一期一会  三十一の日

今年もあっという間に、師走になってしまいました。
昔は、立派な先生方が、お金の工面の為に奔走する月の為に、師走と呼んだようです。
今の偉い先生方も、お金を掻き集める為に、やはり奔走しているようですから、やはり師走なんでしょうが、どうも師の意味、先生の意味が、昔と大分変わってきたようであります。
中国語で、男性の方への尊称を先生と呼び、女性の方への尊称を小姉と呼びます。新田論様であれば、新田先生。      
吉永小百合様であれば、吉永小姉。
となるわけです。
尊称というよりも、日本では礼儀、丁寧な言葉であって、語頭に「御(お)」という字をつけるのと同じであります。
世界には多くの民族がいますが、風呂に入る習慣も民族によってまちまちです。
その中で浴槽−湯船とも言います−に入る習慣の民族は結構少ないのですが、その中でも掛湯をする習慣を持つのは、日本人と古代ヘブライ人だけのようです。
ヘブライ語で、掛湯のことを、ミクベと言います。
この時の、「ミ(御)」も、やはり丁寧な言葉にする時に語頭につける字であります。
天皇のことを昔は、「帝(みかど)」「御上(おかみ)」と呼んでいましたが、これはヘブライ語が語源だと言う説があります。
脱線しましたが、先生は男性に対する尊称語であり、やはり尊敬できる方に初めて使える言葉でありながら、今では人気のある方、知名度の高い方に先生と呼んでいる嫌いがあります。
わたしの辞書には、こうあります。
本当に尊敬できる人は立派な人。
世の中で高い立場にいる人は偉い人。偉い人は、心身ともに汗を掻く肉体労働者。
だから、関西弁−江戸時代までは関西弁が標準語であって、江戸弁は江戸っ子弁であり、後の東京弁という、訛りでありましたのが、今では標準語になってしまったようです−という標準語では、「偉い、えらい」と言うのは「疲れること、しんどいこと」を意味しました。
先生と呼ばれる方は、立派で偉い方のことを言うのだと、わたしは考えています。
だから、年末になると、世の困った人たちの為に偉いしんどいことをして奔走されておられたから、師走と呼ばれていたのです。
今の日本人は、すべてを忘却してしまった記憶喪失症患者のように、わたしからは見えます。
テレビを観ている姿。
「ハリーポッター」の、詐欺的宣伝による、超コマーシャリズムに載せられて、感動していると勘違いしている人々。
みなさん、完全に記憶喪失症になっておられます。
自己を忘れてしまっているのですから、物ごとの判断する物差しが無いわけです。
「価値観」がみんな、それぞれ違うから、「十人十色」と言うのであって、価値を判断する固有の物差しを持ち合わせていない人は、価値観の無い人間であることを認識しなければなりません。
「ハリーポッター」や「モノノケ」などの話は、昔からいくらでもある話であります。
今、ハリウッドでは、「モノノケ」の映画さえ作っていれば、ヒットするというのが常識になっていて、アメリカ映画の多くは、「モノノケ」映画で占められています。
アメリカ映画もいよいよ凋落の気配が既に出てきたように思われます。
全世界とは言わないまでも,先進世界では、どうも「モノノケ」流行のようであります。
日本で今、「先生」と呼ばれている職業は、尊称ではなくなっていて、「モノノケ」のことではないでしょうか。
モノノケとは「物の怪」と書いて、邪気のことを言います。
正に、邪気の持ち主を、「モノノケ」と言い、先生とみんなが誉めそやしている。
要するに、誉められる先生も、誉めそやす−「そやす」とはそそのかすという意味です−人たちも、お互いに邪気を持った「モノノケ」であるから、この類の映画がヒットする。
やはり、類は類を呼ぶのでしょうか。