一期一会  未(ひつじ)十六の日

花を見よ 色香もともに 散りはてて
こころなくとも 春は来にけり

あなたは、今何才ですか。
花も満開の色香であふれた人生の真只中ですか。
少なくとも、そういう時代はあったでしょう。
まだであれば、必ず、そういう時期がやって来ます。
これが同じ人間かと、目を疑いたくなるような、最近の我が国の若い女性にも、我が世の春があるはずです。
ひょっとしたら、今がその時期なのでしょう。
我が世の春を謳歌している瞬間(とき)こそ、花で言えば色香であふれた満開の時であるのです。
そういう時期は、どうしても外側のことに気が行ってしまいます。
外面ばかりを気にして、内面を観ることをつい忘れてしまいます。
しかし、それは瞬間で過ぎ去って行くのです。
外面の変化は必ず内面の変化をもたらします。
これを光明を得ると言うのです。
内面の変化は必ず外面の変化をもたらします。
これを解脱と言うのです。
外面と内面の相互変化を繰り返すことが出来たら、これこそ悟りと言うのです。
悟りとは、内面の変化を外面の変化まで繋げる光明と、外面の変化を内面の変化にまで繋げる解脱とを、日々刻々繰り返すことを言うのです。
今、この世の春を謳歌している、若い女性の方々も、あっという間に10年が過ぎると、何と馬鹿な考えの生き方をしていたのだろうと思う時がやって来ます。
その時、外面と内面の変化を受け入れ、また自ら変化することが出来る心身の状態であれば、それこそ一休さんが、ここで歌われているように、

こころなくとも 春は来にけり

ということになるでしょうが、さあ果たして、今の若い女性に春はやって来てくれるでしょうか。
春がやって来たはずの、若いお母さん達を観察していますと、到底、春がやって来ているようには思えません。
ますます、真暗な、冷たい冬に舞い戻っているような気がします。