一期一会  四十二の日

今の日本人にとって必要でありながら、忘れられてしまっているのが怒りの発露であります−怒りはあるのですが発露する(発散ではありません。発散は悪行三昧する連中が独占して頽廃国家になってしまっている)気力を失っていると言った方が適切かも知れません−。
怒りは使い用によってはネガティブなエネルギーになる危険性を孕んではおりますが、一方では歴史を塗り替えてきた最大のエネルギーでもあります。
明治維新の精神面での最大の貢献者である吉田松蔭は、その30年の短い人生を怒りと慈悲の発露で歴史の舞台を通り抜けて逝きました。
彼が、弟子のひとり高杉晋作に宛てた手紙の中で彼の死生観と怒りが顕れていますので紹介します。
「君は問う。男子の死ぬべき所はどこかと。小生も昨年の冬投獄されて以来、そのことを考え続けて来たが、今ついに、死の一字について発見するところがあった。死は好むものでもなく、また、憎むべきものでもない。世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなす見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり小生の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、何かを成し遂げる心構えこそ大切なのだ」
革命などは、怒りのエネルギー無くして為し得るものではありません。
世の中が閉塞状態になりますと、ふんずまり気分を一気に吹き飛ばすだけのエネルギーを持つのは怒りのエネルギーです。優しさや思いやりのエネルギーではさらさらと撫でる程度のもので、思い切りすると、回りの者がびっくり仰天する、あのくしゃみにも似た、思い切り発散する怒りのエネルギーがどうしても欠かせません。
人間には、それぞれ特性による区分けがありまして、これも常々申しています、我々の住む三次元世界では、二元論がすべての基本になっていることを思い出して頂きたいのです。
善と悪、男と女、強いと弱い、多いと少ない、賢いと阿呆・・・・・といった区分けで、またまた男女の話をして申しわけないのですが、怒りのエネルギーは女性には皆無とまではいかないにしても、ほとんど持ち合わせておりません。
女性の特徴は、肉体的にも精神的にも優美さであり、柔らかさであり、優しさであります。
この基本すら忘れてしまっているのが、今の日本女性であります。
体つきひとつ取っても、女性は脂肪が多く、特に腰や肩の線は男性には無い美しい曲線を有しているのが特徴であり、およそごつごつした男の強さを感じても優美さを感じるものとは違うのです。
こういった特徴を持つ女性には、怒りはおよそ縁のないエネルギーであります。
今までの時代が、20世紀に余りにも怒りのエネルギーで以って残虐極まる出来事が多すぎたために、その反動で後半の半世紀は出来るだけ怒りのエネルギーを発露することを世界は抑制してきたのです。
しかし歴史を俯瞰してみますに、半世紀も大きなエネルギーを発散せずにきた時代というのは無いのであります。
従って、地球上の人間世界には、今にも爆発しそうな鬱積した怒りのエネルギーが充満しているのです。
21世紀のどこかで、このエネルギーが爆発するであろうことは間違いないと思います。
今、日本の男性がおとなしく−大人しくではありません−しておるのは、じっとエネルギーを鬱積しておるとしか、わたしには思えません。
それに調子に乗っておるのが、女性であります。
アメリカという国は善きにつけ悪しきにつけ、世界の先端を走っておることは確かであり、既にアメリカでは男性の鬱積したエネルギーが随所で爆発を始めております。
このアメリカに追従している日本ですから、必ず日本においても、同じ現象が起こるはずです。
しかし、この現象は戦争と同じで不幸なものであり、出来れば避けなければなりません。
戦争が人口のバランスをとる自然現象と捉えるのと同じ発想であれば、これから起こることも自然現象と容認せざるを得ないのですが、やはり大きな犠牲を払わなければなりません。
大戦争は大災害を生みます。できれば大戦争でないようにしたいと考えるのが人情であります。
そこで、怒りのエネルギーを鬱積して爆発直前の日本人男性は自らも、このエネルギーを少しずつ漏らしていくこと、また怒りのエネルギーを蓄積させた日本人女性は、もうこれ以上怒りのエネルギーを鬱積させないように努力していくことを心掛けていく必要があります。
もう爆発は真近に迫っております。
爆発してから、収拾することは極めて困難であります。
日本人男女諸君諸史。いい加減にしなさい。
Gentlemen and Ladies! Open your eyes inside!