第八章 驚くべき洞察

家で早速、日本語訳の本から読んで見た。
いろいろな本を読んできた五郎だったが、こう言った精神世界を言及した本は一度もなかった。ほとんどが経済書か「How To」 ものの類ばかりで、それも仕事に関係するための知識吸収を目的とするもので、なんの目的もなく、ただ精神の向上のために読書するような気持ちを持ったことはなかった。
本を読み出す前から、もう既に自分の今までの読書に対する姿勢に恥じらいの感を持っていた。本に圧倒されているのだ。
この本がとてつもなく大きく見え、その本の前にいる自分が何と卑小な存在であるかといった敗北感にも似たコンプレックスだった。
あの忌まわしいゴルフ事件で味わった屈辱感は、人間のあさましさに対する不快感が疲れの取れない気だるさとして体を襲ったが、この敗北感は心地のよいいさぎよさがあった。
同じネガティブな思いでも、一方は心地のよいもの、他方は気だるい不快感。
この違いの原因は一体何なのか、五郎には分からなかった。
本は最初から読んでいくものだが、どうしても五郎にはこの本の第四章の「実在に対する信頼と信念」に惹かれて、この章から読み出した。
そして最初の文章から思考がストップして前に進めなかった。
「信頼はすべてのものに対して自己放棄することだ。信念はすべてのものに対して自己執着することだ。信念の本質は他人のみならず自己に対しての欺瞞であり、信頼の本質はすべてのものに対する愛である。」
この説明に対して五郎はまったく理解出来なかった。ひとつひとつの言葉は知っている。日常でも使う言葉だ。しかしここで表現されている真髄は何なのかまったく分からなかった。
この三行の文章で、もうこれ以上進むことが出来なかった。
今までの彼の読書スタイルでは、すでに10ページ以上進んでいるはずだ、それなのに、まだ三行で止まったままだ。
「一冊の本を一日で読み切ることが出来たのに、何と一日掛かって、三行の文章すら消化出来ない。この本一冊読み切るには何年もかかる。」と五郎は思った。
今までの彼なら、もうごみ箱行きになっているか、書斎の本棚に読みもしないのに飾ってある見栄の一冊になっていた。
しかし、退任してからの屈辱感に少し抵抗力が出来てきた五郎は、ここで諦めなかった。諦められなかったと言った方が適切だろう。
「信頼が自己放棄、信念は自己欺瞞。一体どういうことだろう。」五郎は、深遠なるものを感じるが、一体どこまでの深さなのか想像すら出来なかった。
「これは、自分独りではとうてい無理だ。誰か師と仰ぐ人がいて、その師に導いてもらうしかない。」
しかし、五郎のまわりにいる人間は、ほとんどこういった世界にまったく無縁の本当の意味での唯物主義者ばかりだった。
「俺の生きてきた世界は、偽善と利己主義の坩堝だった。底なしの沼に足を突っ込んだままで何十年も、あえぎ、悶えながら、しぶとく生きてきただけの人生だった。このまま死んだら何も残せるものはない。」
この作者の三行に吹き込んだ洞察に、驚かざるを得ないと共に、この世的成功などまったく価値がない実感が五郎の心に湧いてきたのだ。