一期一会  未(ひつじ)二十三の日(その一)

ふらばふれ ふらずばふらず ふらずとも
濡れて行くべき 袖ならばこそ

お釈迦さんの教えは、一言で言えば、偏らないで生きること、即ち、中道の精神です。
その核に、『無』の概念がある。
ただ、それだけです。
神がいる、仏がいる、輪廻転生がある、などとややこしいことなど一言も言っておられないと、わたしは確信を持っています。
後代、お弟子さんたちが、お釈迦さんの教えに肉づけをしていった結果、膨大なお経や考え方−これこそ、人間同士が相克する原因のイデオロギーであります−が生じて来たのだと言っていいでしょう。
それでないと、理屈が通りません。
一人の人が開いた教えが、後代になって、どうしてそれこそ無数の宗派(Sector)に別れるのでしょうか。
開祖が、あの世で、間違いなく嘆いておられること、請け合いです。
イエスしかり、マホメットしかり・・・・・・・。
必ず、大乗的になった組織−宗教ではなくなっている−は宗派ができる。
そうなれば、それは真の宗教ではない、ましてや信仰心など、護美箱に捨ててしまっています。
どの宗派が開祖の教えを引き継いでいるのでしょうか。
それぞれの宗派が、我が宗派こそは、と信じておる?のです。
これは、実に馬鹿げた話ではないでしょうか。
考え方の違う、それぞれの宗派が、みんな我が宗派こそ本物だと思っている。
即ち、みんな偽物だという証明になっているシンプルな原理を解らないのでしょうか。
世界の200近い国家が、自国の憲法で、軍隊を持つ理由として、自主防衛だけを標榜しています。
これも理屈の通らない話です。
すべての国が、他国の侵略から自国を防衛するためだけの軍隊であると、憲法に謳われている。それなら軍隊など何の為に要るのでしょうか。
おかしいとは思いませんか。
すべての大乗的宗派は、みんなこの類であります。
新興宗教は当然ながら、その開祖が存命中は宗派には別れません。
しかし、開祖が死んだ途端、後継者問題で争いが起こり、分裂するのがお決まりのコースであります。
もういい加減、信者というねずみになって、ねずみ講の上層部から搾取されている自己に目覚めなければいけません。
一休さんは、解っておられる。

ふらばふれ ふらずばふらず ふらずとも

偏った心になるなと言っておられるのです。
嫌なことがあっても避けるな、好いことがあっても拘泥するな。
今、ここに起きている現象がすべてであるのだから、それを客観的に受け入れる外、何もあなたに出来ることはないのです。

濡れて行くべき 袖ならばこそ

雨が降ろうが降るまいが、人生の中で楽しいずくめはない。悲しい苦しい雨に濡れる袖は必ずある。その濡れた袖と共に確実にやって来る死まで旅をしなければならないのです。

お釈迦さんのことを、こきおろしてしいても、お釈迦さんの本当の教えを受け継いでおられるではないでしょうか。
あるがままを受け入れる。
即ち、今、ここしかないのです。


一期一会  未(ひつじ)二十三の日(その二)

あるがままを受け入れることによって、困難を乗り越えて来れた経験談を紹介いたしましょう。
わたしが、海外での仕事をしていた頃のことです。
旅立つ直前に、ぎっくり腰に見舞われ、病院で応急処置をしてもらって飛行機に乗りました。
途中、バンコクで休養して、更にサウジアラビアに向かう時に、またバンコクでぎっくり腰が再発したのです。
相手との約束もあって、キャンセルするわけにいかないので、無理して飛行機に乗りました。
8時間ぐらいのフライトでしたが、苦しいどころではない。
その時、わたしが愛読していた本を読んで、気を紛らそうとしたら、その中に、こう書かれてあったのです。
『苦痛がやってきても、そこから逃げようとしないこと。それを先ず受け入れること、そして、その苦痛に苦しんでいる自己を客観視すること』
藁をもすがる気持ちで、即実行しました。
3Cという座席に座っている自分を、一番前の1Dという席−たまたま空席だったのですが−から眺めるようなイメージを続けたのです。
顔を歪めて苦しんでいるわたしの顔、体を、わたしが眺めて−見るのではありません−いるのです。
2時間程続けていたでしょうか。
そしてジェッダ空港に着陸しました。
この国はとにかく入国審査が厳しいから、緊張するので、つい腰の痛みも忘れて何とか税関をパスしようと必死でした。
やっと入国できて、レンターカーでホテルに着き、チェックインして部屋に入ると、ビジネスの旅を経験された方ならおわかり頂けると思うのですが、そこでやっと一息つけるのです。
トランクを開けて、荷物を出そうと思った瞬間、腰のことを思い出したのです。
奇跡が起こったのでは、と一瞬錯覚を起こしたのですが、まったく痛みが消えてしまっていたのです。
病理学的には、モルヒネでも打たない限り、考えられないことです。
一瞬のことで、また痛みが必ず出るはずだと思っていたのですが、それきり治ってしまいました。
飛行機の中での2時間の自己客観視が功を奏したとしか思えないのです。
今、わたしは不眠症に苦しめられています。
夜中じゅう、それこそ動いてみても駄目、ベッドの中でじっとしていても駄目。
気がふれるのではと一瞬思います。
その時、わたしは、25年前に飛行機の中でやったことを思い出したのです。
あるがままを受け入れている自分を自己客観視すると奇跡−実は奇跡でも何でもない当然な原理なのですが−が起きる。
少しずつ回復していることを体で感じています。