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一期一会 十九の日 本日は、幸せな気持ちと不幸せな気持ちの違いについて、お話したいと思います。 幸せな気持ち、不幸せな気持ちと申しましたが、厳密には気持ちではなく気分であることを、まず理解してください。 気持ちというのは、そう思う対象がある場合に持つ想いであります。 あの医者はどうも不愛想な奴だ。 あの弁護士は嫌味な奴だ。 といった想いを気持ちといいます。 気分というのは、気持ちの対象をもっと分散させて、想う対象を不特定多数のものにした場合の想いであります。 幸福感、不幸感というのは、実は具体的な想いではないのです。 「いや、好きな男性から、自分のことを好きだと言われて、今は幸福の絶頂です」 「あの守銭奴の爺から、耳が腐るような話を聞いて、今は不幸感でいっぱいだ。 これは、ちゃんと対象があるではないか」と言われるかも知れませんが、そういうのは、喜びや怒りであって、頭で考えた結果であるのです。 つまり、やはり思考であるわけです。 幸福感や不幸感は思考ではありません。 体全体で感じる気分であります。 思考であるなら、思考で変えることが出来ますが、体で感じる気分というものは制御出来ないのです。 勝手に湧きあがってくるのです。 しかし、ここでよくよく考えてみなければいけない−感じる話をしているのに、よく考えなければいけない。人間の精神が分裂している最たる例でありまして、知的である故の人間の宿命であります−ことは、気分というものは、気持ちの分散したものであると申しました。 分散するということは、集中していないということに他ならない、つまり意識していないのです。 意識していないから、自己認識はない。 そうしますと、幸福や不幸を感じているのは一体誰なのでしょうか。 動物は自己認識がないから、幸福感や不幸感など持ち合わせておりません。 従って、幸福とか不幸と感じて−思っているのではありません−いるのは、あなた自身ではないのです。 あなたに一番身近いまわりの雰囲気であるわけです。 ここの処が非常に微妙なので、よくよく頭の汗を掻いて頂きたい。 熱い夏の日の炎天下で汗びっしょりになっている所から、冷房の効いたビルの中に入ると、気分の悪い汗がさっと引いて、ほっとします。 その時、あなたは幸せを感じるのです。 自分自身は何も変わっていない、周囲の環境が変わっただけで、気分が一変する。 実は、幸福感や不幸感は、環境が変わるだけで自分は何も変わっていない状況で起こる気分の変化のことであるわけです。 もう一度言いますが、気分の変化であるのです。 悪い気分から良い気分に変化したら、幸福を感じる。 良い気分から悪い気分に変化したら、不幸を感じる。 ということは、幸福を感じないと不幸を感じることは出来ないということになります。 不幸を感じないと幸福を感じないということにもなります。 しかし、あなたはこう思っている。 幸福は歓迎だが、不幸は御免蒙る。 これは不可能なことです。 幸福は大きければ大きいほど良いが、不幸はできるだけ小さい方が良い。 これも不可能なことです。 従って、本日みなさんに申し上げたいのは、幸福を求め、不幸を避けるような不可能なことは今後一切しないと決意することが肝要だということであります。 この殺伐とした日本の現状では、「お金さえあれば、すべては解決できる」「すべてとは断言できないが、やはりお金があれば、大抵の問題はなくなる」と考えていらっしゃる方が大半だと思います。 しかし、そんなことで幸福がやって来たり、不幸が去って行ったりするものではないことを、ここではっきり肝に銘じておかなければなりません。 幸福を追いかけ、不幸から逃げようとしてはいけません。 そんなものは、元々あなたには関係の無いことです。 近代哲学の創始者デカルトが言っております、「我思う。故に我あり」でありまして、「我幸福に思う。故に我不幸に思う」であることを理解して頂きたいと思います。 |