一期一会  二十九の日

『他人(ひと)の振り見て我が振り直せ』
日本一億総国民、懺悔の想いを込めて、この言葉を真摯に受けとめるべきではないでしょうか。
みんなが、他人の振りばかりに目につくようで、我が振りに目を向ける心の姿勢を無くしてしまったのではないでしょうか。
余裕の無い人生を日々送っているからだと思うのです。
汲々とした日々を送っていると言った方がいいのでしょうか、顔の表情が複雑な想いを表している人が多い。
日本に帰って来て、一番感じることは、荒涼とした雰囲気が街にあることで、かつて日本の自動車産業に追い上げられたアメリカの自動車産業の中心地デトロイトのダウンタウンを思い出します。
昼間から、店という店がシャッターを閉めている。
商売はやっておるのですが、治安が極めて悪い為に、シャッターを閉めて客が来ると、シャッターの小窓から覗いて確認してから中に入れるのです。
正に無法の街でありました。
失業者の増大が、最大の原因であったのです。
昭和の初めに起きた世界大恐慌の波は日本にも押し寄せ、食べるものも無くなった田舎では、食事の中に訳の分からない肉が混ざっているのを見たことがあると、話をしてくれたご老人がいました。
今の日本は、外面的には、そこまで落ちてはいない。
しかし内面的には、同じ状態ではないかと、そのご老人は言っておられました。
そう言えば、京都に観光に来られたヨーロッパの国の方々が、ベルリンの壁が崩れる直前の東欧諸国の古都に、今の京都の雰囲気が似ていて、以前の京都とはまるで違うと、異口同音に言われます。
プラハ、ブダペスト、そしてその中間にあるウィーン、また東ドイツにあったベルリンからポーランドのワルシャワにかけての街という街は、誰も家から一歩も出ようとしない状態が続いていたのです。
そういう状態の地に住んでいる人々がかもし出す雰囲気は、無関心と、自分さえ良ければ、という態度であります。
バブルが弾けた当初は、戦後の我が国で実現してきた高度経済成長の自信の余韻がまだあったために、『もうその内に、回復するはずだ』とみんな信じてきました。
そう思って、もう十年以上が経過したにも拘らず、底なし沼のようにどんどん沈んでいく我が国であります。
政治や、現代の経済は人為的なメカニズムで成り立っています。
従って、人間の心の姿勢が、政治・経済に大きく影を投げかけてくるのが、20世紀後半からの世界の様相であります。
かくも荒涼とした雰囲気をかもし出している今の日本のすぐ傍にある中国の人々は、みんな活き活きとした目をしている。
この違いの原因は、一体何処にあるのか。
かつてのアメリカと日本の関係を振りかえって見るべきではないでしょうか。
当時のアメリカの指導者層は、真剣に日本のことを研究しました。
今の日本人は、真剣に中国という他人(ひと)の振り見て、我が(国の)振りを直すべき時であると思うのですが。