一期一会  三十三の日

人間の心の動きというものは、複雑なものであります。
動物ならば、反射神経的に反応した喜怒哀楽を素直に表現しますが、人間には、その間に知性が働くために、返って素直に出せなくなる。
その知性が働く間(ま)を与えているのが、時間であるのです。
間髪を入れずに、動物のように反応すれば、悩むことなど起こりようがないのですが、余計な想いを知性の働きによって生じさせてしまうから難儀なのです。
この間(ま)さえ無ければ、何の問題も無い。
人間の悩みの大半は、この間(ま)から生じる思考が原因であります。
「神はすぐ傍」で時間をテーマに、神の在り方を書いた動機は、人間の罪深さの根源に、人間にしか無い知性と時間の観念が、深く関わっていると思ったからであります。
それは、正に考える間(ま)を与えるからであります。
それでは、動物には、その間(ま)がないのか。
体内時計があるのですから、動物にも時の観念はあります。
しかし、それは間(ま)ではありません。
時と時間とは違うのです。
動物は時を刻んではおりますが、間(ま)を置いた生き方をしていません。
人間は時を刻んではおらず、間(ま)を置いた生き方をしている。
この違いが、知性の有無であるのです。
従って、知性の高い人間ほど、考える間(ま)が多いから、悩む暇を自分に与えるわけです。
現代社会に生きている我々にとって、この真理は二律背反になってしまっている。
悩みの根源は、正に、この点にあることを、先ず知らなければなりません。
そうしますと、間(ま)を置かないようにするには、どうしたらいいか。
ひとつの方法は、動物のように間髪を入れずに行動することです。今、ここを生きることであります。ほとんどの宗教者は、このことを金科玉条のごとく説きます。しかし、この方法は非常に危険が伴うのと、実行するのは極めて困難であります。ジャングルの中で生きていくのですから、常に危険と背中合わせで、現代社会に生きてきたわたしたちは、そんな環境に馴れてはいないのです。
もうひとつの方法は、間(ま)を否定的に使うのではなく、肯定的に使うことです。
間(ま)を肯定的に使うということは、どういうことなのか。
楽観主義的に生きることが間(ま)を肯定的に使うと勘違いしてはいけません。楽観主義も、悲観主義と表裏一体のものであります。
楽観的に思った瞬間に、悲観的になっているのが、普通の人間です。
間(ま)を肯定的に使うということを理解するためには、まず間(ま)の本質を理解することです。
間(ま)というものは、時と時との間の時間ですから、これは人間が制御することは出来ません。
間は、時には魔がさすことがよくあるのですが、魔がさすことを、残念ながら人間は意識的に避けることは出来ません。
しかし、間(ま)を避けることは出来なくても、そこに入り込む思考は、自己制御することが出来るのです。
心の自由性、自在性は、みんな心の王国として持っているのです。
肉体的に奴隷にされても、つまり物扱いされても、心まで奴隷にされることは絶対にありません。
何を思おうが自由であります。
極悪非道な心を持つのも、善行至福な心を持つのも、その人の自由性、自在性に委ねられているのです。
大事なのは、あなたが極悪非道な心を持つか、善行至福な心を持つのか、今すぐに決断することです。
ほれ!今すぐに決断するだけのことです。ほれ!