一期一会  三の日

今日は、怒りについて、お話しましょう。
最近の日本人は怒りというものを忘れてしまったように思えてなりません。
まさに唄を忘れたカナリアでは、何の価値もありません。
北朝鮮の拉致事件における両国のトップ会談での日本側の反応に、その症状は表れています。
そうです、これは病気なのです。
怒りを忘れた人間は心に病を持っているのです。
一般的には、怒りはネガティブなものと捉えられているようです。
しかし怒るべき時に怒らなければならないポジティブな怒りもあるのです。
怒るべき時に、怒らないのは、相手からの反感を恐れる臆病風邪という軽い病気なのか、怒るべき判断能力の欠落が原因の痴呆症という病気なのか、怒りそのものを忘れてしまった無感情症候群という深刻な病気なのか、いずれかの原因で、ポジティブな怒りでありながら、怒りを相手にぶつけることが出来なくなってしまうのです。
そこでまず、あなたに訊ねてみたいのです。
あなたは怒りを感じたことが最近ありますか。
そして怒りを発したことはありますか。
それは子供の怒りのような、自己中心の怒りではないでしょうね。
子供の怒りは、ある面では純粋な体全身での怒りであって本人にはカタルシスになっていて良いのですが、相手はたまったものではありません。
子供の躾にとって大切なことは、彼らの自己本意の怒りにどう対処してやるかではないでしょうか。
無知ゆえに自己本意な怒りを発散するのですから、先ほど申しました痴呆症が原因の怒りを失った病気の反面になっているように思われる。
しかし、それは子供の無知ゆえの怒りを、親など大人たちが余りにも抑えつけた結果、臆病風邪で怒りを失った病気を生んだ原因になっているのではないでしょうか。
従って、自己中心だと言っても無知ゆえですから、何でも抑えつければ良いというものではありません。
しかし、近頃の日本の親のように子供が何をしても怒らないで育てると、大人になって最も深刻な無感情症候群という病気になってしまいます。
子供だから、言って聞かせても理解力が無い。
子供の躾にとって、この点が一番大切だが厄介な問題なのです。
誉めてやることと、叱ってやることを、メリハリつけて躾してやることが大事だと思います。
しかし、そのメリハリをつける判断能力が肝心の親になければ、これは完全に悪循環に陥る。
現代日本人の病的精神構造の原因が、この悪循環にあると、わたしは考えています。
女性の男性に対する好感度基準に、「優しい男性」というものがある。
この優しさの意味を、お互いにどう捉えているのか、どうもあやふやな気がするのです。
つい最近までは、とにかく無条件で優しい、つまり絶対に怒らないことが優しさだと思っている女性が多かったようです。
ところが、そういった女性たちの要望に応えて、怒りを忘れたカナリアになった男性たちと接していく内に物足りなさを感じ始めた。
そして、近頃では、「時々−これが頻繁になるといけないのですが−は叱ってくれるような強い男性が良い」などと無責任で浅薄なことを言う女性?が増えてきた。
こういった現象は、彼らの内的要因のみならず、外的要因もあることを見逃してはなりません。
それはバブル発生とその破裂による世間の変化が大きく関わっているように思います。
そういう点では、バブルが日本人に与えた影響は多大なものであり、日本人を狂わせたと言っていいでしょう。
バブル発生時、土地転がしで暴利を貪った不動産屋−今は一体どこに消えてしまったのわかりませんが−のみならず、サラリーマンまでが、全身金まみれになってしまい、何でも金、金、と金で解決してきた結果、女性に対しても金ですべてを対処してきた。
ブランド商品ばかりを買いあさるその姿は、女性だけではなく、男性にも蔓延して−女にもてたいやくざが、アメ車は彼女が嫌がるからベンツに変えたと、やくざイコールアメ車が常識だったのがベンツに変わり、ベンツのディーラーは嬉しいやら怖いやらと戸惑っていた時代だった−肝心の心の糸が切れてしまっているのに、金だけでくっついている男女があっちこっちで生まれ、それが当たり前の男女関係だと思い込ませたバブルの拝金主義が、その外的要因だと、わたしは考えています。
そして、それが今なお続いているのが、我が日本国であります。
今でも、海外のブランドの店に入っているのは、必ず日本人観光客だけで、その浅ましい姿を当地の人たちが顔を歪めて見ているのです。
ところがバブルが弾けて、解決する手段の金がどこかへ消えてしまった。
金の力が無いのなら、男性そのものの強さという力を出して欲しいと思っているのが、最近の女性の深層心理ではないかと思うのです。
しかし、そう簡単に男性も変身はできません。
このギャップが、この日本に新たな問題を引き起しているように思えてなりません。
倫理観・道徳観の欠落であります。
わたしは、このままでは二十一世紀の日本から結婚という慣習はなくなっていくのではないかと、予想しています。
それが悪いことなのか、良いことなのかは解りません。
しかし、怒りを忘れてしまった人間社会を想像してみてください。
感情とは、喜怒哀楽を以って代表されていますが、人間の心を潤すウェットな感情は怒りと哀しみであることを理解しなければなりません。
喜び、楽しみだけを追いかけている人間からは、ドライなイメージは受けても、ウェットなイメージは受けません。
動物が生きていく上にとって最も重要なことは勇気の発露です。
勇気の発露は高尚な精神でないとできません。
高尚な精神とは、公正な行動の実践から生まれます。
動物社会では、勇気あるものがまわりから指導者として畏怖心を持たれ、崇められます。
人間も動物の一種です。
公正な行動を実践するには、まわりから畏怖心を持たれる者でないと出来ません。
怒りは、その最も重要な要素であると、わたしは常々考えているのですが、みなさん如何でしょうか。