第五十四章 たれ込み

しばらくの間、上原の落ちこぼれ道場でのんびりしていた五郎とご老体のところへ、恭子が血相を変えてやって来た。
「大変なことが起きました。前にもめた時のホームレスの連中が、マサルさんとご老体から暴力を受けたと警察に訴えてきました」
「何を言ってるんだ。あの時、渋谷警察の刑事までやってきて、チャーリーの死亡鑑識までやったじゃないか。チャーリーを殺したのは、あいつらの方で、訴えられるのはこちらではないことは、恭子さんがよく知っているだろう」と五郎が興奮して言った。
「そんなことは、言われるまでもなく分かっています。そんなことより中村さんて人は何て卑劣なんでしょう。お屋敷町の人たちをターゲットにしているんです。みなさんが、あの方たちをそそのかして、ホームレスにした、そしてたかろうとしていたと言っているんです。それを自分が阻止して助けてやったお陰で、また社会に復帰出来たんだ。と警察の中でふれまわっているんです。その尻馬にうまく乗っかって、あのホームレスの連中が共同謀議して暴力事件を訴えたのです。後ろで中村さんが全部、糸を引いているんです」
「恭子さん。そこまで分かっているなら、どうして大変なことになるのですか?あなたの父上の一声でおしまいでしょう」と五郎が言うと、
「多分、屋敷町の何人かが、中村のおどしで、警察で、我々に脅迫されたとでも言ったんだろう」とご老体が言った。
「わたしも、そう思います。父もそう言っていました。だけど屋敷町の人たちが、それを翻さない限り、警察も知らんふりは出来ないのです」
恭子は困った様子で言った。
「一体、屋敷町の誰が、そう言っているんです?」と五郎が聞くと、
「それは、警察でも明かしてくれないのです。父も知っているんでしょうけど、職制上言えないんでしょう」
そのとき、五郎は砂塔のことを思い出した。
「わたしが、調べてみましょう。ちょっと出かけます」と言って上原の家を出ようとしたら、恭子が追いかけてきて、
「どこに行かれるか知りませんが、わたしの車に乗ってください」と言ったので、五郎も、急を要する事態なので、日本橋まで行って欲しいと恭子に告げた。
「恭子さんに、ひとつ頼んでもいいかな」
五郎は、砂塔に会うつもりだったが、身なりを考えると、砂塔に迷惑をかけると思って、恭子に代理で会いに行ってもらうことにした。
恭子の携帯電話で砂塔の会社に電話した。
「もしもし、砂塔社長さんにつないで欲しいのですが」と五郎が言うと、電話の向こうで、しばらく経って、別の女性が出てきて
「恐れ入りますが、どちらさまでしょうか」と尋ねた。
「山本五郎だと言って下さい」と言うと、電話の向こう側で、驚いた様子で、
「山本さまでいらっしゃいますか。すぐに社長に、おつなぎ致します」と急に丁重な対応に変化したのに、山本は苦笑した。
「山本さんですか。本当に山本さんですか。砂塔です。今どこにいらっしゃるのですか」と興奮した様子だった。
「わたしの名前を言っただけで、急に対応が丁寧になったのには驚いたよ」
五郎が、静かな口調で言うと、
「わたしは、あなたからの電話を待っていたのです。だから秘書には、山本五郎と名のられたら、すぐにつなぐようにと言っておいたのです。一度お会いしたいのですが」
「今、会社の前にいるんだけど、お前さんに迷惑をかけちゃ悪いと思って、まず電話したんだ」
「それなら、すぐおいで下さいよ」という砂塔に、
「いや、その気持ちはありがたいが、会社に行くのはやめとこう。用件があるんだが、ここに恭子さんがいる。彼女に行ってもらうがいいかね」
「いや、それなら、わたしが出て行きましょう」
10分もしないうちに砂塔が一人でやって来た。
「いや、先だっては、あなたのお陰で。あれ以来、会社もすっきりして大掃除が出来ました。今まで、自分の損得勘定だけで山梨さんに、いい顔を見せていた連中が、急に態度を変えて、わたしのところににじり寄って来るのです。あさましいも度が過ぎますよ、連中は。それで、一つ踏み絵をしてやったのですよ。そうしたら、常に人に頼みごとはするくせに、自分が人の為にする話しになると途端に尻込みするのです。まあ、ああやって、うまく泳いでいるつもりなのでしょうが、ホームレスの経験をしたわたしには、丸見えで、それで踏み絵をしてやったのです。今度の事で、人間の本性が分かりました。何も持っていない者の方が、人の為にしてやり、ちょっと持つと、失うのが不安で、10円でも出すのが惜しいのですな。特にサラリーマンは、会社の経費を使って、自腹を切るのは、自分のことだけで、人の為には、びた一文出す気がない。こういった連中ほど、結局は損していることが解っていない、かわいそうな連中ですよ。
それを、わからせてやる為に敢えて首を切ってやりました。武士の情けです」
もう一気にしゃべる砂塔に、
「わたしは、もうそういう世界とは縁を切ったよ。それより、実は聞きたいことがあるのだが」と五郎は、事の詳細を説明した。
「それなら、多分、三人の連中です。あれ以来、社長や役員を解任された連中です。
それでやけっぱちになっていたところを中村にうまくつかれたのでしょう」
「お前さんは、その連中をよく知っているのかね」と五郎が聞くと、
「すぐ近所に住んでいる連中です。何だったら、今晩にでも行ってみますか」
「砂塔は、変わったなあ」と内心思いながら、五郎は嬉しかった。