一期一会  三十二の日

平成14年も、あと残すところ1ヶ月を切ってしまいました。
来年は平成15年です。
明治の元号は明治45年7月29日までで、7月30日から大正に変わりました。
大正の元号は大正15年12月24日までで、12月25日から昭和に変わりました。
昭和の元号は昭和64年1月7日までで、1月8日から平成に変わりました。
元号は、中国の易経を典拠としてきたようです。
平成は、かつて平城京や、平城(へいぜい)天皇などがありましたように、かなり紛らわしい元号でありますが、平安は京都の代名詞であるように、平城は奈良の代名詞であります。
だから平城と書いて「なら」と呼ぶのです。
平城と言えば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都、平壌(へいじょう・ピョンヤン)がすぐに、頭に浮かんできます。
大韓民国(南朝鮮)の首都、京城(けいじょう・ソウル)よりも、ずっと古い首都でありまして、高句麗の時代からの首都が平壌(へいじょう・ピョンヤン)で、百済の首都だった、漢城が今の京城(けいじょう・ソウル)になりました。
我々日本人は、ソウルのことを京城と書いていますが、国際的には、漢城で通っているようです。
東南アジア諸国の国際空港では、漢字でソウルを書く際には、京城ではなく漢城と書かれています。
やはり、現代の天皇家は百済と縁が深かったことが、こういう点からも窺われます。
それと同時に、韓国の日本観の根底にネガティブなものがあることも窺われます。
更に、京都と奈良の関係が、北朝鮮と南朝鮮の関係とラップしていたことが、歴史の裏であったことも窺われます。
平成天皇が、自分は、桓武天皇の母であった高野新笠という、百済の媛の血をひくものであると、今年発表なされたのは、如何なる理由からでしょうか。
桓武天皇の即位には、いろいろな謀略があったと伝えられています。
都を奈良の平城京から、京都の平安京に遷都したのが桓武天皇である点からも、我が国と朝鮮半島とは切っても切り離せない関係であったことは疑う余地がない事実であると思うのです。
桓武天皇の皇太子であった安殿(あて)皇子は12歳で天皇になったにも拘らず、たった3年間だけの天皇位で弟の神野(かみの)親王−嵯峨天皇−に皇位を譲って退位して上皇となり、宮を奈良に移して住むようになります。
それが、平城(へいぜい)天皇であります。
ひょっとしたら、この時の平城上皇と嵯峨天皇の争いであった「薬子(くすし)の変」の結果次第では、京都と奈良の立場は逆転していたかもわかりません。
そう言えば、源氏と平氏の紅白合戦−紅白歌合戦ではありません−でも平氏の血統は桓武平氏と呼ばれるように、桓武天皇がそのルーツであり、桓武天皇が平(たいら)の姓を与えたことも、平とは、当時既にあった平壌(へいじょう・ピョンヤン)と関連があるように思えてなりません。
日本にとって、南北朝鮮問題は、他国の問題と短絡的に捉えてはいけないと、わたしは思うのであります。
今回の北朝鮮拉致問題は、根がもっと深いところにあることを、我々日本人は知らなければいけない。
特に、北朝鮮の平壌(へいじょう・ピョンヤン)は、日本の黎明期に深く関わっていた古都であったような気がしてなりません。
まだ本にはなっていませんが、わたしの作品に、「ヤマタノオロチ」があります。
ここで、わたしは、出雲と平壌(へいじょう・ピョンヤン)との関わりを書きました。
来年、平成15年は、歴史の1ページになる年になるかも知れないと考えるのは、ちと過ぎたものであるでしょうか。