一期一会  未(ひつじ)三十六の日

一休和尚の道歌を一休みしまして、今日は一休和尚より、みなさんに一言申されたいようですので、紹介致します。

「みなさん、一休直純でございます。
わたしが子供の頃、頓智の一休と呼ばれていたようですが、わたしの子供の頃は、世の中が退廃していて、京の人々は将来に大きな不安を抱えながら生きていたのです。
頓知どころの世の中ではなく、道徳観がまったく無く、それはひどいものでした。
浮世を指導していく人間が二人立つことは、自然の理に適っていないことを知らない愚かな人間たちが織り成す修羅の場であったのです。
このような最悪の世が二度と訪れないようにと、わたしは六才で出家して、その一生を仏の道に捧げたのであります。
しかし、結局は、わたしの死んだ後まもなくして、大きな戦乱に見舞われることとなりました。
当時の京のみなさんは、それは結構豪奢な生活をされていました。三代将軍が賛否両論はありましょうが、世の中を束ねておられたので安泰の国家となっていたからでしょう。
しかし、その時に後々の混沌の世界の芽が既に噴き出していたのです。
わたしは、そういう時代に生まれてきたのです。
みなさんの時代も、正に同じ様相を呈しております。
みなさんは、自身の生活に不足を感じておられない。
満足しておることと、不足を感じないこととは意味が違うことを、よくよく認識して頂きたいのです。
禅の言葉に『足るを知る』というのがあります。
これは、現状を受け入れて満足しなさい、という意味であります。
不足を感じないということは、楽しむことを拒否している態度であります。
人間はどうして生まれて来ては死んで行くのかを、みなさんは考えたことがあるでしょうか。
生死の間と言うのは、天からすれば一休みであるのです。
天に戻れば、また永遠の仕事が待っている。
その仕事と言うのは、終わりの無いものです。
その中で、こうやって生を受けるということは、天はわたしたちに一休みを与えて下さっているのです。
この一休みに思い切り楽しみなさいと天はわたしたちに言っておられるのです。
ところが、みなさんは楽しむことの本質をわかっておらず、ただ日々を無為に過ごしておられるように思えて仕方ありません。
無為自然の道の無為ではなく、ただただ為す術も無い無為であります。
生きることに意識しなさい。あなたは生きることを意識していないで、生きることに汲々としている。
生きることに汲々としているから、生に不足を感じていないだけなのです。
こういった人たちが多くなる世というのが、一番退廃したものになります。
いっそ、不満を持った人たちが大半の世の中の方が、自浄作用が働き易いのです。
だるい世の中であるのです。
わたしの時代もそうでしたが、こんな時は、人生を楽しむ本質を、人間一人一人が理解することが一番肝要であるのです。
せめて、この「一期一会」を読んでおられる方からでも、一休みの生死を楽しむ生き方をして頂きたいと思うのです」