第七十章 若者の冬・到来

砂塔の会社が採用した画期的な制度改革が、経済界のみならず日本社会が抱える問題への強烈な衝撃となった。
考えてみれば、現代日本人は若者を甘やかし過ぎた。そして気を使い過ぎた。
その結果、若いことが勲章のような風潮が蔓延し、外国の人間から見たら、売国奴そのもののような若者ばかりをつくってしまった。その責任は大人たちにもあるが、問題の根幹は若者そのものにあるのだから、叩き直すしかない。泣いて馬謖を斬るしか方法はない。現実社会の反応は早かった。それまでの新入社員の採用と言えば大学卒業生とか、高校卒業生を指したが、そういった定期採用を廃止する企業が雨後のタケノコのように増え出した。そして採用対象に年齢制限がなくなり、採用対象者は募集する企業のニーズに合った能力を具えているかどうかだけで判断される。要は必要な人材を必要な時に採用する、実に当たり前のことだが、それが日本の大企業ではされていなかった。それでも経営が出来たのは、経営者の器量ではなく、日本の経済メカニズムが可能にさせていただけであったのだ。そういう点では自由競争原理などまったく働いていない国家資本主義国であった。日本株式会社と西欧資本主義諸国から言われた所以である。資本主義とは資本家・投資家・株主中心の考えである。しかし日本の場合の株主は資本家ではないのだ。資本家は国家すなわち行政で、それに群がるダニ集団が政治家である。一般国民は政治家に陳情する。政治家は官僚に陳情する。だから霞ヶ関に行くと、並の代議士なら次官は雲の上の存在で会うことさえままにならない。せいぜい部長までだ。大物代議士で局次長に陳情する。大臣になってはじめて次官と話が出来る。
大企業の社長でも、課長程度しか会えない。
また官僚もそのつもりでいるのが、この国の末期症状を表している。ある省の局次長に、超大企業の社長が面会に行ったら、会うことは会ったが、その後、課長から「今後、民間企業の人間は、如何に大企業の社長でも、面会は課長とするようにして欲しい」と苦情の連絡があったという。
この国の大株主は官僚であるのが実体である国家資本主義なのであり、一般株主は、小作農家の百姓と思われている。水呑み百姓と一般国民のことを言っている官僚がいくらでもいるらしい。
大企業もそういった官僚に内心では不快感を持っているのだが、いろいろな許認可や国税のいじめが怖いから、言うことを聞いて、天下りを受け入れてきた。
しかし所詮、社会というのは力のバランスで成り立っている。
国家財政の数百兆円もの赤字は、行政の力を削いでいった。
民間企業も国税のおこぼれを頂戴するメリットがなくなると、行政の言うことを聞かなくなる。
砂塔の会社も、典型的なお役所ご用達企業として長年、天下りを受け入れながら、日本株式会社のメンバーとしてやってきた。
ところが、それではやっていけなくなってきたのだ。砂塔は、行政のしっぺ返しを覚悟で、本来の自由競争原理に沿った企業体質への変換を図ったのである。
定期学卒新入社員の採用制度がなくなると、大学の存在価値がまったくなくなる。
日本の大学は就職予備校がその実体であった。良い予備校からは良い会社や役所に入れる、だから必死に受験勉強をして、大学の卒業証書をもらうためだけに行き、その間は、やりたい放題、遊び放題。採用試験の4年生になると、優等生ぶって会社まわりをする。
そのラインからはずれた若者は、すねて犯罪に走る。
親たちは、そんな子供にギブアップして放置する。
こんな国は、国家の体を成していない。
しかし、企業のこの変化は大学やその学生に、大きな衝撃を与えた。
今まで、親たちの年代や老人を馬鹿にしてきた彼らが、その親たちや老人の世代と競争をしなければならなくなったのだ。
もともと、だらしなく、自信などない若者だけに、急に焦りだした。
学校を卒業したら、親はもう面倒は見ない。自分で働かなければ食っていけない。
ところが、働く場所を確保するために、猛烈な競争に勝ち残らなければならない。
若者の冬の時代が本格的にやってきたのだ。