第二十一章 日本の悲劇

2008年11月27日。
安田正義。
在日朝鮮人だが、小学校以来の四郎の親友である。
正式には「まさよし」と呼ぶが、四郎は「セイギ」と呼んでいた。
そのセイギから電話がかかってきた。
四郎の密命を受けたセイギは、再び日本進軍を要請するために北朝鮮の首都ピョンヤンへ飛んでいたのだ。
四郎は、賢治と話した出来事をセイギに伝えた。
「俺の国にも日本との長い歴史書が残っとって、それを研究しとる学者がおる。その学者の話やと、出雲に渡来した人間はみんな北朝鮮からの入植者らしいで。体も南の奴らより大きいし、奴らは農耕民族やけど、北は騎馬民族やいう点でも出雲の国津神系やと思うと言っとった。四郎ちゃんから聞いて興味を持って調べたんや。そやから、こっちもそれを知って協力してくれたんや。いや実は、日本への再侵攻の件やけど、難色を示されて困っとったところやったんや。そやけど、その話したら、又事態は変わるかも分かれへん。もう一回交渉するわ」
彼は興奮の余韻が醒めない内に電話を切った。
3日後、再びセイギから電話が入った。
彼の話によると、3百万の軍隊を載せた船団が日本海に進航し、目指すところは鹿児島港、高知港、大阪港、横浜港、新潟港、函館港らしい。
2008年11月30日。
北朝鮮軍の船団は目指す港の沖合で上陸態勢に入った。
四郎のGOサインを待つだけだ。
ところが、四郎はなかなかGOサインを出さない。
1週間、2週間と経って、セイギから催促の電話が入ってくる。
「四郎ちゃん、どないなってんねん。みんな、いらいらしとるでえ!」
「そんなに、いらいらしとるか?それが狙いや。もうちょっといらいらさせといてや。そのほうが、残忍さが増すやろ!」
四郎の狙いを聞いたセイギは呆れるように、「よう分かったわ、四郎ちゃんの狙い。俺より百倍えげつないなあ」と言って電話を切った。
2008年12月29日。
四郎はセイギに電話をした。
「明日12月30日、国民による信任投票であるべき日が、日本国民が弾劾される日になるわ!」
遂にGOサインを出したのだ。
「そうだったのか。デビルさんは、新しい憲法案の目玉商品だった国民による毎年の信任投票が、主権が国民にある証になると言って期待していた。
その12月30日に照準を合わせていたんだ」と賢治は悟った。
毎年12月30日に国民による投票で、国の重要ポストを占める連中を信任するか、しないかを決めることが、国家の主権(主人)が国民にあることを明確にすることである。
国家の主権を持つ者の責任として、絶対に投票拒否は出来ないし、一旦拒否したら、日本国民ではないと烙印を押される。
権利と義務及び責任の掟を、日本国民は拒否したというより、嫌がったのだ。
権利は欲しいが義務や責任は嫌だと言う身勝手な考えだ。
『こんな日本人は国家を失えばよい。かつてのユダヤ人が自分たちの仲間であったモーゼやイエスの崇高な教えを裏切り、唯物的信仰にうつつをぬかした結果、罰として国を失い、挙げ句の果てに、ホロコーストのような残虐な迫害を受けた。繰り返しの歴史が、今、西から東に反転して、日本に起ころうとしている。皮肉なものだ!』と四郎は思った。
『他人事(ひとごと)だと高を括っていると必ず我が事としてやってくる』
これは真理だ。
ある程度の年齢を重ねた人間なら何回か思い知らされた経験があるはずだ。
『この国の人間は、何回経験しても懲りないらしい!』
四郎が呟くと、国常立が囁いた。
『それは、この国が過去2千年近く天津神に支配されたのが原因じゃ。それだけ長い期間続いた習慣はそう簡単に変わらないであろう。一挙に変えようとするならば、このような荒療治しかないのじゃ。人類で唯一の被爆国になったのも、国津神から天津神への荒療治の警鐘であった。そのときが国津神に取って替わる機会であった。しかし、あのときの荒療治は正直言って中途半端であった。京都の奥深い聖なる地にひとりの男を選んで国津神の復活を宣言させたことがある。しかし、その方法が間違っておった。お前のように力には力で対抗出来るものを与えなかったため、結局、当時の権力者に潰されてしまった。現代人を宗教観で変えることは出来ないことを、そのとき知った。古代の人間は、もっと自然や地球に対する崇拝の想いが強かったが、現代人は科学の発達で傲慢になったらしい。それで科学の最先端の原爆を落とさせた。同じ過ちを繰り返すことは出来ん。それでお前を選び、自らの手で国津神の世界に変える決意をしたことは、お前も知っておろう。これから起こることは、原爆を落とされる方がよかったと思わせるほどの峻烈なお仕置きぞ!』
国常立が言った通り、日本全土が地獄と化した。
鹿児島に上陸した50万人の軍隊は、九州全土を制圧する部隊だ。
九州は天津神の本拠地で、しかも鹿児島はその中心的役割の地として日本の歴史上、重要な時期には必ず台頭してくる地であった。
天津神の末裔が今でも一番残っている地域だからである。
国津神の末裔だと自認する北朝鮮軍の仕打ちはそれだけに残忍を極めた。
コンピュータはこういったときに恐るべき武器になる。
北朝鮮軍は相手をきっちりと見極めた上で仕打ちをした。
まず役所を占拠し、登録されている住民をコンピュータでリストアップして、その名前と戸籍から純粋鹿児島県人を選別し、しかも天津神の流れを汲む者を、天津家を筆頭にはじき出した。この天津家は現在でも天津神意識が最も強い一族である。
鹿児島県人が地の意識を一番強烈に持っているのは、こういった背景があるからだ。
沖縄が琉球であったとき、この天津家からヨーロッパ帝国主義顔負けの搾取をされてきた。
これも天津神の典型的なやり方である。
今までの横暴極まりない行為に対して、遂に懺悔をさせられるときが来たのだ。
天津神の流れを汲む一族は、ひとり残らず桜島に連行され、若い女性は強姦につぐ強姦を圧死するまで続けられ、男性はひとり残らず性器を切り落とされ出血多量で死ぬまで放置された。
その他の者は全員、桜島の火口に生きたまま放り投げられという徹底した残虐さである。
沖縄県人がこれに加担することを鬼神四郎が許可したことは言うまでもない。
ホロコーストで何百万人ものユダヤ人の死体が山積みにされた光景とまったく同じ地獄が再現されたのだ。
この地獄絵は四国の高知でも同時に展開されていた。
九州と四国が徹底的に壊滅されたことがテレビ放映されたが、四郎が敢えて例の新聞社の系列であるテレビ局に命令していたからである。
放映中のテレビ画面に、例の新聞社の社長が、イエスと同じ十字架の刑で両手と足首に釘を打ち込まれ、もだえ苦しむところが随時映し出され、その両側には国民を堕落させる片棒をかついだふたりのテレビ局のアナウンサーももだえ苦しんでいた。
鬼神四郎は想像を絶することを、これでもか、これでもかとやる。
最初は、あまりの残虐さに目をそむけテレビを切るのだが、あまりにも度が過ぎると、見ている人間の潜在意識に潜んでいる残虐性が目覚めるらしい。
日本全国に放映された映像をみんな見て、楽しんだり、怯えたりしているのだ。
他人事(ひとごと)なら喜ぶ、我が事なら怯える。
『哀れじゃのう、デビルよ!』と国常立が囁いた。
『いや、まだそんな情を出されたら困ります。まだまだこれから地獄が展開されるのです・・・』
四郎が厳しく言った。
『そうじゃ、そうじゃ。すまん、すまん』
国常立もまさに、鬼の神に圧倒されたのだ。
この光景を見ていた大阪の若者に対して、四郎はテレビでメッセージを送った。
「この十字架に磔にされている3人に唆された畜生どもよ。お前たちは、もはや人間ではない。畜生だ。しかも強き悪しきものに飼いならされた弱き畜生だ。この姿を見よ。これが、お前たちの明日の姿だ。よくよく見ておけ!」
メッセージとともにテレビ画面に、丸裸にされ犬のように首に鎖をつながれ、両手両足を切断され、義足で四足の動物にされた男女の姿が映し出された。
その顔は、今一番人気のある男女のタレントのものだった。
大阪港に上陸した軍隊は、その放映と同時に行動を開始した。
テレビを見ていた大阪の者のみならず、投票に行かなかった者たちは、この報復の凄さに怖れをなして逃亡しようとした。
しかし、軍隊はプロだ。
網を張っていたところにどんどんはまっていく。
今度は、四足の動物にされる手術を受ける場面が放映された。
日本は完全にパニック状態になった。
外国諸国もこの放送を見ていて、ここまでが限界だと判断し動き出した。
セイギがすぐに電話してきた。
「まだ続けさせんのんか、四郎ちゃん?」
「まあ、このへんでええやろ、引かしてんか、セイギ」とデビルも同意した。
2009年正月の三ヶ日が日本にとって地獄の正月になった。

北朝鮮軍の二度に亘る侵略が、眠っていた日本人の意識に火を点けた。
夜明け前が最も暗い夜だ。
国民がこぞって拝金主義に舞い踊った2008年11月3日までが、日本の最も暗い夜だった。
中学生や小学生までもが株式投資に加わるという前代未聞の暗黒の時代で、まさに日本すみずみの老若男女が、“お金だ!お金だ!”と阿呆踊りをしていた。
過去200年に亘って国常立命(クニトコタチノミコト)が憂慮してきた事態が、二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて起こったのである。
江戸時代中頃からこの国の行く末を憂慮しはじめた国津神の最高神である国常立命(クニトコタチノミコト)は、次から次へと口開きの人間を探し求めた。そんな中で、出口なおの口を借り、出口王仁三郎を指導した大本教が、軍国主義の嵐の中で大弾圧を受ける事件が起きた。
国常立命(クニトコタチノミコト)は暫く鳴りを潜めた。
日本が敗戦したからだ。
艱難が襲ってくると、人間は否応なしに引き締まるが、やがて時が再び人間を堕落の道に追いやる。
昭和39年の東京オリンピックと昭和45年の大阪万国博覧会が堕落の道への緒であり、決定的にしたのが1985年(昭和60年)の「プラザ合意」を引き金にした「バブル経済」だ。
日本にとっての1990年代は「失われた10年」だ。
国常立命(クニトコタチノミコト)は満を持して再び降臨した。
2001年4月1日。
人間の口を借りた口開きでは生温いことを知った国常立命(クニトコタチノミコト)は、直接鬼神四郎に降臨して共に行動する手段を採った。
世界三大宗教のうちのキリスト教とイスラム教は神を同じとするが、キリストが神の子とするのに対し、マホメット(ムハンマド)は預言者である。
預言者とは神の言葉を預かる者のことで、まさに口開き現象である。
神の子とは神自身が人間の形をして出現することである。
イエス・キリストが救世主(メサイア)と言われる所以であり、イエス・キリストとは救世主(メサイア)インマニュエルのラテン語読みのことである。
イエスの名前はインマニュエルだ。
救世主(メサイア)思想はインドのバラモン教をルーツとするヒンズー教が最初である。
救世主(メサイア)は梵語では「マイトレーヤ」と言う。
釈尊が開いた仏教を中国に伝えたのがボーディー・ダーマ(達磨大師)だ。
仏教と共に中国に伝わった救世主(メサイア)思想、つまり、「マイトレーヤ」が漢写され、「弥勒(ミロク)」思想となっていく。
国宝第一号である京都・太秦の広隆寺に安置されている「弥勒菩薩像」はまさしく、救世主(メサイア)イエス・キリストに他ならない。
「弥勒菩薩像」は聖徳太子が彫ったとされ、彼の右腕だった秦川勝に下賜した記念に広隆寺(蜂岡寺)を建立したと伝えられている。
聖徳太子の生前の名前は厩戸皇子(うまやどのみこ)だが、救世主(メサイア)イエス・キリストと重なるのは単なる偶然とは思えない。
事実、「記紀」では、厩を通りがかった際に陣痛を催した穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのおおきみ)が厩の中で産み落としたのが、用明天皇の第二皇子、聖徳太子であると記されている。
更に、「記紀」は言う。
穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのおおきみ)の前に怪しげな光輝く僧が現れ、「我は救世主をそちの腹の中に宿す」と言って、彼女の口の中に入っていった結果、聖徳太子が生まれたと。
聖母マリアと重なるのは単なる偶然とは思えない。
まさに「軸の時代」に起こる必然の偶然なのだろうか。
救世主(メサイア)待望論は、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度の中で被支配者側に自然に湧き上がってくる悲痛の叫びであり、アメリカの黒人奴隷がやるせない想いをブルースに乗せた悲痛の叫びにも似ている。
「弥勒信仰」とは被支配者側の人間の悲痛なる願いなのだ。

日本という国は、いじめられっ子の運命を背負っているらしい。
近代社会を創出したと自負する欧米諸国は、アジアという地域そのものを見下げている。
“近代化を果たした国などアジアの地域にはどこにもない!”
彼らは本気でそう思っているのだ。
“近代化とは欧米白人社会だけが達成できるものである!”
だから日本は原爆を彼らから落とされたのである。
中国には中華思想がある。
中国が世界の中心だという考え方だ。
人間という代物は自己中心的な考え方しかできないらしい。
ヨーロッパもアジアも人間が勝手に造った言葉に過ぎない。
ライオンは“わたしはアフリカのライオンだ!”とは思っていないし、トラは“わたしはインドのトラだ!”とも思っていない。
彼らにとって自然が恵みの母なる大地なのである。
人間社会だけに一体何が起きたのであろうか。
旧約聖書は言う。
“人類の祖先であるアダムとイブがいた。
彼らは他の生き物と同じエデンの園(自然の中)で暮らしていた。
創造主の神は彼らに警告した。
禁断の実を絶対に食べてはならない。食べたが最後、エデンの園(自然の中)から追放されるぞ!と。
神の意に反して、イブがアダムを唆して禁断の実を食べ、エデンの園(自然の中)から追放された”
天地創造主である万能の神とは一体何だ。
なぜ人間だけに警告した。
警告は唆しに過ぎないではないか。
神の反対側に悪魔が存在する証明であり、悪魔の存在自体が、万能の神を否定していることに外ならないではないか。
詭弁に過ぎない。
これが解答だ。
なぜ人間はこんな詭弁を見抜くことができないのであろうか。
なぜ21億もの人間がこんな詭弁に騙されているのだろうか。
キリスト教だけが詭弁を弄してきたわけではない。
11億のイスラム教もそうであるし、10億のヒンズー教も同じように詭弁を弄してきた。
信者の数を重視する宗教の本質とは、金儲けのビジネスの本質と同じであるようだ。
金儲けのビジネスとは搾取の論理で成り立っているのだから、宗教も搾取の論理に外ならない。
搾取の論理とは「二元論」に外ならない。
搾取する側と搾取される側だ。
質的優位性を誇る教祖は搾取する側だ。
量的優位性を誇る一般信者は搾取される側だ。
だが一般信者は搾取されていると決して思っていない。
金儲けのビジネスでは供給側と需要側とすり替えることで一件落着するが、宗教では説明不可能に陥り、最後に“信じなさい!信じる者は救われる!”で一件落着する。
聖書で神と悪魔を対比させながらも、神を万能の天地創造主とする所以がこの矛盾にある。
「日の没する国」では、この矛盾が罷り通る世界なのだが、「日の出る国」ではそうはいかない。
欧米社会にとっては、アジア全体が「日の出る国」だが、中華思想を持つ中国では、東の果ての国・日本だけが「日の出る国」なのである。
聖徳太子はそのことを認識していたが、随の煬帝は認識していなかった。
1922年。
西田幾多郎の要請を受けて京都大学で講演したアインシュタインのメッセージがそのことを物語っている。
“世界の未来は進むだけ進み
其の間、幾度か争いは繰り返されて
最後の戦いに疲れる時がくる。
其の時、人類はまことの平和を求めて、
世界的な盟主を崇めねばならない。
この世界の盟主たるものは
武力や金力ではなく
あらゆる国の歴史を抜き越えた
最も古く、また、
最も尊い家柄でなくてはならない
世界の文化はアジアに始まって、
アジアに帰る。
それはアジアの高峰、
日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。
われわれに
日本という
尊い国をつくっておいてくれたことを・・・”
アインシュタインはそのことを認識していたが、ルーズベルトは認識していなかった。
だから、日本という国は、いじめられっ子の運命を背負っている。
憎悪の国のプラスチック人間は、アインシュタインの提案を受けて原爆の開発に着手した。
アインシュタインは聖書ユダヤ人、つまり、スファラディー・ユダヤ人ではなくアシケナジー・ユダヤ人だが、プラスチック人間はプロテスタントの皮を被ったユダヤ教徒だ。
ユダヤ人の定義は人種でなくユダヤ教だ。
ユダヤ教徒であれば黒人でもユダヤ人になれる。
エチオピアでは黒人のユダヤ人が三千年前からいる。
ソロモン王の時代にシバの女王がイェルサレムを訪問した。
エチオピアと紅海を隔てた対岸のイェーメンは同じ人種のルーツを持つ。
アケメネス朝時代のペルシャとペルシャ湾を隔ててドバイが同じ人種のルーツを持つのと同じわけだ。
1948年5月14日。
イスラエルが建国され、初代大統領にアインシュタインの名が上がったが、アインシュタインは固辞した。
聖書ユダヤ人、つまり、スファラディー・ユダヤ人と、単なるアシケナジー・ユダヤ人であるユダヤ教徒とは違う人種であり、イスラエル建国は表向きは聖書ユダヤ人の為となっていたが、実体はユダヤ教徒の為のものであったことを彼は知っていたからだ。
ドイツという国が東西に分割されたのには、それなりの理由がある。
東フランク王国がその母体であるドイツの本質は東ドイツにあることは、ドイツを旅してみると一目瞭然だ。
東ドイツの首都ベルリンと西ドイツの首都ボンではまるで別の国の趣だ。
分断される前のドイツの首都がベルリンであったことは、ドイツの本質は東ドイツにあることの証左である。
聖書ユダヤ人は決して東ドイツには足を踏む入れない。
何故ならユダヤ教徒ユダヤ人が東ドイツに住んでいるからだ。
朝鮮半島が南北に分割されたのには、それなりの理由がある。
「韓国」という言葉の語源は「韓」にあり、朝鮮半島は韓人の住む地域であった。
朝鮮半島の南部には三韓、つまり、馬韓(百済)・辰韓(新羅)・弁韓(任那)地域であったのに対し、高句麗はまったく別の国であったのを、その後無理矢理の三韓の一つに組み込んでしまったのである。
しかも朝鮮半島の中心は古代から平壌(ピョンヤン)と決まっている。
京城(ソウル)はそもそも漢城であり、朝鮮半島の中心ではない。
平壌(ピョンヤン)がベルリンであり、京城(ソウル)はボンなのだ。
南北朝鮮が統一されれば、平壌(ピョンヤン)が首都になるのは間違いない。
逆に言えば、南北朝鮮が統一する可能性はゼロに等しいと言えるだろう。
日本の悲劇がここにあることを、日本人は誰ひとり自覚していない。
人類史上、唯一の被爆人種にさせられた悲劇もここにあるのだ。