第五章 あさましい世界

日本では、自分の技能を生かして生計を立てている人間はますます減ってきている。いわゆる職人とか、芸術家といった職業の人たちだ。
欧米社会はその点では、日本よりも遥かに古い伝統を守る。しかも現代の若い人間もそれを引き継ごうという精神がある。だから日本でいう宮仕への職業であるサラリーマンは少ない。
ましてや一生同じ環境で宮仕えをする人間は極めて少ない。
ところが日本では人口の半分がこのサラリーマンだ。
このサラリーマンの最大の弱点は、技能を身につけていないことだ。
商社マンが言う、メーカーさんには技術者はたくさんいるが、技能者・職人さんは今ではほとんどいない。いたにしても、技能一本に生きる道から逸脱して処世術を身につけることに熱心で、その分、技能は低下していく。
現在の日本の会社員という職業に従事している人たちは、根の生えていない浮き草稼業の連中だ。
その中でも代表格なのが商社マンだ。
取り得というか、自分の十八番を持ち合わせていない人間の取る行動習性は、嫉妬、妬み、やっかみだ。いわゆる人の悪口をお互い言って、自己満足している、まったく生産性のない人種だ。
商社以外の業界でも総じて、その傾向はあるが、一番顕著なのが商社の業界だ。
何がなんでも、まわりの同僚を蹴落とすことで自分がのし上がっていく。
人を踏み台にすることを、能力だと思っているのが多い。
だから、虚栄の世界で、とにかく外見にこだわる。家庭でも同僚同士の女房も競い合っている、子供まで競わせて、一流の大学に入れるために過剰な教育をする。
会社のみならず、家庭まで見栄、虚栄の世界だ。
五郎の住んでいる家の隣も商社マンだ。
まだ若いが、奥さんがピアノの先生をやっていて結構な収入があるのか立派な家に住んでいる。
子供はまだ小学生だ。その子供が毎日学校から帰ってくると塾の予定がぎっしりつまっていて、家に帰ってくるのが夜の十時だ。それから夕食という。両親はそれまで、食べずに待っているらしい。
その小学生の子供が、夜中にしょっちゅう家の外で泣いていることがある。
聞いてみると、塾の試験の成績が前より落ちると、一晩中冬でも表に放り出されるらしい。
五郎が以前、夜遅くまでの付き合いで帰ってきた夜中の1時過ぎに、その子供が泣いて玄関先で立っていたのに出くわしたことがある。
あまり可哀相なので声をかけてやった。
「坊や、また試験の成績が悪かったのかい。」と聞くと「うん。」と素直に答えた。
「いつも、表に出すのは、お母さん、それともお父さんかい?」と聞くと
「両方とも。」と答えたのを聞いて五郎は驚いた。
ふつう、教育家庭というのは良く聞くが、父親か母親かどちらか一方がそうで、片方は逆になる。
それが両方というから、五郎は子供が可哀相になった。
「寒いだろうから、おじちゃんの家に入ろう」と言ってやると、
「いいの?おじちゃん。おじちゃんの家だったらママもパパも怒らないから。」と言う。
五郎は、いぶかしげに思い、とりあえず子供を家に入れてから、訊ねた。
「どうして、おじちゃんの家だったら怒られないんだい。」
子供は、ちょっと考えていたが思い切ったように話した。
「おじちゃんは、パパと同じような会社の偉い人なんでしょう、パパの会社は大東商事という会社だけど。」
大東商事はトーホー商事と匹敵する大手総合商社だ。
「ほう、お父さんは商社マンかい。だけどどうしておじちゃんならいいんだい?」
「だって、パパはおじちゃんを尊敬していて、僕にもいい学校に入って、おじちゃんみたいに偉くなるんだといつも言ってるよ。」
と答える子供を見つめながら五郎は、そんなために子供を両親がかりでスパルタ教育をして、こんなひどいことまでやる、同じ商社業界の若い社員がいっぱいいるのかと思うと、なんてあさましいことだと思ったことがあった。
その子供が今は進学中学に入っているのだが、学校でも普段はおとなしいのだが、いったん切れると考えられない残虐なことをするらしいと聞いて、五郎は同じ商社業界にいる先輩として、何か責任を感じる思いをした。
「やはり、何か狂っている」