一期一会  四十六の日

今の日本人にとって大事なことは、前向きな怒りのエネルギーの発露であると申しました。
日本のみならず、世界の歴史を検証してみますに、歴史の節目で流れを変えてきたのは、これすべて自己固有の怒りではなく、公を想う強さから発する怒りのエネルギーが為し得たものであります。
然し乍ら、如何に前向きな怒りのエネルギーを発露しても、それを個人的理由から、反感を持つ愚かな人間が大半であるのが、現実であるようです。
「人生を楽しく生きる」と言うことは、人間のみならず、すべて存在するものの真理であると予々確信を持っているわたしでありますが、これすべて地球あっての自分であり楽しみであることは、言わずもがなの前提条件であります。
現実に一度戦争が起きますと、たとえ、大金持ちであろうが、大企業の社長であろうが、人気絶頂のタレントであろうが、恋愛真っ最中の恋人同士であろうが、個人の楽しみなどは雲散霧消してしまい、逆に多くの悲劇が起こるのです。
公、社会の平和なくして個人の平和など在り得ないのです。
では、現代社会は平和であるのか。
この点が最も大事な判断基準になるわけです。
自分のまわりは概ね平和である。従って自分も平和である。結構です。
自分の属している社会は概ね平和である。従って自分も平和である。結構です。
自分の国、日本は概ね平和である。従って自分も平和である。結構です。
自分の存在する地球は概ね平和である、従って自分も平和である。結構です。
しかし、よく考えて見ますと、自分のまわりすなわち環境は、狭いものであっても、広い地球であっても、概ね平和であることなど、人類が人間に進化してから、悲しいことながら一度たりとも無かったのであります。
常に、軋轢、摩擦、相克、争いの人間社会であったわけで、今でも、それは続いておるのです。
あなたのまわりでも、昨日まで仲の良かった兄弟が、今日は骨肉の争いをしておる。会社の中の人間関係においても、仲の良かった同期のものが自分よりも先に出世したからと言っては突然溝が生じる。上司部下の間でも、蜜月時代と思っていたのが、今では顔を合わせても挨拶の言葉すら交わさない、冷えた関係になっておるのが、現実の人間社会であります。
結局、お互いに自分のことばかりに腐心した結果起こっておるわけです。
そうしますと、「(自分だけ)楽しければいいではないか」などという状態は、在り得ないことが明白になってくるのです。
自分よりも先ず相手。
自分よりも先ず周り。
自分よりも先ず社会。
自分よりも先ず日本。
自分よりも先ず世界。
自分よりも先ず地球。
これが、ひとりひとりの人間が持たなければならない考え方の原点であるのです。
そうしますと、世界の至る処で、悲惨なことが起きていることを、先ず知る責任が、同じ人間ならあるのです。
アフリカの多くの国で、飢餓の為、国民の半数以上が餓死しているのが現実にあるのです。
自分の子供の一人を売って数百円のお金を貰い、そのお金で他の子供を食べさせ涙している母親が現実にいるのです。
その裏で、世界から集めた援助物資や、お金を掠め取っている連中が、国連を筆頭に、いま流行のNPOやらNGOの中にも一杯おるのです。
またNPOを口実にして、己の事業にせんと企んでいる連中が蛆虫のように発生しておるのです。
そんな現実の中で、「(自分だけ)楽しければいいではないか」などと本気で思えるでしょうか。
たまたま、現在の日本は大不況だと言っても、みんな豊饒の生活をしておるから、そんなふざけた考えの人間が多くいるのであって、かつて半世紀前には、我々日本人が敗戦のお陰で、木の根を食べ、人肉を食べていた国民であったことを忘れてはなりません。
明日は我が身であります。
先ず相手あっての自分である考え方が、今の日本人には一番必要ではないでしょうか。
しかし、残念乍ら、自分のことしか考えておらん人間が余りにも多い我が国であることは否めない事実であります。