一期一会  未(ひつじ)十七の日

仏法は 鍋のさかやき 石の髭
絵にかく竹の ともずれの音

仏法僧である一休さんが、またもや仏法をけちょんけちょんに言っております。
彼が言う、仏法とは、大乗仏教のことであって、お釈迦さん自身の教えではないと思います。
6才で出家した一休さんでありますが、当時の日本の仏教界の堕落を幼い頃から見続けて来た一休さんにとって、仏教は反面教師以外のなにものでもなかったのでしょう。
お釈迦さんが教えた事は、主義(イズム)でも、教義(ドグマ)でもありません。
そのようなものは、すべて観念(イデオロギー)であって、それが、『神とはこういうものだ』という観念をひとたび与えられたら、人間はそのイデオロギーに飛びつき、執着してしまうものです。
共産主義者は、宗教は麻薬だと斬って捨てましたが、彼等の主義自体がイデオロギーに凝り固まった宗教であることに気づいていなかったから、崩壊したのです。
資本主義というのは、共産主義と表裏一体を成すものでありますが、こちらは実体のある表の面のものですから、実在がある。
共産主義は資本主義と同質であるが、裏の面のものなので、実体がない。
共産主義が、先に崩壊したのは、必然でありますが、表裏一体である資本主義も共産主義が崩壊したら、必然資本主義も否定され崩壊の道を辿ることは当然のことであります。
今、正に、資本主義が崩壊せんとしているのです。
主義とは所詮そのようなもので、実体のない、ただの観念でありますから、流行と同じで、飽きられたら消えていく運命にあるのです。
宗教も、結局、流行でありますから、いずれは消えていく運命であるのに、人間の歴史を通じて、頑強に生き延びておる訳です。
それは、人間社会が進化して、ゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)に発展していった段階で、政治という手法が必要になった。
政治とは、政(まつり)ごとであるように、本来祭りごとであって、宗教と表裏一体であるのが、その本質であるのです。
どこか巨大な教団が政治団体に進出し、今や発行新聞を大々的にテレビ宣伝している。それをテレビ局という言論の自由の下に社会正義を訴えるべきマスコミが、お金の為に、迎合して平気で宣伝をしておる。
もう、この国は、何をどう判断していいのか、一般大衆のみならず、組織団体の多くまで、脳味噌が腐ってしまっておるのです。
わたしが言っています、宗教というのは、所謂大乗仏教的なことを指すのであって、お釈迦さんが、言っておられるのは、真理が一体何であるかではなく、真理でないものは一体何であるかであります。
その為には、これは偽ものである、まがいものである、と見透すことの出来る眼力が必要であって、一休さんは、それを強調しておられるのです。
従って、主義としての仏法は、石の髭、はたまた、絵にかく竹のともずれの音と同じ偽物、まがいものだとおっしゃっているのです。
ただ、雲である自分を消滅させる、思考を落とすことによって、広大無辺な真っ青な空が、あなたであったことに気づくのだと言っておられるのです。