一期一会  八の日

みなさんは、心は渦のように動いていることをご存知でしょうか。
渦と云えば、鳴門の渦潮が有名ですが、複数の潮の流れが交差した処に渦ができるのです。
まずこの点をよく理解して欲しいのですが、常に流れが一定−つまり一つの流れ−であれば、渦は生じることはありません。
次に、渦は外から内へと円を描いて回って行き、内に行く程その回る速度は速くなります。
そして遂に中心に辿り着くと、今まで同一平面状で回っていたのが、急に垂直方向に流れが変わり、やがて底まで一気に落下して行きます。
ここからが、大事なのですが、底まで落下した流れは、まるで静寂の中にいるかのように、流れが完全に静止してしまいます。
垂直に落下した線上は、そのまわりの渦は激しく回っているのに対し、周囲が水槽の水族館を、まるで内から眺めているかのように、渦の垂直中心線の中だけは隔離されたガラスの筒のような状態になって、激しく回る筒の外側を眺めることが出来るのです。
そして底に辿り着くや否や、あっという間に渦の外側の水面上に浮かび上がってくる。
これが渦のメカニズムであります。
心のメカニズムも渦と同じであることが、渦のメカニズムを知って、なるほどそうだとは思われないでしょうか。
思われた方は、相当、自己の内面を見つめてこられた方だと推察できます。
今日のお話をする対象の方は、ここまで理解している方でないと、これ以上説明しても、まったく無意味であります。
理解出来なかった方々はここで、わたしの話を聞くのを止めて、暫くは自己の内面探求の旅に出かけてください。
それでは次に進みます。
まず渦が生じる条件として複数の流れが交差する。しかもそれぞれの流れの速度が違う。という処に注目してください。
心が動くということも同じで、複数の違った想いが交差する処に、ころころ変わる心の渦が生じるのです。
それが考え、想念といったものの実体であるのです。
心が騒ぐと言います。
心が落ち着くと言います。
まさにこの表現は、心に渦が巻いている時が、騒いでいる時、つまり思い悩み苦しんでいる時であるのです。
心に渦が生じていない時は、穏やかな落ち着いた一つの流れがある時なのです。
さて、心が騒いで渦が生じ、その自分の渦の中に自分自身が巻き込まれて行きますと、心の騒ぎはますます激しくなって行きます。
渦の大きさはどんどん収束して行くと共に、騒ぎは増大して行く。
心の騒ぎは、いろいろ去来する雑念がどんどん増殖して行き、その多くの雑念の間を、もの凄い速度で往来することで極大化されて行きます。
しかし、ここで理解しなければならないことは、人の世は、人の数だけの潮の流れがあるから、渦が生じるのを避けることは出来ないのであります。
つまり、人の世は雑念の渦巻く渦潮だらけの世界であるのです。
生きているあなたが、渦潮だらけの人の世から逃れようとすればする程、激しい渦の中で渦の流れに逆らっていることに他ならないのであります。
激しい渦であっても、その渦の流れに身を任せておけば、やがて渦の流れは垂直方向に転じ、静寂に守られた筒の中で、まわりの激しい渦を楽しく眺めることが出来る自分を知ることが出来るのです。
ところが、渦の流れの中にあって、その流れに逆らうと、先ず渦の中心に近づくことが出来ずに、とうとう疲れ果て、渦の真っ只中で息切れして藻くずと化してしまうのです。
一度、渦の中心まで身を任せて、静寂の筒の中に包まれた独りの自分を知ることが出来たら、あなたは輪廻転生の概念などまったく徒労の作であることが理解出来るでしょう。
渦に逆らって藻くずと化したものが、無駄な試みを繰り返し、輪廻転生のまやかしに惑わされていることを知って頂きたいと思います。
渦の流れに身を任せることは、自然に生きることであって、自然に生きるということは、今、ここしか生きることが出来ないことを知った方の生き方であるのです。
その時、騒がず、落ち着いている本当のあなたの心を見つけることが出来るのです。