一期一会  二十七の日

「日々是好日」という言葉があります。
その字の通りの意味でありますが、これがなかなかこういう心境で日々を暮らすことが出来ずに、「日々唯過日」で生きているのが、我々凡人であります。
わたしも55才になりましたが、一日が過ぎるのがとにかく速いのには、唯々驚くばかりです。
以前に、「暮らす」ということについてお話しましたが、暮らしている感覚は無く、唯々過ぎ去って行く感じのようです。
特に、この3年ほどは、ほとんど日本におらず、例のニューヨークテロ事件までは、アメリカを中心にいましたが、あの事件以後はヨーロッパに拠点を移した生活スタイルもあって、あっという間に過ぎてしまった感がします。
人生なかなか捨てたものではないと、最近つとに思いますのは、持病が年々進行して、体調を崩してからは、日々を唯過す生き方から、暮らす生き方に変えたのですが−変わらざるを得なかったのが現実でしたが−暮らすということの意味を本当に知ったように思うのです。
日々を唯過すと、時間の経つのが速いのですが、日々を暮らしていますと、やっていることは同じであっても、感じる自分が瞬間毎に違っていることに気がつくようになって来ました。
ちょっとしたことに感動する自分がいる。
毎朝、散歩していましても、今までは、唯決めたメニユーを消化することばかりに腐心していただけでしたが、草木のちょっとした変化に気づき、彼らも日々暮らしていることを知るに至って感動している自分がいる。
正に、「日々是好日」であると実感出来るのです。
毎日、変化に富んだ出来事が別になくても、自分のまわりのものも、自分と共に瞬間毎に変化していっていることに気がつくだけで、毎日がユニークな日々であり感動を憶えることが出来るようになる。
確かに、毎日楽しい予定がびっしりあって生きていることはエキサイティングなことでありますが、楽しい予定が多ければ多いほど、「是も又過ぎ去る」空虚な想いも多くなるわけで、実は人間が躁鬱状態に陥るのも、「是も又過ぎ去る」空虚な想いに、その原因があることに気づくのです。
「日々是好日」になるには、外的なものに楽しいことを求めるのではなく、自己の内的変化に喜びを感じることによって、外的なものの変化を知る喜びのことではないでしょうか。
やはり、まず自己の確立が大切である、至極当たり前のことを知ることに、感激を憶える自分でありたいと思う日々であります。