一期一会  十八の日

お釈迦さんが開祖の仏教には、膨大な量のいろいろな経典が、お釈迦さんの教えだとして残されています。
しかしほとんど−わたし個人の考えでは、お釈迦さん自身が残した経典などは一つもない、多分弟子に口頭で教えただけだと考えています−のものは、後代の人間が書いたもので、お釈迦さんの本当の教えとはまったく無縁なものだと思いますが、その中で中道の精神という教えがあります。
多分、これはお釈迦さんの教えの根幹を成しているものだと考えていいのではないでしょうか。
如何に偉大な開祖でも、教えの根幹は、そんなややこしい複雑なものではない。複雑にするのは、大乗的にするため、つまりビッグビジネスにするための方便であるわけです。
多くの人間を信者にするためには、それこそいろいろ多種多様な考えの人間を纒めあげなければならないのですから、大企業になりますと社是があり、綱領があり、就業規則を設けて、全従業員に対するルールが必要になってくるのと同じであるわけです。
国家を考えてみても、憲法が社是(国是)であり、綱領であるのです。そして就業規則が法律と言っていいでしょう。
日本には昔から、国是があり、県是があり、市是があり、郡是があり、村是があり−余談になりますが、グンゼという繊維関係の会社があり、今でも本社は京都府綾部にありますが、創設者の波多野さんという方が、当時の綾部郡の郡是を社是にして興した会社であったから郡是株式会社となり、それが今のグンゼであるのです−社会を構成する組織には守らなければならないルールが必要であったのと同じで、大乗的宗教にもルールが必要で、それが教義となって膨大な経典になっていったのだと考えられます。
開祖が言いたかった、教えたかったことは、実にシンプルなことだと思うのです。
しかし、お釈迦さんという方は、実に知的な頭脳を持っていたようで、イエスのように、『信ずれば救われる』といったような観念的な教えではなく、世の中は、実はすべて無である空であるといったような、一般の人たちには、俄かに理解出来ないような難解な教えをしたようであります。
一般の人にとって、物理学の相対性理論などは、余程専門的に勉強をしないと理解できないのと同じように、当時においては極めて難解な科学的な教えをしたように思うのです。
だから、無や空の理論だと言われているのではないでしょうか。
わたしからみれば、無や空の理論は、正に現代量子論そのものであり、お釈迦さんの知的レベルが如何に高いものであったかを証明するものだと思っています。
その無や空の理論の実践版が、中道の精神の教えだと思うのです。
要するに偏った考えをしないこと。それだけであります。
その中道の精神の、教えの核になるものに、八正道というものがあり、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定と言って、つまり正しい見解、決意、言葉、行為、生活、努力、思い、瞑想をするようにと教えているのですが、このあたりになるとお釈迦さん直々の教えかどうか怪しくなってきます。
まず、偏った考えをしないことが、やはり教えの核になっていると思います。
しかし、現実に生きている世界で、偏らない生き方をすることほど難しいことはありません。
人間の自我意識−つまり日頃みなさんが、自分が、自分が、と思っているものです−と言うのは、常に偏った状態でないと存在できない代物なのです。
常識的なみなさんは、偏った生き方をしていないと、自信を以って言われるかも知れません。
わたしなどは、非常識極まりない輩でありますから、はなから偏った人間だと思っています。
しかし、そんなわたしと、常識的なみなさんとの違いは本質的な違いではなくて、程度の差だけであることを認識して頂きたいのです。
わたしは、際立って偏った人間です。
みなさんは、少し偏った人間であるだけのことです。
偏っていない生き方をしている人など、まあ周りを見渡してひとりもいらっしゃらないでしょう。
みなさんも、わたしも、中道の精神にちょっとでも近づくべく、日々邁進してゆきたいと、際立って偏ったわたしが言っているのです。