第十七章 新しい世界観

世界は確実に狭くなっていっている。
速度の変化が最大の要因だ。
1769年。
イギリスのジェームス・ワットは、トーマス・ニューコメンが100年前に発明した蒸気機関を改良、産業革命・工業化社会の原動力とした結果、石炭を燃料の主役に押し上げた。
1903年。
アメリカのライト兄弟が飛行機を発明した後10年も経たないうちに、飛行機は戦争の道具、つまり、兵器として使用されるようになり、飛行機の燃料である石油が石炭を燃料の主役から引き釣り降ろした。
飛行機を兵器として最初に利用したのはイタリア軍で、オスマントルコとの戦いである。
1914年。
オーストリア・ハンガリー帝国の支配者であるハプスブルグ家の皇太子がセルビアの首都・サラエボで暗殺された。
第一次世界大戦の勃発である。
第一次世界大戦の勝敗を決める重要な決め手が飛行機だった。
速度の変化が世界を確実に狭くしていっている。
科学の進歩とは速度アップに外ならず、科学とは速度アップの学問と言っても過言ではない。
速度アップするということは、ますます自己の拠って立つ位置を確認することが難しくなる。
『運動量を確定するなら位置を確定できない、位置を確定するなら運動量を確定できない』という不確定性原理は森羅万象に働いている。
十八世紀に生まれた科学が十九世紀に実用化され、更に二十世紀に飛躍的な進歩を遂げた結果、地球の相対的大きさは100億の人間を収容するコロッセオに変貌してしまった。
コロッセオを建造したのはローマ帝国の暴君ネロだと言われているが、闘技場として使用されたのはフラウィウス朝のティトス皇帝治世の紀元80年からだ。
長径188m短径156mの楕円形で高さは48m、45,000人を収容できた。
紀元80年に45,000人収容できたスペースに、紀元2080年には100億収容する。
地球が狭くなったどころか、地球が強制収容所になってしまったようだ。
強制収容所のことを、“Concentration camp”と言う。
将に、圧死所である。
ナチス・ドイツはポーランドのアウシュビッツ“Concentration camp”に恐るべき部屋をつくった。
“Concentration room”だ。
3m四方の小部屋だが、その中に数十人のユダヤ人を押し詰めて、立たせながら圧死させたのである。
“Concentration room”はユダヤ人を収容する11号バラック(通称死のバラック)にあった。
餓死と圧死の二重苦を味わせる。
死への恐怖が否応なしに募る人間は自業自得だ。
今や地球が“Concentration room”になってしまっている。
新しい世界観の一瞥である。
「古今東西」という言葉は昔日の言葉であり、二十一世紀では完全に死語になってしまった。
1989年に終結した冷戦が最後の「東西」だった。
東側共産主義体制世界と西側資本主義体制世界のことである。
なぜ、共産主義体制世界が東で、資本主義体制世界が西なのか。
共産主義体制世界の盟主が東欧のソ連だったからだ。
二十一世紀は下手をすると「南北」世界に二分されるかも知れない。
東西世界が水平世界なら、南北世界は垂直世界だ。
人類の歴史が人間の歴史に変節した時に拝金主義が誕生したと言える。
人間の歴史の黎明期から中世に至るまでの拝金主義の「金」はまさにゴールドの「金」だったが、近代から現代に至る間にゴールドの「金」は脇役に格下げされ、マネーの「金」が主役の場に躍り出た。
「金」にわざわざ丁寧語の「御」をつけ、「お金」とまで崇め立てた。
超拝金主義の誕生である。
中世までの拝金主義には自然崇拝の気持ちが依然残っていた。
モノを崇拝することは自然を崇拝することであり、母体の地球を崇拝することに外ならない。
ゴールドの「金」も地球の産物だ。
ゴールドの「金」がマネーの「お金」になることで、自然崇拝から人間崇拝に
変わってしまった現代人は、母体である地球を無視するようになった。
超拝金主義とは地球無視の考え方である。
東西問題は所詮人間間の軋轢・相克に過ぎないが、南北問題は地球と人間の軋轢・相克を引き起こす。
地球と人間の軋轢・相克の結果は明白だ。
南北問題とは単に先進国と後進国の問題ではなく、貧富の格差が広がる人間固有の問題である。
二十世紀の南北問題は東西問題と絡んで先進国と後進国の問題であったが、二十一世紀の南北問題はひとり一人の人間の問題なのである。
新しい世界観が歪曲されていく気配が濃厚だ。
「古今東西」はいい意味だった。
「永遠南北」は最悪の意味だ。
二十一世紀はまさに「永遠南北」という言葉が流行語になる気配だ。
2033年。
世界の人口は85億に達していた。
二十一世紀が幕開けした時の人口が61億であったから、30年あまりで24億も増えたことになる。
人類の祖先である原人(ホモエレクトス)から、人間の祖先である新人(ホモサピエンス)に至る数十万年間で100万から500万に増えただけだ。
イエスキリストが誕生した時代から近代社会がはじまったルネッサンス時代までの1500年間で3億から4億3千万に増えただけだ。
現代社会の魁である近代社会が誕生した時代以降、各世紀毎の人口増加も精々2億程度である。
ところが二十世紀初頭に19億だったのが二十世紀末では61億に達したのだから、100年間で42億増えたわけだ。
人口急増が世界中で問題視され出したのは二十世紀末の頃である。
一度勢いづいた流れを食い止めるのは至難の業だ。
結果、30年あまりで24億も増えていたわけである。
時間の流れというものは映画の上映時間に似ている。
2時間程度の上映時間の間に、宇宙の一生を語ることもでき、人間の一生を語ることもできる。
マクロ宇宙からミクロ宇宙の一生を上映時間内で語ることができる。
時間とはまさに上映時間のことだと言った方が捉え易いかもしれない。
上映が終了したら時間の流れも静止する。
人類の祖先である原人(ホモエレクトス)から、人間の祖先である新人(ホモサピエンス)に至る数十万年間で400万の人間が増えただけだ。
イエス・キリストの誕生からルネッサンスが起こった1500年間に1億3千万の人間が増えただけだ。
二十世紀初頭から二十世紀末までの100年間に42億の人間が増えた。
二十一世紀の現在では30年あまりで24億もの人間が増えている。
宇宙の一生も人間の一生も2時間程度の上映時間に過ぎない。
時間には絶対などないという所以だ。
時間はすべて相対だという所以だ。
時間が絶対なら、137億年の歴史を持つマクロの宇宙からすれば、数十万年の人類の歴史も、1万年程度の人間の歴史も、80年程度の人間の一生も瞬間に過ぎない。
時間が相対なら、137億年の歴史を持つマクロの宇宙も、数十万年の人類の歴史も、1万年程度の人間の歴史も、80年程度の人間の一生も悠久の川の流れと言える。
悠久の川の流れといっても、時には激しく流れ、時にはゆったりと流れる。
30年あまりで24億もの人間が増えている二十一世紀の現在は、激しい流れの時だと言えるかもしれない。
2033年11月22日。
アメリカのロスアンジェルスである事件が起きた。
ロスアンジェルスのダウンタウンは五番街通りを境に一変する。
嘗て暴動騒ぎが頻繁に起こっていたのは、五番街通りの南側に位置するリトル東京を中心としたスラム街だったが、今回の事件はオリーブ通りの山手で起こった。
世界の大都会に必ずあるスラム街は南側と決まっている。
山手に対する海手のことだ。
富裕層の世界は必ず北側にある山手だ。
貧困層の世界は必ず南側にある海手だ。
東西世界が、北側にある山手の富裕層の連中の身勝手なイデオロギーの相克の世界であったのに対し、南北世界は、南側にある海手の貧困層の連中と北側にある山手の富裕層の連中との支配・被支配二層構造の世界だ。
二十世紀が東西冷戦で象徴されるなら、二十一世紀が南北問題で象徴されるような事件が起きたのである。
メキシカンを中心としたヒスパニック系の若者が、オリーブ通りに面しているスーパーを襲ったのだ。
被害にあったスーパーのオーナーがWASPを自認している白人だったことが、今回の暴動の特徴である。
嘗ての暴動はすべて弱い者同士の傷つけ合いに過ぎず、「貧富の差」社会を構築した悪の根源にはまったく手つかずの、まさに空しい自涜行為であった。
ところが今回の暴動事件は、弱者が強者である悪の根源に手をつけたのである。
悪の根源である強者は、自分たちを「善者」に見せるため偽善を装ってきた。
本当の「善」などあり得ない。
「善」とは「偽善」に他ならない。
「善」とは「独善」に他ならない。
悪の根源である「偽善」の「独善」の強者である彼らは、弱者である小悪党を懲らしめ、小善玉に施しを与えることによって、弱者の妬み・嫉みを避けてきたのが、人類(mankind)が人間(human being)になった時代からの連綿とした歴史だ。
人間(human being)の歴史に終止符を打つ時が到来した前兆であるかもしれない。
人類(mankind)の歴史に終止符を打ったのが知性であったとするなら、人間(human being)の歴史に終止符を打つ切り札は一体何であろうか。
世界の中のアメリカの中のロスアンジェルスの中の小さなスーパーでの略奪事件が、世界全体を震撼させる騒ぎに拡がっていった。
嘗て、世界の中のヨーロッパの中のボスニアの中のサラエボで一人の人間が殺された事件が、5000万人を犠牲に巻き込む第一次世界大戦まで拡大したように。
有色人種間で起きた暴動・略奪騒ぎに対して、アメリカの白人たちは偽善を装うことはできたが、自分たち白人に仕掛けてきた有色人種による暴動・略奪には本性が顕れたのだ。
生き物の間で最も忌み嫌われているのが「共食い」行為である。
彼らが唯一「共食い」をするのは飢餓状態に陥った時だけだ。
海のギャング・鮫だけが、血の匂いで興奮して「共食い」をする。
陸のギャング・人間だけが、血の匂いで興奮して「共食い」をする。
血の匂いで興奮するのは、メラニン色素の欠乏が原因だ。
メラニン色素はトランキライザーの効能があるらしい。
「メラトニン」という安眠剤は脳のほぼ真ん中にある松果体から分泌されるホルモンで、メラニン色素細胞の収縮や、生殖腺の発達抑制の作用がある。
松果体とは光を感じるところで、睡眠と深く関わっており、暗いところではメラトニンの分泌量が増加し眠くなるが、逆に光を感じるとメラトニンは減少し眠気が覚める。
人間の本質が決定される7才頃をピークにメラトニンの分泌は年々減少し、高齢になると眠りが浅くなるのはメラトニンの分泌量の減少の所為だ。
癌細胞発生の原因である活性酸素を除去したり、免疫力を高める作用がメラトニンにはあるが、副作用もあり、まさに両刃の剣だ。
無色(白)人種と有色人種との関係も、まさに両刃の剣と同じである。
近代社会になってから西洋が東洋を凌駕するようになったが、古代から中世の時代は東洋の文明の方が先進していた。
経済力においても、十九世紀前半までは中国とインドで世界の国民総生産の半分近くを占めていたのである。
西洋と東洋の関係はまさしく両刃の剣そのものだ。
西洋が台頭すれば東洋が衰退し、東洋が台頭すれば西洋が衰退する。
無色(白)人種社会が繁栄すれば有色人種社会が衰退し、有色人種社会が繁栄すれば無色(白)人種社会が衰退する。
人間の価値観もまさしく両刃の剣そのものだ。
今まさに、新しい世界観の産声があがろうとしている。