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一期一会 未(ひつじ)三十の日(その一) 三日月の みつればかけて 跡もなし とにかくにまた あり明の月 月は、地球と太陽の位置関係で、三日月から15日間を経て満月になり、また15日間経て三日月になります。 しかし、月は飽くまでも丸い月であります。 それは、見る(見上げる)者によって変化するだけで、月自体は何も変わりありません。 インドのバラモン教の聖典ベーダの4部門の中で最も重要な最終部門に相当する、日本の禅問答に似た対機説法方式を基本にしたウパニシャッドというのがあります。 ウパニシャッドの語源は、日本でも有名な「般若心経」と同じサンスクリッド語で、"upa-ni-sad(近くに座る)"という意味で師弟が対座して師から弟子へ伝えられる奥義を指しているのです。 紀元前6世紀頃に、形骸化した当時の宗教を、いろいろな哲人が哲学的思考で以って書き残したもので、その中に美しい逸話がたくさんあります。 一本の木の、一番高い枝のところと、一番低い枝のところに住んでいる二羽の鳥の話です。 『高い枝のところで住んでいる鳥は、いつも静かで、穏やかに、動かず、目をつぶって、何もせず、自己の内に見入っている鳥です。 低い枝のところに住んでいる鳥は、枝から枝へ飛び回り、花や実をいっぱい欲しがっては一喜一憂し、そして妬み、いつも心が落ち着かないでいる鳥です。 ところが、ふと見上げると、高い枝のところに同じ格好の鳥が一羽いることに気づくのです。 その鳥は、いつも静かで、自分のように飛び回ったりしないのです。 いつも落ち着かずにいる自分に辟易としていた、その鳥は高い枝のところに住んでいる鳥に関心を持ち、上へ上がって行こうとします。 そして遂に、見上げていた鳥のところに辿り着いたのです。 ところが、実は、その鳥は自分だった』 それだけの話ですが、人間の心の二面性を象徴的に表現しているのです。 どんな人間にも、高い枝のところに住む鳥と、低い枝のところに住む鳥の二面性を持っていて、決して、精神性の高い枝に住む鳥と、精神性の低い枝に住む鳥とは、別ものではないのです。 ここを履き違えてはならないのです。 三日月と満月は、同じ月なのです。 あなたは三日月、わたしは満月というようなことはないのです。 あなたは迷える凡夫、わたしは悟りを得た覚者というような区分けはないのです。 迷える凡夫の時もあれば、悟りを得た覚者の時もある。 それが人間です。 一期一会 未(ひつじ)三十の日(その二) 高い枝に住む鳥と、低い枝に住む鳥の、現代版の話をしてみましょう。 曲がりオカマの話です。 このおっさん、実に人間が悪い。 例のオカマ専務は、ずるい人間だがそれほどの悪ではない。 だから、逆らう末端の部下であるわたしをどこかへ左遷してしまえば、悩みの種も消えて、晴れて我が世の春を謳歌できた筈ですが、結局満期終了で、専務を退任するまで、わたしは左遷されませんでした。 しかし、この曲がりオカマは陰険でした。 先ず、わたしの上司であった例の部長を、オカマ専務を裏切って曲がり側へ寝返りをさせたのです。 その部長も部長です。 その後、利用するだけ利用したら、その部長をポイと子会社に放り出したのです。 ところが、その部長はブラジルに長い間駐在していた経験があって、当時誰がやっても巧く行かないスペインの会社を立て直すように、曲がりオカマから頼まれたのです。 しかし、ー旦捨てられた女は、捨てた男に二度と体を許しません。 股を頑なに開けようとしない、その女に怒り心頭の曲がりオカマは、一番安物の女郎屋に売り飛ばすのです。 実は、この部長、定年寸前で、次の就職先を探していたのです。 わたしに、どこかいい先を探して欲しいと、頼んできました。 わたしも世話になった恩返しにと、ある会社に依頼したら、気よく引き受けてくれたのです。 ところが、わたしと、この部長との間にいた課長で、これはもう、ケツ軽女も顔負けするぐらい、ひどい男で、禿の赤松とか言いましたが、こいつが曲がりオカマに言われて、その部長の就職を世話する会社は出入り禁止にすると触れまわったのです。 しかし、わたしは強引に、その部長の就職の世話をしました。 そうすると、わたしに対する曲がりオカマの報復が始まったのです。 先ず、昇進をすべてストップです。 事業部長と約束した売上を達成しても、昇進時期がやってきても絶対にあげない。 その挙げ句、事業部長も認めた、わたしの転勤もさせず、蛇の生殺しを2年も続けたのです。 しかし、今から考えれば、その曲がりオカマにしても、禿の赤松にしても、低い枝に住む同じ鳥でありまして、オカマ専務や部長は高い枝を見上げている鳥であります。 わたしと何ら変わらない枝に住む鳥であったのです。 |