一期一会  十一の日

わたしは、今何をしている時が一番楽しいかと申しますと、こうして湧き出て来る想いを文章にする。
そして、そのあと散歩に出かける。
何十年も続けているけれども、冬の季節に入ると、まだ外は暗くて寒いので、正直言って辛い。
しかし、汗を掻いて戻って来て、シャワーを浴びてすっきりして、いつも瞑想する部屋に入るのですが、このあたりから清々しい気分になっていき、ちょうど外も明るくなっており、部屋から外の緑の竹林が見える。
そうすると、桃源郷の気分に入っていきます。
瞑想が終ると、朝食をとって、自分の部屋に戻る。
ここからが一番楽しい時間がやってきます。
今さっき書いた文章を、今度は読者の立場で読むのです。
この時が一番楽しい。
プロの料理人が、新しい創作料理を考え、造りあげたものを、試食した結果が満足できるものであった時の喜びと同じものだと思います。
やはり、わたしたち人間は創造することに、大きな喜びを感じるようであります。
仕事であっても、創造的な仕事をしたら大きな喜びを感じるでしょうが、わたしは、執筆をしているのを仕事だと思ったことは一度もありません。
道楽とも思ったことはない。
心の深い所から突き動かされるような衝動が、その原動力で書いているだけであります。
これを仕事だと思ったら、多分飽きてくるし、また湧き出て来ないと思います。
絞り出す気分では、創造的な作品は生まれないと思います。
そうなったらもう書くことを止めます。
それでも続けるなら、仕事になってしまいます。
仕事とは、その字の如く、事に仕えるものであって、自分が事をするものではない。
自主性が無いから、すべてとは申しませんが、創造的なものにはなり得ないと思うのです。
生きる糧を得るためにする行為は大事なことであり、それを怠ることは、生きることを放棄しているわけでありますが、それは生き物すべての基本であります。
人間は、唯一考える生き物であるが故に、それだけでは生きている充実感を味わえないようになっているのです。
考えることが、創造的な活動になって初めて、考える生き物の価値が発揮される。
ところが、ほとんどの人間は、考える処で止まってしまって、結局他の動物と同じように生きる糧を得る活動だけで生きているようです。
そうなると考えることが返って障害になってしまう。
それが悩みや不安の原因となっているように思えてなりません。
考えるということは知識の蓄積となります。
知識を蓄積するだけで行動に移すことをしないでいると、知識そのものが行動する障害になると、わたしが常に強調している理由がここにあります。
考えたことをある程度蓄積する、すなわち醸成する期間は必要ですが、それを過ぎたら、今度は行動するということで消化しなければならない。
この循環をすることで、初めて考える力が発揮されるわけで、考えるばかりで、知識を蓄積ばかりしていると、お金をたくさん持っている人ほどケチ臭くなっていくのと同じで、お金の本来の意味、すなわち使う為にあるという本義を忘れてしまうことになるのです。
行動するために知識が要るのであって、その為に考えるという本義を忘れては、せっかく人間だけに与えられた宝の持ち腐れになってしまいます。
考えることの少ない人は、やはりもっと考えるように努力しなければならない。
考えることが出来るようになった人は、行動をすることに努力をしなければならない。
その時大事なことは、考えることによって得た知識を捨てる勇気がないと、行動することが出来ない。という真理を理解しておかなければならない。
努力する。そして努力して得たものを放棄する勇気を出す。
その代償として生きる喜びが得られるのではないでしょうか。