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一期一会 二十三の日 昨日は、人間の最もネガティブな想いである嫉妬心についてお話しました。 そこで、なぜ嫉妬心がそんなにネガティブな想いであるのか、もう少し掘り下げてみたいと思います。 写真の現像にネガとポジというのがあることをご存知でしょうか。 写真機で写したフィルムを現像しますと、被写体と明暗が反対になっている現像フィルムのことをネガと言います。もちろんネガティブの略語です。 このネガを焼き付けしますと被写体と同じ明暗と色彩の写真ができ上がりますが、この写真をポジと言います。もちろんポジティブの略語です。 なぜ、このような話をするのかと申しますと、ネガティブなことと、ポジティブなこととは、丁度正反対の性質でコントラストを成している関係にあることを言いたかったからです。 嫉妬心がネガティブな想いと言ったのは、嫉妬心という想いが向けられているのは、嫉妬心の対象となっている被写体なのですが、この被写体とは明暗が反対になっている。それでは明暗とは何かということなのですが、ここで嫉妬心の想いとは、"自分よりも優れているものに対する羨ましい気持ちから生じる憎しみの心"ということを思い起して欲しいのです。 "自分よりも優れているものに対する羨ましい気持ち"が明の部分で"憎しみの心"が暗の部分であり、正にその明暗のコントラストを成しているのが嫉妬心の正体であるのです。 そしてネガは被写体つまり嫉妬の対象となっている相手という実体とは明暗が反対となっている。 これは何を意味するかということをよく理解しなければなりません。 ネガティブな想いというのは、常に明暗が反対になっている。ということに注目しなければなりません。 ポジティブな想いというのは、明暗がそのまま写し出された写真であります。 いわゆる現像フィルムであるネガと写真であるポジこそが、人間が持つネガティブな想いとポジティブな想いの実態を写し出しているのです。 嫉妬心がネガティブな想いであるのは、対象となる相手と、想う自分との間にある明暗が反対になっている現像フィルムであるところが、重大な問題であるのです。 結局、嫉妬心という想いの中にある明の部分、つまり羨ましい想いは相手に対してであり、暗の部分、つまり憎い想いは自分に対して向けられているのが、その正体であるのです。 憎しみの想いを焼き付けて傷を付けているのは、嫉妬心を燃やした相手ではなく、嫉妬心を持った自分に対してであることに気づかなければなりません。 結局の処、嫉妬心を燃やすと、その炎で火傷をするのは、あなた自身であることに気づいて欲しかったからであります。 嫉妬心を燃やせば、結局嫉妬という燃える炎の中で焼失してしまうのは、嫉妬を燃やした他ならない自分であるのです。 ポジティブな想いというのは、明暗・色彩がそのまま写しだされたものでありますから、わかり易い。 問題は、ネガティブな想いというのは、一見、相手に対する想いのように勘違いし易い性格を持っている。 明暗が実体とひっくり返って反対になっているのが、その原因であります。 ネガティブな想いを持つと、結局は、その想いの暗の部分は他人に対してぶつけられるのではなく、他ならぬ自分に対してぶつけている結果になるのです。 嫉妬心というネガティブな想いを抱くと、相手に対しては、単に羨ましいと思うだけで、憎いのは自分に対してであり、嫉妬心が強ければ強いほど、憎しみの想いは自分にぶつけられ、ますます自分の傷を大きくするだけなのです。 ネガティブな想いは、相手に対してではなく、自分に対して極めて危険な想いであるのです。 |