一期一会  未(ひつじ)四十一の日

我が法を いはでもいらぬ 春の花も
ひらけてちりて つちとこそなれ

お釈迦さんは、弟子に教えなど決して教えてはいませんでした。
自分のあるがままの存在を示していただけであります。
お釈迦さんの臨在を感じた弟子が悟りを開くことができたのです。
お釈迦さんの一番の高弟でアーナンダという、お釈迦さんの身内の人がいました。
お釈迦さんの確かお兄さんだったと思いますが、弟子になる前にお釈迦さんに条件をつけてから弟子になったのです。
その条件というのが、常にお釈迦さんの傍にいることを許可することでした。
寝所も同じだったそうです。
多分、アーナンダはこう思ったのでしょう。
『彼の一番傍に常にいたら、彼と同じように悟ることができるだろう』
お釈迦さんは笑ってそれを許可しました。
そしてお釈迦さんが82才で入滅する際、弟子たちに訊ねました。
「わたしはこれから死ぬ。何か訊いておきたいことがあるかね?」
弟子のシャーリプトラやマハカシャップは答えました。
「何も訊いておきたいことなどありません。悟りを開いたのですから、そんな必要はありません」
しかし、アーナンダはいっぱい訊いておきたいことがあったのです。
今までもお釈迦さんの話したことを記録にしておいたのですが、それでも足りなかったのです。
何故なら、アーナンダだけが、お釈迦さんが生きている時に悟ることができなかったからです。
お釈迦さんが死んでから、お釈迦さんの教え、つまり教義を編纂しようという話になりました。
しかしシャーリプトラやマハカシャップは、お釈迦さんの喋ったことをまるで思い出すことが出来なかった。
悟ったのだから、覚えておく必要がなかったのです。
一方、アーナンダは記録に残しておいたのです。
それが仏教の経典となっていったのです。
悟りを開けなかった弟子が書き残したものがお釈迦さんの教義になっているのです。
日本人の大半である無信仰仏教信者は、身内の葬式などの時にのみ、生臭坊主のお経を唱和して居眠りしておるのです。
よくわかっているのでしょうか。
一休さんが言っておられる、
我が法を いはでもいらぬ 春の花も
ひらけてちりて つちとこそなれ

我が法などと教義を言う必要はない。
花が春になると満開になって、そして散って、土となる。
その中にこそ、お釈迦さんの教えがあると言っておられるのです。