第七十四章 危うし日本

15年以上も続いた経済の疲弊を、高齢者の発奮という思いもかけなかった出来事で何とか回復は出来たものの、それは国内市場を活性化するもので、日本に対する世界のイメージは依然、奇妙な国のままであった。
世界では、資本主義 VS 共産主義の決着は20世紀についていたかに見えたが、実際には資本主義が勝利したのではなく、共産主義が自滅しただけであったのだ。
資本主義の破滅も時間の問題であったが、ただ共産主義が先に倒けただけのことである。
資本主義の先頭を切っていたアメリカにしても、資本主義がこのまま維持出来るとは思ってもいなかった。いずれは共産主義の盟主であったソ連が消滅したように、資本主義の盟主のアメリカも同じ運命を辿ることを認識していた欧米諸国は、新しい経済メカニズムを20世紀が幕を閉じようとしていた頃から模索していた。
資本主義がもう終焉を迎えようとしている頃、日本は国家資本主義、すなわち官僚支配社会主義を頑迷に守っていた。中国が同じ官僚支配主義を採っていたが、日本は市場を無視した社会主義であったのに対し、中国は市場社会主義という、訳の分からない政策を採っていた。要は官僚の特権は維持するが、市場メカニズムは資本主義であった。結局資本主義国家であるのだ。一方日本は完全に官僚がコントロールしようとする市場統制社会主義国家が実体であったのだ。
だから、バブル破裂の後も、官僚がコントロールして景気を回復させようとした。
景気のメカニズムは市場のメカニズムと連動していて、人為的に操作できる代物ではないのに、人為的に操作しようとしてソ連が失敗していることを、未だに日本はやっているのだ。
一方、世界は新しい経済メカニズムを志向している。
このギャップはあまりにも大き過ぎる。
日本の経済界の指導者たちや経済評論家は、日本の物づくりは依然世界のトップであり、この技術力がある限り、日本丸は沈没することはないと高を括っている。
しかし、21世紀は地球から宇宙へ翔く世紀だ。アメリカでは、月に人間を送り込んだ1968年時点で、宇宙で物づくりをすることを考えていた。
当時、精密機械部品であるボールベアリングは日本メーカーが世界を席巻していた。
その時、精度の命綱である、鋼球(ボール)の製造を宇宙で試作していたのである。一時期、宇宙工場のレンタルをアメリカのNASAを中心にPRしていたが、突然消えてしまったかの様子だったが、実はこれは国家戦略に関わることであるからという理由で、世間に出ないようにしてしまったのだ。
確かに、手先の器用な日本しか作れない物はたくさんある。そんなことは、彼らは百も承知だ。それを指をくわえて見ているような国だと思っているとするなら、傲慢なのは日本の方にあると言わざるを得ない。
これから技術力がものを言うのは、宇宙技術を基本にしたものである。まだ人間を乗せた宇宙船すら打ち上げることの出来ないのが日本の技術レベルだ。
今は亡き、ソ連が人工衛星に人間を乗せて宇宙へ打ち上げたのは半世紀前だ。
それを、日本はまだ出来ないのである。その日本が物づくりでは世界一だと思っている。思い上がりも甚だしい。
高齢者が社会に復帰はしたが、これからが正念場なのだ。
「このままでは、日本は危ない」
ご老体と五郎は、真剣にそう思った。