第十八章 考えの相克

アメリカは報復手段に打って出た。
一体誰に報復するというのか。
オーストリア皇太子の暗殺事件。
国際連盟に報復を訴え出たオーストリア政府をイギリス政府やフランス政府が拒否したことから、第一次世界大戦の引き金となった。
ナチス・ドイツのポーランド侵攻。
アシュケナジー・ユダヤ対策に苦慮したアドルフ・ヒットラーの苦肉の策がポーランド侵攻であった。
第一次世界大戦の敗北で莫大な借金を抱えたドイツの経済は疲弊しきっていた。
そんな状況下のドイツでぬくぬくと暮らしていたのが、ロシア、ポーランドから移住してきた白人のユダヤ人、つまり、アシュケナジー・ユダヤだった。
祖国を持たない彼らは当然のことながら国際的であり、ドイツ一国の経済に影響を受けることがなかった。
ドイツ経済復興をマニフェストに掲げて政権を握ったナチス・ドイツの総裁アドルフ・ヒットラーは、当初、彼らのドイツ追放を試みたが、彼らが頑なに拒否した結果、ユダヤ人居留地(ゲットー)に押し込み、延いては虐殺の挙に出たのである。
アドルフ・ヒトラーが殺戮したのはアシュケナジー・ユダヤ、つまり、宗教がユダヤ教のカザール人の白人であり、彼らのルーツはおよそ1000年前のカザール帝国で、カスピ海沿岸の今のカザフスタンあたりにあった帝国である。
紀元7世紀。
東ローマ帝国(キリスト教)とイスラム帝国(イスラム教)がカザール帝国(トルコ系白人国家)を挟んで対立した。
困窮したカザール帝国は国ごとユダヤ教に改宗した。
このユダヤ教に改宗したカザール人を、タタール系カザール人、またの名をアシュケナジー・ユダヤと呼び、タタール人とはトルコ系遊牧民族がそのルーツである。
白人のユダヤ人の所以だ。
白人のユダヤ人をドイツから追放するために、アドルフ・ヒットラーが取った戦略がポーランド侵攻であり、結果、第二次世界大戦の勃発である。
人類は同じ徹を何度も踏むらしい。
一人の白人の店が有色人種に襲われたことで、世界戦争まで波及させようとするのか。
彼ら白人にとっては、有色人種は人間ではなく畜生にも劣る鬼畜だと言うのだろうか。
二十世紀最大の悲劇である二度の世界大戦は、同じ体型をした同類の生き物同士の間に生じた色という考え方の違いによって起きたにも拘わらず、再び同じ過ちが、「世界の警察国家」と自負してきた国によって繰り返されようとしているのだ。
アメリカにとって最も重要なことは皮膚の色の違いにあるらしい。
アメリカの政治・経済の実権を握っていると言われるユダヤ国際資本の言いなりになっている大統領府も、イスラエル・パレスチナ問題ではへっぴり腰であっても、相手が黄色人種だと勇猛果敢な挙に出る。
半世紀に亘る冷戦で不倶戴天の敵だと信じて止まなかったソ連に対しても、原爆投下を躊躇し続けたアメリカだが、日本に対しては蟻を殺すような気楽さで原爆を投下した。しかも二回に亘って投下した。
第二次世界大戦下、太平洋戦争に突入した日本軍がシンガポール戦線でイギリス軍を打ち破った情報を聞いたヒットラーは地団駄踏んで言った。
『日本は多くの島を占領している。彼らはオーストラリアをも獲得するにいたるであろう。白色人種はこの地域から消滅してしまうだろう。(1941年12月18日』
『ヒットラーは一つの喜ぶべき(しかしまた悲しむべき)報告をしなければならないと言った。シンガポールの陥落が今伝えられたのである。(1942年2月15日)』
『噂によれば、ヒットラー自身は日本の戦果に心から感動している訳ではなく、むしろ逆に、黄色人種を撃退するために、できればイギリス人に二十個師団を派遣したいと語った。(1942年3月22日)』・・・[田島信雄(ナチズム極東戦略)より抜粋]
どうやら白(無)色人種にとっての最大の課題は皮膚の色にあるらしい。
政治や経済問題を基にしたイデオロギーの相克など、所詮は、身内の仲間争いに過ぎない。
言ってみれば、仲間同士のじゃれ合いなのだ。
ペットの犬の死を哀しむ心を持っていても、皮膚の色の違いに事が及ぶと、冷酷非情に徹することができるのが、アングロサクソンの血らしい。
ノルマン・バイキングの血を引くアングロサクソンは、人の命を粗末にする蛮勇を持ちながら、ペットの犬を溺愛する偏狭性と異常性の人種なのだろうか。
それともやはり、精神の穏やかさの基であるメラニン色素の欠落が為せる業なのだろうか。
喧嘩と戦争とは違う。
他の生き物も喧嘩はするが戦争はしない。
戦争は、考える力を持った人間だけが起こす地球規模の悲劇であり、その原因はあまりにも皮相的だ。
皮膚の色の違いだけで戦争という地球規模の悲劇を巻き起こす。
アメリカは得意の国連決議に持ち込もうとしたのである。
ハプスブルグ家が各国の同盟・協調関係を利用してセルビア打倒の決議に持ち込もうとして、第一次世界大戦が勃発したように。
1920年。
第一次世界大戦終結交渉の結果締結されたベルサイユ条約に基づき、国際平和機構として国際連盟が設立されたが、パクスブリタニカの時代の終焉と、パクスアメリカーナの時代の幕開けを演じた肝心のアメリカは国際連盟に参加しなかった。
そのことが、第二次世界大戦の呼び水になっていたのである。
第三次世界大戦が起こり得るとするなら、その呼び水は既に第二次世界大戦の終結時に汲み上げられていたのかも知れない。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間で国際連盟が設立され、第二次世界大戦の呼び水となったように、第二次世界大戦と第三次世界大戦の狭間で国際連合が設立され、第三次世界大戦が勃発したなら、人類の叡知は皮肉以外の何者でもない。
国際連盟を設立する最大の功労者であるアメリカのウィルソン大統領は、自らの国を加盟させなかった結果、第二次世界大戦が勃発した。
イラクの核保有疑惑に対する国際連合の議決に、アメリカのブッシュ大統領が同意しなかった結果、イラク戦争が勃発した。
国家の大儀など、所詮は、一人の人間の「考え方」次第で雲散霧消する。
今再び、アメリカのバッシュ大統領がごり押しをしようとしているのだ。
人間とはとことん懲りない生き物のようだ。
イラク戦争の実体は石油の争奪戦にあった。
世界最大の埋蔵量を誇るサウジアラビアのガワール油田が、大量の汲み上げで怪しくなってきたのに対して、世界第二位の石油埋蔵量を誇るのがイラクであった。
イラク戦争の表向きの大儀は、核を保有できない国が核を保有しようとしたことに対するバッシングである。
表向きの大儀も支離滅裂だ。
核を保有してもいい国と、核を保有してはいけない国がなぜあるのか。
ドイツが降伏した直後のポツダム会議の開催中に、アメリカは日本に原爆を投下した。
ポツダム会議に出席していたのは、トルーマンアメリカ大統領とチャーチルイギリス首相とスターリンソ連首相だけである。
蒋介石の中国は日本と戦いの真最中で、会議には出席していなかったが、ポツダム決議書には蒋介石のサインがチャーチルの代筆で為されていた。
これはおかしな話だ。
ヒットラーのナチス・ドイツと蒋介石の中国とは戦争はしていないのに、ポツダム会議の出席者に名を連ねている蒋介石は、一体何のためであるのか。
持つ国と持たざる国だ。
その後の国際連合設立に際してのメンバーが国連安全保障理事会の常任理事国の名の下に核保有が認められたのである。
支配する国と支配される国だ。
それを民主主義と言うのだろうか。
イラク戦争の真相は、持つ国の“もっと持ちたい”という限りない欲の所為で、持たざる国からの略奪行為である。
真相は傍若無人さだ。
持つ国のあいだでの支離滅裂な行動と傍若無人さの相克の結果が、人間社会を混乱に陥れている。
国家間の戦争も、個人間の喧嘩も、結局はお互いの考え方の相克が原因となり発生するものである。
地球は一つである。
他の生き物は地球(自然)と一体感で生きていて、自他の区分けが一切ないから相克が起こりようがない。
彼らも喧嘩をしているように一見思えるが、自然と一体感の中での行為に過ぎない。
彼らも殺し合いをしているように一見思えるが、自然と一体感の中での行為に過ぎない。
だから平気で殺し合いができるのだ。
人間は平気で殺し合いなど到底できない。
血を見るだけで全身に震えがくる。
戦場で狂気の沙汰にならない限り、平気で殺し合いなどできるものではない。
狂気の沙汰の暴力団にならない限り、平気で殺し合いなどできるものではない。
昔の戦士は、自然と一体感の中で殺し合いをする他の生き物と同じ境地だから、死を怖れないのだ。
誠の武士は、自然と一体感の中で殺し合いをする戦士だから、堂々と切腹自殺することができるのだ。
ベトナム戦争に赴いたアメリカの兵士たちの殆どが精神障害を起こして、廃人のような余生を送る破目に陥ったのは、彼らは戦士(warrior)ではなく、兵士(soldier)だからだ。
戦士(warrior)は自然と一体感になれるから、相克など発生しようがないが、兵士(soldier)は自然と遊離した分裂状態にいるから、相克が発生する。
死への恐怖とは、地球(自然)との分離状態から生じる不安感の極致であるのだ。
死への憧れとは、地球(自然)との一体感から生じる安心感の極致であるのだ。
世界のすべての国家の憲法は専守防衛を謳っている。
地球(自然)と一体感でない証明だ。
人間みんな戦争が怖いのに、戦争が絶えない。
国連決議を無視してまでイラク戦争に突入したブッシュ大統領が、ベトナム戦争では恐れを成して徴兵を逃れた。
人間みんな戦争が怖いのに、戦争が絶えない原因の一端が窺えるようだ。
兵士が一層のこと戦士になれば、相克がなくなり、戦争がなくなるかもしれない。
癌が世界で猛威を振るっている。
戦争が国家間の相克によって生じる病気なら、癌は個人の内面での相克によって生じる病気と言っていいだろう。
相克とはストレスに外ならない。
ストレスは考えることから発生する内面の問題だ。
一人の人間の内面に発生したストレスが世界戦争まで拡大させるエネルギーを持っていることは既に述べた筈だ。
大国の大統領が嘗て徴兵から逃れた臆病さこそ、ストレス、相克の代名詞であるから、彼をして戦争に導くのである。
癌も戦争も、結局の処は、自己の内面に発生する分裂症状から発生するストレス、相克に外ならない。
人間間の相克で喧嘩が起こるのではないのだ。
国家間の相克で戦争が起こるのではないのだ。
ひとり一人の内面に発生する相克が喧嘩や戦争を起こすのである。
感じて生きている他の生き物には、相克・ストレスなど発生しようがないのである。
考えて生きていると思い込んでいる人間だけに、相克・ストレスが発生して喧嘩・戦争を起こし、挙げ句の果てに精神障害に陥り、癌になる。
軋轢とは考えるという自己の内面の問題なのだ。
相克とは考えるという自己の内面の問題なのだ。
喧嘩とは考えるという自己の内面の問題なのだ。
病気とは考えるという自己の内面の問題なのだ。
考えて生きることから、感じて生きるようにならない限り、人類から四苦八苦や苦悩、そして結末の死の恐怖から逃れることは出来ないであろう。