一期一会  未(ひつじ)四十三の日

一休さんの道歌集も四十二の日で終了いたします。
今日からしばらくは、わたしの徒然なるままの、お話を致しましょう。
わたしは、今年の始めで56才になりました。
考えてみれば、月並みな言い方ですが、あっという間の56年間でありました。
しかしながら、わたしの未だ知ることのない水瓶に、水を一滴一滴垂らし始めてから、もう40年以上が経過していたのです。
中学二年生の時に、朝5時に起きることを決めたのが、その始まりでした。
他者との比較において差別化できるとするなら、努力の総量でしか無いと思ったのです。
天性の才能など、努力に比べれば実に他愛のないものである。
それなら、他人(ひと)が何もしていない時に努力をするしかないと思って朝5時起きることに決めたのです。
さて朝5時に起きるのはいいが、何をするか。
中学二年生でしたから、まだ肉体は大人になりきっていません。
そこで肉体を鍛えることから始めたのです。
朝の1時間、他人が眠っている間に何かやると、その1時間は昼間の2時間に相当し、昼間の2時間の実稼動は、1日8時間の実稼動とするなら、4分の1日に当たると考えました。
そうすると、4年続けると1年の差が生じる。
40年続けると10年の差が生じるのです。
実稼動10年の差というのは、恐るべき差であります。
どんなことでも、3年続ければモノになり、10年続ければ、その筋の達人になれます。
わたしは、それから40年間に、継続してきた事柄は10を超えます。
そして遂に、52才の時に、本を書くことに出会ったのです。
今3年が経ちました。
多分、52才の時に、自分の水瓶に水がいっぱいになって、溢れ出たのでしょう。
その時、中学二年生の時に始めた、水瓶に水を一滴ずつ溜める作業が終り、自分の水瓶の実体を知ることができたのだと思います。
その水瓶の実体が、実はわたしの使命であったのです。
やっと、わたしの使命と出会うことが出来たのです。
今はその悦びでいっぱいです。
みなさんは、水瓶に水を溜めることをしておられるでしょうか。
そして、いつかいっぱいになって溢れる時が来ることを祈っております。