一期一会  四十四の日

吉田松陰について、「四十一の日」で少し、お話をしましたが、わたしは明治維新の最大の立役者は、吉田松陰であると思っております。
坂本竜馬や西郷隆盛、そして大久保利通、木戸考允などが特に有名ですが、彼らも確かに立派ではありましたが、わたしの直感でありますが、何処かに何か意図が感じられるのです。
まあ、平たく言えば、思惑があったように見えるのです。
しかし、吉田松陰は、純粋無垢な、純真な気持ちで国を想う精神が宿っていた点において、他の如何なる人物をも寄せ付けない崇高さを持っていたように思えてなりません。
彼の言動に、いささかの曇りも感じられないのは、そのことを物語っているのではないでしょうか。
他人(ひと)にもの申すには、彼のような雲一点もない想いでないといけない。
一点の雲でもあれば、他人(ひと)にもの申すだけの人物ではない。
わたしは、常に、そうありたいと思っております。
吉田松陰は、若くしてこの世を去りました故、純真な心で一生を全うできたとも思うのですが、それはイエスキリストにも言えるのではないでしょうか。
イエスキリストも33才で十字架に架けられた。
現代の30才そこそこのいわば青年を見ていて、吉田松陰やイエスキリストと比較するのは酷な話ではありましょうが、何故これほどまでに違うのでしょうか。
「志操」という言葉があります。
崇高な志と言っていいでしょう。
志を立てるのは、何才になっても出来ますが、やはり若い時に志を立てるのが、その崇高さ、純粋さにおいて最もいい。
そしてそれを一生持ち続けることが、結局は宗教や信仰心を持つよりも、遥かに悟りの道に近い処を歩いていることになるのではないでしょうか。
青年の時期が如何に大事であるかを言いたいのでありますが、故松下幸之助氏が、すべての財産を投げ打ってでも若さを取り戻したいと、おっしゃった。
青年のみなさん。
あなた方は、今、もの凄い財産を持っておられるのです。
その財産は、時間という虚空の船に乗ってどんどん川を下って逝くのです。
その度に、あなたは財産を失っていくのです。
財産はある内に使わなければなりません。
どうか、今、ここにある、あなただけの財産を如何に使うかを、よくよく熟考して頂きたいと思うのであります。