第六章 精神的財産

この世的成功といえば、五郎もその部類に入るだろう。
金銭的財産にしても、大手総合商社の給料はかなり高い方だから、老後の経済的不安はまずない。
世間的地位もまずまずの線までいった。
しかし、無形の、自分の内面世界だけの精神的財産と言えばまったくない。
趣味は多い。しかしこの趣味がまったく精神的財産にならないことを思い知った五郎だった。
物質的財産は獲得するものだ。極端に言えば奪うものだ。もっと極端に言えば他の者から搾取することだ。
精神的財産というのは与えるものだ。どれだけ他のものに多くの喜びを与えたかが精神的財産になる。
本来、どんな人間にもこの要素は必ず持ち具えている、ただ気がついていないだけだ。
しかも、物質的財産の量と精神的財産の量とは反比例する。
そういえば、自分のまわりのものは、大半この世的成功はしている。
しかし、老後の人生を見ていると、決して満足していない。どちらかというと下降線を辿っている者が多い。
逆にこの世的には、決して成功とは言えない人間の方が老後の人生は充実して生きている。
如何に、この世的成功というものが、精神面で多くの犠牲を強いているかが五郎には少しずつだが分かってきたようだ。
「果たして、65才にもなって、これから精神的財産を築くことが出来るだろうか。」
神田の書籍店街を歩いて、何か示唆してくれる本を探しに来てみた。
結構、読書はした方だが、大きなブックショップに行くと書籍の量や種類が多いが、何か物足りない。
今までは、そういったブックショップでいろいろな流行作家の経済書とか、一見、精神論をぶった、今流インテリの本を買っては読んでいた。
しかし、以前から、こういった作家の本は、どんどん題の違った新しい本が出版されるが、結局書いてあることは、ほとんど同じことの繰り返しだと気がついてはいた。
しかし、最近の精神的落ち込み状態で、そういった作家の本をブックショップでつらつらと立ち読みしてみると、何と内容の薄っぺらな本であるか、何か非常に知識も教養もある作家だと思っていた者が実は、調べれば誰でもすぐに分かることが書かれているだけで、肝心の作家自身のオリジナルな思想がないことに気がつく。
特に神田の専門書の書籍店に置かれている精神的レベルの高い本を見て余計そう思った。
「こんなことも分からなかったのか、いい歳をして。そして流行作家の拝金主義に載せられて読んでいた本の精神的価値の低さに気がつかず、一人前の教養を身につけていると錯覚していた。馬鹿だ。本当に俺は馬鹿だ。」
「同じ会社の連中もみんな、俺と同じレベルだ。それで大企業の偉いさんだと自負して生きているのが一杯いる。こんな連中がこれからの日本の大半を占めて、超高齢化社会になったら、一体日本はどうなるんだろう」と五郎は深刻な気持ちになった。