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(その三)圧倒的な話 怪訝しがっている恵美子をよそに、鹿ヶ谷哲夫は藤堂頼賢の変化に注目していた。 「お前が問うた『伏見の光と陰』の正体がわかったかね?」 藤堂頼賢は黙って肯いた。 「そうすれば、お前の畑恵美子さんへの愛の正体もわかるはずだ」 藤堂頼賢は黙って肯いた。 『なんで、わかるんやろ?』 恵美子は藤堂頼賢を凝視した。 「愛憎を超えることが真実の愛だ」 鹿ヶ谷哲夫は続けた。 「やれ好きだの、やれ嫌いだのとぎゃあ、ぎゃあ喚いている限り、真実の愛などわかるべくもない。 好きで身を焦がし、嫌いで身を焦がして、好きと嫌いが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、好きと嫌いを超えた真実の愛を理解できる。 善いで身を焦がし、悪いで身を焦がして、善いと悪いが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、善いと悪いを超えた真実の愛を理解できる。 強さで身を焦がし、弱さで身を焦がして、強さと弱さが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、強さと弱さを超えた真実の愛を理解できる。 賢こさで身を焦がし、愚かさで身を焦がして、賢さと愚さが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、賢さと愚さを超えた真実の愛を理解できる。 富かさで身を焦がし、貧しさで身を焦がして、富かさと貧しさが一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、富かさと貧しさを超えた真実の愛を理解できる。 幸福で身を焦がし、不幸で身を焦がして、幸福と不幸が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、幸福と不幸を超えた真実の愛を理解できる。 天国で身を焦がし、地獄で身を焦がして、天国と地獄が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、天国と地獄を超えた真実の愛を理解できる。 神で身を焦がし、悪魔で身を焦がして、神と悪魔が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、神と悪魔を超えた真実の愛を理解できる。 健康で身を焦がし、病気で身を焦がして、健康と病気が一枚のコインの表と裏であることを知って、はじめて、健康と病気を超えた真実の愛を理解できる。 すべては、真実の愛に収斂する。 好きと嫌いの延長線だけに愛があるのではない。 すべての二元対立要因の超えたところに真実の愛があるのだ」 恵美子と藤堂頼賢はお互いに凝視しながら、心の中で同じことを考えていた。 『圧倒的な話や!(圧倒的な話やわ!)』 鹿ヶ谷哲夫の圧倒的な話は止まるところを知らない。 「自分という意識がある愛なんてありえない。 自他の意識がある愛なんてありえない。 “わたしはあなたを愛している” こんな愛などありえない。 “わたし”も“あなた”も落ちた、ただ“愛している”だけが残ったところにだけ愛がある。 だが一般凡夫は、 自分が相手(他人)を愛していると思い込んでいる。 若しくは、 相手(他人)が自分を愛していると思い込んでいる。 そんな自他の区分けがあるような愛などありえない。 愛とは自他の区分けのない意識に他ならないのだ。 こんなシンプルな真理すら、人間は理解できていないのである」 鹿ヶ谷哲夫は、「全体感」こそ愛の正体だと喝破する。 鹿ヶ谷哲夫は、「部分観」こそ戦争の正体だと喝破する。 自他の区分け意識こそ、愛を破壊するエゴであり、エゴとは五感が機能した結果の産物に他ならない。 圧倒的な話の核がここにある。 |