一期一会  二十五の日

あなたの臍の緒を確かめましたか。
わたしは、亡くなった親父が、こういう事には滅法神経を遣う人間でして、わたしが小学生の時に、桐の箱に入った臍の緒を見せてくれ、生まれた日のみならず時刻まで書かれてあり、そして同じ包みの中に命名した理由、生まれた年月日・時刻から字の画数との関わりまでが詳細に書かれてあります。
また出産した時の状況、オギャーと泣いた時の力強さまで述べられており、つい最近見直してみて、まるで前世からの引継がれて来た状況を垣間見た気がしました。
親父は明治の人間で、わたしのような戦後昭和生まれの人間とは、まったく人種の違う日本人だったように思います。
まるで価値観が違うのです。
98才で、いつものように床に就いて眠りに入り、そのまま往生しました。
生前は、変わった親父というイメージがありましたが、憶えているのは、わたしが中学生の頃から、早朝5時に起きて運動をする慣習を始めて以来、何も言わなかったですが、わたしのやりたい事には、お金に糸目をつけず、やらせてくれました。
一時期、器械体操に凝ったことがありましたが、本格的な鉄棒のみならず、吊り輪まで、家の庭に設置してくれたこともあります。
それは、わたしの何事にもチャレンジする姿勢と、小学生の頃から、床に就く時、必ず自分の衣類をきっちりと枕元にたたんで寝る癖を、誰にも言われず始めた処に注目していたのだと思います。
あの頃から、神の存在など考えるべくも無かったが、何かとてつもない大きな存在があることを感じていたからだと思います。
思いだして見れば、それは親父から、臍の緒を見せてもらい、説明してもらった時から、そんな少年に変わっていったようです。
無意識の内に、臍の緒に記録されている前世とを繋ぐパスワードを知ったからかもしれません。
アガスティアの葉に、自分のすべての前世のみならず、将来のこともすべて書かれてある話の本を読んだことがありましたが、正に臍の緒はアガスティアの葉のようなものではないでしょうか。
考えてみれば当然のことなのですが、十月十日間、息もせず、食することもなく、母親の胎内で生きており、その母親との命綱が臍の緒であり、晴れて母親から独立して、この世に放り出される時に、命綱である臍の緒を切られるのですから、如何に大切なものであるか自明の理であります。
また母親の心臓の動悸を臍の緒を通って聞いていたのですが、これが体内(胎内)時計のカチカチという音に呼応していたことが良くわかります。
個人差がありますが、動悸のリズムは基本的には秒刻みと同じであります。
母親の胸に抱かれると、赤ん坊はすぐ眠りに就くのは、胎内にいた時の動悸が胸から聞こえるからで、生まれ故郷に帰った安心感があるからです。
この赤ん坊体験を、人間は一生引きずって生きていきます。
そのルーツを知らずして、人生を精一杯生きることは出来得ません。
臍の緒を見つけられなかったら、少なくとも、自分が産まれてから3年間の、消えてしまった記憶を取り戻す作業をしてみることです。
わたしは、毎朝、瞑想をしています。
瞑想などと大袈裟なものではなく、体と頭脳を動かし,汗を掻いた後、心身共に清める想いで、ただ静かに座るだけです。
その時が、一番静寂の中の暗闇と沈黙の世界に没入できるのです。