一期一会  未(ひつじ)二十五の日(その一)

問えばいう 問わねばいわぬ 達磨どの
心のうちに 何かあるべき

達磨大師のような人に質問しても、まともな答えは決して帰ってきません。
知識や、理屈は、矛盾していたら値打ちがありません。
だから、学者や弁護士、科学者達は、自分の言っていることの一貫性を重視します。
しかし、彼等の行動は矛盾に満ちています。
達磨大師のような人は、知識、理屈においては矛盾だらけのことを平気で言い、まるで一貫性がありません。
しかし、現実の世界は矛盾だらけであることを知らなければなりません。
よく考えてください。
わたしが、「神はすぐ傍」のPartII−Chapter40の「事実と真実と真理」
でお話しましたことを、下に引用します。
少し長いですが、我慢して読んでください。


『Chapter 40  事実と真実と真理   −「神はすぐ傍」より−

数学で座標というものがあります。
X軸とY軸という二本の線が直角に交わった座標を二次元(平面)座標と言います。
X軸、Y軸、Z軸という三本の線がそれぞれ直角に交わった座標を三次元(立体)座標と言います。
我々が生きている世界はこの三次元座標上にすべてを表現できる世界であり、三次元テレビというものも既に、20年程前にアメリカで開発され、我々が普段見ているテレビは二次元テレビですから、正面からしか見ることが出来ませんが、三次元テレビで見ますと、横からも後ろからも見ることが出来、たとえば二次元テレビでは美しい女性がこちらを向いて立っていますと、正面からの姿しか見えませんが、三次元テレビだと、横からも見え、その女性の横顔が見え、正面からは美人に見えたが、横顔は鼻が低くて正面から見た程に美人ではなかったことが判るのです。
また後ろから見たら、体全体の線が見え、特にヒップ辺りの曲線美がくっきりと見え、改めて美しい女性であったことが判ったりするわけです。
二次元テレビで見るものは、その一部の姿を顕すだけですが、三次元テレビだと、全体を顕してくれるのです。
すなわち、事実が見えるわけです。
そうしますと、二次元座標では、その一部(360度の内の90度分だけ)しか表現出来ないのが、三次元座標では事実(360度全部)を表現出来ることが解ってきました。
同じ考え方で四次元座標をイメージしてみましょう。
X軸、Y軸、Z軸、そしてT軸の四本の線がお互いに直角に交わった座標です。
もちろんT軸は時間軸です。
三次元テレビでは事実を見ることが出来ました。これは二次元テレビでは三次元テレビの一部しか見られないのを、全体を見ることが出来るという意味であります。
それでは四次元テレビで見えるものは、三次元テレビで見える事実以上のものが見えるのではないかと、容易に想像出来ます。
それでは、それ以上のものとは一体何でしょうか。
三次元テレビで見えるものは事実と申しました。
事実とは、ありのままの姿と言ってもいいでしょう。
ありのままの姿とは、変化しないと言うことに注目してください。
どんどん変化していけば、どれが本当の姿か判りません。
先ほどの喩えで話しますと、二次元テレビでは事実−ありのままの姿−の一部しか見えないと申しました。
正面から見えるだけですから、美しい一部分が見えたのです。
ところが三次元テレビで見ると、鼻が低いが、後ろ姿は素晴らしいといった、映っている女性のいろいろな姿を見ることが出来ました。
それが事実−ありのままの姿−であります。
しかし、時間軸が加わった四次元テレビが、もし開発されたら、時間の流れと共に、その女性の姿が変化していくのが見えるわけです。
産まれたての赤ん坊の時、少女の時・・・・老婆の時と変化していく姿が全部見えるのです。
人間の一生は、いろいろな体験によって精神の変化が起こり、その精神の変化が肉体にも反映されて、肉体そのものも変化していきます。
三次元テレビでは、その変化の模様を見ることが出来ません。
つまり、その時点での事実を見ることが出来ても、そこに映っている女性の一生を見ることが出来ません。
その女性の、この時点でのありのままの姿も、その女性の一生の姿からすれば、やはり一部分であるのです。
わたしは、その女性の一生の姿が、その女性の真実だと思うのです。
人間というものは、ころころ変わる心があって、つい先ほど思っていた美しい気持ちが、今では醜い怒りの気持ちに変わるものです。
それが真実であります。
つまり、真実は、T軸という時間軸をも加えないと見えないということであります。
今までわたしは、一人の女性で以って、四次元での、その女性の真実の姿を説明してきました。
これを若し、宇宙全体の真実の姿を全部表現出来たら、どんな風に見えるでしょうか。イメージ出来るでしょうか。
イメージすることすら困難であるようですが、ひょっとしたらX、Y、Z、T軸の上に、もう一つ新しい軸が加われば見えるかも知れません。
それが五次元の座標であるのでしょうが、事実が三次元で、真実が四次元で表されるなら、五次元で表されるのが、我々が求めている真理であるかも知れません。
しかし残念ながら五次元の座標軸が何であるのかは解りません。
今のところ解っているのは時間という座標軸までであります』

ここで、わたしが申しあげたかったのは、事実と真実との関係であります。
鼻の高い美人も事実としてのあなた。
歳を重ねて老けた美人の残影すら消えたあなたも事実。
両方を包含したのが、真実のあなた。
美人のあなたと老けたあなたの真実には一貫性がなく矛盾だらけであります。
しかし、それがあなたの真実なのです。
矛盾が真実であって、一貫性が事実である。
そして事実は真実の一部であって、真実は事実の一部ではないこと、よく理解して頂きたいのです。
一休さんや、達磨大師は、真実を追求している求道者であり、現代社会の不良聖職者達である政治家、役人、弁護士、不良教員、守銭奴医者の連中は、三次元世界のありのままの事実をも見ようとしないで、現代社会最大の悪の手下である、マスメディアの二次元テレビの事実の一部分を自分の都合のいいように見ておるだけなのです。
しかも、建前上聖職にある先生であるが故に、卑小な一部分の事実を真実のように、一般大衆に見せつけて、金を吸い上げておるのです。
わたしは、彼等を許してはいけないと、再三申し上げてきました。
だが、一般大衆の方々がなかなか動く気配がない。
確かな、うねりが起き始めているのを、わたしは今感じています。
いよいよ、天の裁きが始まるようです。
一休さんも、達磨さんも、感じていると言っておられます。

一期一会  未(ひつじ)二十五の日(その二)

わたしは、決して超能力を持っているような人間ではない、ただの凡夫でありますが、一つだけ取得があります。
これは小さい時から具えていたように思います。
危険予知センサーが極めて高性能且つインタラクティブ(双方向機能)なのです。
高性能を証明する、お話をしてみましょう。
もう15年以上も前のことだと思いますが、その頃は両親共健在でしたから、兄弟も仲が良くて、毎週土曜日には実家で、親父を囲んで麻雀を楽しむのが定例になっていました。
わたしも、日本におる時は必ず参加しておりました。
麻雀が終わるのは、夜中の1時、2時にまで及ぶことが多々ありました。
同じ方面に住んでいる兄を車に乗せて帰るのに、梅田から新御堂筋に入るのですが、その時危険予知センサーが働き、わざわざ遠回りの道に向かってハンドルを切りました。
「どうしたんや?」
と兄が訊くので、「どうも、暴走族が淀川の橋の上で暴れている気配がする」と答えました。
翌朝の新聞で、暴走族がタクシーの運転手さんを鉄棒で殴り殺した事件が載っていました。
危険予知センサーがインタラクティブであることを証明したのは、ある大企業のトップが道徳上、倫理上、極めて賎しい行為をしているのを、偶然わたしに判明され、注意を促されたことがありました。
「きっちりとけじめをつけなさい」とわたしに言われた、世間的に偉い方々は、のらりくらりとかわすだけで、けじめをつけようとしないのです。
わたしは、ある程度のところまで、一人間としての義務と責任を以って糾弾するのですが、それでも身を正そうとしない連中なら、そこで天にすべて任せることにしています。
決して、人間が人間を裁くことは出来ないと思っています。
自分自身も聖人ではないのですから。
そう気持ちに言い聞かせると、不思議に天が必ず裁いてくれるのです。
結局、大企業のトップも天の裁きを受けたようです。
この世的に成功した最近の人間は、どうやら天の裁きを受けるのが、お決まりのコースのようです。
わたしが、今、こんな風に書きますと、どこかでこの世的成功をして、増上慢になっている連中が、天の裁きを受けるであろうことは請け合いであります。
ひょっとして、この国の宰相かも知れません。
わたしの危険予知センサーのインタラクティブ機能が天に裁きの申請を、無意識のうちにしているのではないかと思うのです。
・・・さん!早く自己反省しないと、天の鉄槌がドカンといきますよ!