第六十一章 本物のカジノ

そのホームレスの名はマイケルという。
デイトンから来たと言うので、ひょっとしたらアイリッシュかと五郎は思った。
アイルランド人はイングランド人の圧迫から逃れてはるばる大西洋をわたりボストンに辿り着いた。そしてそこに自分たちの町をつくった。そしてボストンで成功した者たちは、ボストンアイリッシュとしてアメリカのエスタブリッシュメントを構成して行った。
ケネディー家がその代表だ。
しかし、成功者からあぶれた者たちは、新しい可能性を求めて西へと移動していった。カリフォルニアのゴールドラッシュで拍車がかかったが、途中で挫折して住みついた町がオハイオのデイトンだった。
だから、デイトンにはボストンアイリッシュのエスタブリッシュメント達の縁者が多い。
当然、彼らの多くはハーバード大学かMITを卒業したり、そのまま大学で研究している者が多い。
五郎がどうしてマイケルをアイリッシュではないかと思ったのは、彼のしゃべる英語が完璧だったからだ。アメリカにも方言が一杯ある。東部の人間は南部の人間のしゃべっていることがほとんど分からないという。
アメリカで一番正統な英語をしゃべるのがボストンアイリッシュだ。
「What were you doing in Dayton?(デイトンで何をやっていたんだい?)」と五郎は聞いた。
「I was a Banker there. I owned a bank but it went bankrupt.
That was why I came here(銀行のオーナーだったが倒産して、ここにやって来た)」
「So are you originally from Ireland?(それじゃ、アイルランド出身?)」
「Yes I am, however I was born in Dayton Ohio. My parent was an Immigrant from Ireland(いや、俺はオハイオのデイトンで生まれたが、両親はアイルランドからの移民だ)」とマイケルは答えた。
「やはり、そうだった」と呟く五郎に、ご老体は聞いた。
「何て言っているんだ?」
「彼はデイトンで銀行のオーナーだったんですが、銀行が破産してラスベガスに移って来たらしいのです」
「銀行のオーナーだったらいくら破産したからと言っても、ホームレスにまでなることはなかっただろうに」とご老体は言った。
五郎がマイケルから聞いた話しでは、破産した原因は銀行家という職業が嫌になって意図的に破産させたらしい。
今のアメリカ経済は、かつての日本と同じバブル経済になって10年以上経つ。
バブル経済とは、マネー経済だ。
経済の本質は物づくりだ。アメリカでは、日本と違って製造業のステイタスが他の産業よりも一番高いし、賃金も一番高いから、みんな製造業の会社で働いていることを誇りに思っている。かつてのデトロイトでは、三代にわたってフォードで働いているといった工場労働者がいっぱいいた。
アメリカでは銀行というのは、両替商扱いされているのが普通だ。だから破産など日常茶飯事である。
アメリカ人で銀行に定期預金している者は皆無といってよい。銀行はお金の一時預かり場所としか考えていない。
それが、資本主義経済での正常な考え方なのである。
日本の銀行のように、銀行がそっぽを向くと、製造業がつぶれるなんてアメリカでは考えられない。
ところが、マネーゲームが10年ぐらい前から起きたのだ。そしてバブルの発生だ。
日本と違って、一般アメリカ人は直接、企業に投資する。いわゆる直接融資だ。
アメリカ経済の強みがここにあった。新しい企業がどんどん一般投資家のお金で生まれる。
日本では、新しい会社を起こして成功するのは極めてむつかしい、それは銀行から資金の融資を受けるしか道はないからだ。
日本の疲弊した現在の経済状態をつくった犯人は明らかに銀行だと断言できる。
そしてその後ろで大蔵省(今の財務省)がコントロールしている、特権階級共産主義経済なのである。ソ連が崩壊したように、現在の日本の国家形態が崩壊するのは時間の問題である。
新しいホームレスの誕生とその増加が、その象徴であることを日本の政治家は分かっていない。
五郎は、マイケルからアメリカの異常経済のことを聞いていて、
「人種や文化は違っても、人間の欲望が為せる業は結局同じだ」と思った。
突然、ご老体が、
「ホームレスの溜まり場はないのか聞いてくれ」と言った。
五郎がマイケルに聞いてみると、ヘンダーソンにあるらしい。
しかもその場所は、場末のカジノらしい。
現在のカジノと言えば、ストリップで代表されるメガリゾートホテルのカジノだが、昔のラスベガスの賭博場の雰囲気を残しているカジノがまだたくさんあるらしい。
「そこへ、連れていって欲しい、と頼んでくれ」とご老体は興奮して言った。
マイケルは、日本人のホームレスがアメリカまで訪ねて来てくれたことに感激して、喜んで、その要請を受けた。
15号線を南に向かうと、215線へのジャンクションが出てくる、その215線を東へ15分程走ると、ヘンダーソン市に入る。
ヘンダーソン市は、今や世界の自動車会社のすべてが進出して来て看板を上げている町だ。
その看板を横目で見ながら、サンセット通りを走ると、左側に「Klondyke Sunset Casino」という赤い看板が見えてきた。
「どうやら、ここが溜まり場らしいです」と五郎が言うと、
「恵津子さんは、入っても大丈夫かね」とご老体は心配したが、恵津子も興味を持ったらしく一緒に入ると言った。
マイケルに連れられて、小さなサッシのドアーを開けて中に入った。
まったく、ストリップのカジノとは雰囲気が違う。
ほとんど、泥だらけの服を来た男たちと、老人たちばかりがいる。
「わたし、やはり恐い」と恵津子が五郎のそばに寄って呟いた。
五郎も、
「ラスベガスには何度も来たことがあるが、こんな場所は初めてだ。まさにバグジーが賭博の町ラスベガスを砂漠のど真中につくったときのカジノそのものだ」と感激と不安の交錯する中で思った。