一期一会  五の日

この世は、会えば必ず別れがあるのが決まりです。
生まれた限りは必ず死ぬ決まりがあるのと同じです。
わたしが、『「心の旅の案内書」Chapter(4)見るということ、の中の、あなたは何も見ていない』で、お話しましたように、人間というもの、必ず死によって別れが来ることを頭でわかっていても、体でわかっていない。
つまり何も解っていないのです。
だから別れがやって来ることが恐いのです。
わたしの母は平成元年の5月に80才で亡くなりました。
80年間、母としてだけ生きてきたような女性でした。
女として生きてきた時期はなかったのでは無いかと思える程、辛い哀しい一生であったように思えてなりません。
前年の昭和63年の10月に倒れ、救急車で運ばれ、あと一週間の命だと医者から言われ、海外に出張する予定でしたが、急遽取りやめにしました。
しかし、それ以来およそ7ヶ月間、母は集中治療室で生き続けました。
時折、様子を見にいくのですが、日々、意識が薄れていくのが判るのです。
ある日、『意識がはっきりしている間に、別れを告げておかなければならない』と思い、「お母ちゃん。今日は別れに来たよ。前に言ったように、死ぬことは恐いことなんかないよ。自分の役目を終えたから死ねるんやから、喜ばなあかん。これでお別れや。恐がることなんかないからね」
と母の耳下で囁きましたら、母の目から涙が溢れていました。
母との本当の別れの時でした。
わたしには、カトリック神父をしている兄がいまして、彼がずっと母の面倒を見ていました。
母は長い間パーキンソンの病を患っておりまして、薬の副作用で心が鬱になっていくのです。
ある日、母がこう言いました。
「死ぬのが恐い!」
わたしは、まだその時三十代でしたが、死について先ほど言ったように、はっきりとした考えを持っていたので、「死ぬのは、祝い事やから恐いことなんかひとつも無い。むしろ喜ばなあかん」
と言いましたら、横で聞いていた、神父の兄が烈火の如く怒りました。
「何という不吉なことを言うんや。もうここに来るな!」
その兄は、わたしよりも8才も上で、わたしよりもずっと信仰心の厚い人間でして一生独身で暮らしてきたのです。
わたしは思いました。
『何もわかっていない。信仰なんて糞食らえや!』
そして、「お前は、この世の中を一所懸命生きてこなかったから、そんな阿呆なことを言っとるんや。本ばかり読んで世間から逃げてきただけや。馬鹿もん!」
と怒鳴りつけました。
横で母は泣いていました。
母の臨終の際、誰も看取ることが出来ないほど、死は突然やって来ました。
みんなが駆けつけた時は、母は独りで逝ってしまっていたのです。
みんな、母の死目に会えなかったと悲しんでおり、神父の兄は、何故もっと早く報せてくれなかったのかと医者に腹を立てている始末。
誰も死んだ母の顔を見ようともしないのです。
その時、わたしは死んだ母の顔をじっと見ていました。
実に穏やかで、微笑すら浮かべているのです。
「良かった」とひとこと言ったら、みんなポカンとしているのです。
わたしは母が意識ある時に既に別れをしていましたし、また死は突然やって来るものですから、これで当然だと思ったのです。
母との美しく嬉しい別れでした。
死ぬことを、別れることを、常に意識して生きることがどんなに大切かを物語る一幕でした。
また、わたしには姉が一人おりまして、姉の旦那さんは警察官僚の真面目な人でしたが、数年前に脳血栓で倒れて、わたしたちが病院に駆けつけたら、もう虫の息でした。
そしてそれから一週間後に亡くなりました。
義理の兄の死顔を見たら、それはもう歯を食い縛って、実に苦しそうな表情で逝ったのです。
いろいろ忸怩たる想いで死んで逝ったのですが、やはりその心境が顔に表れているのです。
『これが地獄と直面した人間の死様かなあ』と内心思いました。
死ぬことは、他人との別れである前に、自分との別れであります。
他人には隠し通すことが出来ても、自分には出来ません。
それを最後に目の前に晒け出されて、肉体が消えていくと共に、意識が最後の蝋燭の炎のように消えて行く程、苦しいことはありません。
別れ方だけは、大事にしなければなりません。
どうやら歳を重ねるだけで、別れ方、死に方を理解できるものでは無さそうであります。
清々しい覚悟というものが要るようです。
清々しさは、歳を重ねるにつれて失っていくようです。
覚悟するのは、若さ故、経験の乏しさ故、難しいようです。
結局の処、清々しい覚悟ができるのは、精神の若さを維持している人だと言えるのではないでしょうか。
今の日本の政治家、企業人、役人、医者、先生・・・、この世的成功を収めた人たちは、みんなこの清々しい覚悟を、とうの昔にどこかへ捨ててきたのでしょう。
しかし、死という別れは、そういう人たちにも間違いなくやって来る。
穏やかに微笑んで、独りで死にに行くことが出来る自分でありたいと、あなたは思われませんか。