一期一会  二十四の日

嫉妬心についての話が二日も続くと、心が暗くなってきます。
そこで、今日は感激する、感動する心のメカニズムについて、お話してみたいと思います。
まずその前に理解しておくべき基本的なことについて、少し説明しておきましょう。
人間の感情は、すべて喜怒哀楽が基本にあることを把握しておかなければなりません。
喜怒哀楽については、「神はすぐ傍・Part III 時間からのメッセージ」のメッセージ34で、時間が人間に対して送ったメッセージの中で言っています。
想いのエネルギーは、ほとんど喜怒哀楽という感情によって発散若しくは抑圧されたものであること。
更に、その想いのエネルギーは嫉妬心の話のところでも申しましたように、実体のない観念だけのエネルギーであること。
それは、結局の処、時間という流れの中で、今、ここにしかいることが出来ない自分であるのに、過ぎ去ってしまった過去や未だ来ぬ未来に想いを馳せた結果の、どうすることも出来ないジレンマ・フラストレーションであるのです。
従って、喜怒哀楽はすべてジレンマ・フラストレーションというネガティブなエネルギーの流れ−実際には観念だから実在のない流れ、すなわち自然の流れに逆行しようとする想い−がその背後にあることを理解しておく必要があります。
そこで、感激する、感動する心のメカニズムについて説明していきましょう。
あなたが感激する、感動するのは、どういう状況の時でしょうか。
あなたが一般的に言う感激・感動というのは、本当の意味での感激・感動ではないと思います。
あなたの頭脳が思考する過程の中で、何かに引っかかった時に感じる想いであるのではないでしょうか。
普段考えているあなたは、まるでオートメーション機械のように、無意識の内に考えていることがほとんどです。
勝手に思考が働いているのです。
最近よく聞く言葉に、プラスチック人間という、まるでロボットのように心が無く、プログラム通りにしか考えられず、行動様式も意思がないロボット的な人間が、特に若い人たちの間で激増しているようです。
まるで空っぽの人間と話しているような感じがします。
死んだ人間が口を聞き、体を動かしている、まるで幽霊のような気持ち悪さを感じるのが多い。
そういう人たちは、実際には思考しているのではなく、犬が嬉しいと尻尾を振る、食べ物を見ると、涎を垂らすのと同じで反射神経で反応しているのです。
何故そうなっているのかと申しますと、犬に躾をするのと同じことを、ずっと親や学校やテレビによって為されてきた結果であります。
犬を家に置いて、みんな出かけ、そして帰って来ると、留守番をしていた犬はいつもよりも興奮して飼い主を大歓迎します。
嬉しくて感激しておるのです。
みなさんが感激・感動しているのは、この犬と基本的には同じ反応であるのです。
いや、そんなことを言ったら、犬が気を悪くするかも知れません。
「馬鹿にしないでください!わたしは心の底から主人のことを心配していたんです。だから無事に帰って来たので感激しているんです」
と犬殿から文句を言われるでしょうか。
近頃の犬と人間の関係を見ておりますと、人間同士の関係より、より人間的なように思えてくるのは、わたしだけでしょうか。
脱線しましたが、プラスチック人間が激増している我が国では、ほとんどの人間が毎日、ロボットのように生きている、思考を忘れて、惰性で生きているのではないでしょうか。
「思考することをやめなさい」と主張しているわたしが言っている感激・感動というのは、思考を超えた処にある、えも言われぬ境地のことであります。
しかしプラスチック人間の感激・感動というのは、日頃ロボット的に、犬の感情レベルにすら至っていない人間が、思考のない中で、ちょっとした引っ掛かり、犬でたとえれば、食べ物を見せられて、涎を垂らしておる心情と同じだと思います。
それを感激・感動と勘違いしているところに、わが国の無関心国民の実体があるように思えてなりません。
嘗てのヨーロッパで興った、人間復興のルネッサンスが、今この国には必要なのではないでしょうか。
ルネッサンスは芸術・科学を通して、宗教が幅を利かした中世世界の呪縛から人間を解放し、宗教改革、産業革命へと繋ぎ、近代社会の礎をつくりました。
彼らは、芸術、科学に自由を求めたのと同じように、わたしたちは近代工業社会の効率第一主義・利益第一主義の呪縛から解放され、真の自由を獲得する方法を模索しなければなりません。
その為にも、本当の感激・感動を思い出さなければなりません。