一期一会  未(ひつじ)十三の日

はじめなく おわりもなきに わがこころ
うまれ死するも 空の空なり

人間だけには、大脳に二重の皮質ができたため、複数の心があります。
他の生き物には、心は一つしかなく、それは宇宙と一体になった集合意識というもので、それを、"こころ"としましょう。
こころは 、宇宙と一体になった集合意識であり、その意識が固有の生き物の大脳の古皮質に繋がっておって、そこから集合意識の命令を受けていると思えばいいでしょう。
地球上に、存在できている動物、植物、鉱物すべて、この集合意識の命令を受けて、それぞれの部分、部品の役割を果たすことによって、生かされておるのです。
それに対して、人間にも集合意識と繋がっている大脳古皮質がありますから、結局の処は、他のすべてのものと同じように集合意識の命令に従うしかないのですが、自由裁量も少し与えられているのです。
それが、大脳新皮質の機能でありまして、学習能力を持ち、知性を持ち、理性を持っておるのです。
結果、人間が、あらゆる生物の上に君臨することができた所以であります。
その代償として、人間だけには複数の心が生じてしまいました。
大脳古皮質から発する集合意識の想いである、"こころ"と、大脳新皮質から発する固有の想いである、"心"であります。
この心というのが便利だが厄介な代物でありまして、集合意識しか本来ない意識をばらばらにしてしまう、それはそれはとても恐ろしいウィルスのような菌であります。
繁殖性が強いために、心がどんどん無数の心になっていくのです。
心が、実は普段、"自分"だと思っているあの自分であるのですが、それも"こころ"と同じように唯一であれば、それほど問題ではなかったのですが、これが無数に増えていくと、アイデンティティーを失くしてしまいます。
当然のことで、数が増えれば増える程、その集まり・グループのアイデンティティーは希薄になっていきます。
宗教が教祖の下に、教義(ドグマ)を作り、必至に教団を一つに纏めようとしますが、そんなことは所詮不可能であります。
人間は、この複数の心によって、科学の発展や文明の進化を実現してきましたが、その代償として精神分裂症(Schizophrenia)になってしまいました。
本当の自己の発見の旅をするということは、集合意識の一部分である、"こころ"を取り戻すことであり、それは今、ここに存在しているのですから、お釈迦さんが言ったように、再発見の旅であります。
これを天文物理学では、回帰運動というのです。
禅の世界では、円回帰と言うのです。
一休さんが言われている、

はじめなく おわりもなきに わがこころ

のこころは宇宙と一体になった心を意味しています。

うまれ死するも 空の空なり

うまれ死するものは、心であります。
その"こころ"と心が円回帰すれば、それは雲という心が消失して、広大無辺な空(そら)に戻っていくことができる。その時、空(そら)は空(くう)になっていると言われているのです。
本当の自己の発見の旅は、これは生まれて死ぬ限り、どんな人間でも、今、この国に蔓延している、奇妙な人種どもにも、分け隔てなく与えられた、それこそ平等に、通過していかなければならない登竜門であるのです。だから、この国の若い連中、特に、自己の本来性を見失っている若いギャル達は、悉く地獄に落ちること請け合いであります。