一期一会  四十の日

我々人間社会は、20世紀に飛躍的な発展を遂げました。
特に20世紀後半の半世紀は冷戦や局地戦争はありましたが、大規模な戦争は核兵器が抑止力になったお陰で無くなり、概ね平和な世界が維持されたのが、大きな発展に結びついたと言えるでしょう。
何ごとも、「塞翁が馬」でありまして、我々日本が人類唯一の被爆国家になったお陰で、世界の平和が保たれたとも考えられる訳で、そういう点では、日本国自体がノーベル平和賞を受賞する権利を十分有していると思います。
我々、日本は、そういう観点で世界に強く訴える権利と責任を持つ国であることを、まず日本国民ひとりひとりが自覚しなければなりません。
狭義では,被爆した広島、長崎を決して忘れない運動を。
広義では、世界平和を訴える旗手の役割を担っていることを。
しかし、残念ながら、世界からの日本評は、狡猾かつ身勝手なエコノミックアニマルであり、それが天罰を食らってへたっているのが現状だという認識であります。
何故、人類平和の為の人柱になった国家として敬われるべきであるのに、反対の評価をされているのでしょうか。
わたしの基本的考えの一つに、「自己完結」があります。
すなわち、如何なる事態が起きても、その原因をつくったのは他者ではなく自己であって、それを克服するのは自己をおいて他には無い。
自己に起きたことはすべて自己責任であり、他人に責任転嫁をすることは出来ないのであります。
従って、世界の平和の旗手になるべき日本国が、世界から蔑まれる国になったのも、他の国に責任があるのではなく、我が日本に責任があることを自覚しなければなりません。
確かに、アメリカを中心とした欧米社会が戦略的に、そういう方向に仕向けたのは事実ではありますが、それを容認したのは外でもない、我が日本であるのです。
犯罪を犯していないのに、悪徳警察に強要されて、「はい、わたしが悪うございました」と自白したのは、我が日本であります。
21世紀に入って、世界の様相は激変しております。
その中で、世界を再び混乱に落し入れそうな火種が随所でくすぶっております。
特に、経済の面においては、日本が再び犯罪人にされそうな動きが水面下で起こり出しています。
政治家の器量が問われる重要な時代が今であることを,日本国民は自己完結の観点から頭が痛くなる程考え、葛藤すべきであります。