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一期一会 二十二の日 人間の想いの中で、最もネガティブなものである嫉妬心−つまり妬み・嫉み−についてお話してみましょう。 自分よりも優れているものに対する羨ましい気持ちから生じる憎しみの心を言います。 嫉妬心とは、別に男女の間だけに潜む想いではなく、人間同士の間にあるエネルギー場の大きさの違いによって生じる物理的作用であることをまず理解して欲しいと思います。 十人十色と言いますように、すべて人間は固有のものであって、まったく同じ人間はこの世にひとりもいません。 従って、それぞれ固有の人間が持つエネルギーの大きさも違います。 「神はすぐ傍」で書きました、宇宙に存在−実在するという意味ですが−するすべてのものは質量があり、それは取りも直さずエネルギー場を持っていることに外なりません。 わたしたち一人一人、固有の肉体があり、固有の想いがあるわけで、肉体の重さ、すなわち体重と、想いの重さ、すなわち想念の強さを総じたのが、それぞれの人間が持つエネルギー場であるのです。 肉体の重さである体重だけであれば、まったく同じ重さの人間はいくらでも存在するのですが、想いの重さがまったく同じ人間は存在しません。 ただ、想いの重さをゼロにすることは可能でありますから、そうなれば同じエネルギー場を持つ複数の人間が在り得る。 しかし、普通の人間は想いの重さをゼロにして生きることは出来ません。 従って、エネルギー場の大きさには必ず差があるわけです。 エネルギー場に差があれば、そこに必ず流れが生じます。 水が高い処から低い処に流れるのはエネルギー場の大きさに差があるからです。 そして必ず大きなエネルギー場から小さなエネルギー場へ流れていきます。 ところが嫉妬心という想いは、小さなエネルギー場から大きなエネルギー場へ向かおうとする実際には在り得ない、ただ観念だけの産物であるのです。 しかし観念も想いでありますから、エネルギー場を持っています。 しかしこのエネルギー場は、川の水の流れに逆行しようとするようなものですから、結果的にはより低い処へ流されるのですが、それに逆らおうとする。 こういうエネルギー場をネガティブなエネルギー場と言うのであって、物理学用語ではエントロピーと言われているものです。 エントロピーとは、一旦使用したエネルギーのことで再使用出来ないエネルギーだと定義されていますが、厳密にはそうでなくて、元々あったエネルギー場に戻ることは出来ないということを意味しているのです。 高い処から低い処へ流れた水が、再び高い処へ戻ることは出来ないわけです。 しかし、もっと低い処があれば、更に流れは続きます。 従って、ネガティブなエネルギー場であるエントロピーとは、流れに逆行しようとする、在り得ない、すなわち不可能なことを可能にしようとする観念のエネルギー場であるのです。 嫉妬心とは自分よりも優れていると思うものに対する羨ましい気持ちだと申しました。自分よりも上と自分で勝手に思って、勝手に羨ましがって、そして勝手にその対象を憎む想いであります。その実体は、比較する対象など一切無い自分独りだけの世界であるのに、勝手に自分を低い処の目線に置き、実体の無いものを高い処に置き、そこへ流れていこうとする実際には有り得ない、観念だけのエネルギー場であるのです。 従って、観念だけのエネルギー場とは実体のないものであるということを理解すると、嫉妬心を持たない人間になれるのです。 理解すれば、すぐに消えて無くなってしまうのが、観念だけのネガティブなエネルギー場の特性であることをしっかりと理解して頂きたいのです。 肉体の持つ体重というエネルギー場があるから、想念場というエネルギー場が存在出来るのであって、観念だけのエネルギー場なんて在り得ない。 さきほど、想いの重さをゼロにすることは可能であると申しました。 肉体があるから想いがある。 想いがあるから流れがある。 すべてのものはこの原理に則しています。 地球という肉体を持つから、地球には意識がある。 意識があるから、流れる、つまり動いているのです。 地球が爆発して消滅したら、意識も無くなり、従って運動もそこには無い。 人間も同じであります。 だから、想いの重さをゼロにするということは、肉体の消滅つまり死ねば可能なわけです。 嫉妬心というのは、生身の肉体で覆われた想いのエネルギー場がある限り、必ず生じる観念だけのネガティブなエネルギー場であり、そのことを理解すれば、すぐに消えて無くなってしまうものであります。 |