここから出て行きます。それなら、早く出しましょう」と言う五郎に、ご老体も恭子も同意した。
みんな、中村の言動が、信じられないのだ。表面的には合わしているが、どこかで、ちぐはぐがある。
人間という動物は、習い性があって、つい毎日一緒にいると、最初に気になることがあっても、それを毎日見ていくうちに、麻痺して何とも思わなくなる。
第一印象が、結局一番当たっているのは確かなのだ。
それと、すべての自己の言動を記憶しておくことは、人間の脳では無理だから、必ず、前に言ったことを忘れて、つじつまの合わない言動をしているものだ。
だから、小手先での、その場逃れの言動は必ず露見する。
時間を超越した一貫性がない限り、必ず天から見られているから、人間社会では、うまくやっているつもりでも、最後には、天に裁かれるのだ。
その裁きが、一番苛烈なものなのだ。
ご老体も、五郎も、この真理をホームレスになることで知ったのだ。
お屋敷町の連中は、マサルの「欲望の根源」という教材は、よくできたものだが、あまりにも、形而上学的表現が多いので、本質を理解する前に、コミュニケーションで挫折するおそれがある。
「じゃあ、恭子さん。明日から、連中をこちらに連れて来てください」とご老体が言った。
「わかりました。わたしが車を用意して、お連れします」と言った恭子の後ろに、中村が立っていた。
「よう、中村君。どこへ行っていたのかい?」と五郎が尋ねると、
「ええ、ちょっと家を覗きに行ってきたのです」と言う。
「君の家は、確か登戸じゃなかったかい。そんな遠いところまで、どうして行ったのだ?」と五郎が聞くと、
「電車に乗って行ってきました」と答える中村の、大胆というか、あつかましさに驚いていた五郎の胸に、中村は飛び込んで泣きだした。
恭子は、それを見てポカンとしていた。
その横で、ご老体は、察しがついたのか、笑っていた。