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第二十五章 見えない敵 2033年12月31日11時55分。 東京浅草寺。 一年の垢を落とすべく鳴り響く除夜の鐘に耳を澄ましながら、新しい年を今かと待ちわびる参拝客で埋め尽くされた仲店通りに向かって、東の夜空から一筋の閃光が突き刺さった。 あと5分で新年なのに! あともう少しで新しい年なのに! 一筋の閃光は瞬く間に、巨大な入道雲から放たれた雷光のように地面に突き刺さり、耳を劈くような炸裂音を連れ従えて、参道の石畳と共に数え切れない参拝客を空中に吹き飛ばした。 悲鳴をあげる暇もない一瞬の出来事は、人間の思考能力を奪い去り、辺りは異様な静けさが漂っていた。 完全な静寂は、完全な喧騒の裏返しだ。 世の中が無声映画の動画面になったように、軋む音だけの沈黙の世界に落ちていく。 2033年12月31日11時55分1秒、2秒・・・56分1秒、2秒、3秒・・・57分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒、57秒、58秒、59秒・・そして・・・。 秒刻みの時間が何の意味がある。 分刻みの時間が何の意味がある。 世界の終焉の瞬間とはこんな感じなのだろうか。 残された者がいれば、後々検証もできるだろうが、微塵の跡形もなければ、目撃者も証言者もない。 歴史の真実は沈黙の目撃者でしか語り得ない。 歴史の真実は沈黙の証言者でしか証言し得ない。 すべてを一瞬にして奪い去っていく力の源泉は何処からやって来るのだろうか。 2033年12月31日11時55分1秒、2秒・・・56分1秒、2秒、3秒・・・57分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒、57秒、58秒、59秒、沈黙・沈黙・沈黙。 2034年1月1日0時0分1秒、2秒、3秒・・・。 無言の時計の音が「チック・タック・チック・タック・・・」と響く中で、大槌に撃ち落とされたような衝撃が走った。 鉄の雨が降ってきたのだ。 人類史上被爆した国は日本だけだ。 人類史上加爆した国はアメリカだけだ。 天国と地獄は表裏一体の補完関係にある。 世界の国々は天国と地獄をアメリカと日本に押し付けた。 「自分たちは、被爆国にも、加爆国にもなりたくない。そんな天国と地獄の役回りは御免蒙る!」 誰から言い出したわけでもないが、そんな雰囲気が世界に漂っていた。 80億にならんとする人間の数だけ、そんな雰囲気の想念が世界を覆うと、巨大なエネルギーとなって人間社会に押し寄せる。 一人や二人の良心では到底押し返せない。 戦争の悲惨さを経験したことがない国が一つだけある。 それがアメリカだ。 アメリカは他の国を攻撃し、その国の人たちを地獄に陥れることは再三してきたが、自国を攻撃されたことは一度もない。 人の痛みを解らない国と国民だから、広島と長崎に原爆を落としたのが他ならぬ自分の国であっても、罪の呵責は微塵たりともない。 「日本がこれ以上戦争を続けることを止めさせるために、原爆を落としたのは仕方ないことだ」と本気で思っている。 そんな彼らが、2003年9月11日のエンパイアステートビル爆破事件では、まるで原爆を落とされたような被害者意識でテロ撲滅を叫び、更に遡って、1941年12月8日の真珠湾攻撃でも、半世紀以上経っても、「Remember Pearl harbor!」と執念深く相手を攻撃する。 エンパイアステートビル爆破事件も、真珠湾攻撃もアメリカ自身が仕掛けた罠だと判明して、やっと謝罪するという能天気ぶりで、この体質は治らない。 アメリカという国を建設したのはヨーロッパだが、彼らでさえ、アメリカという国と国民の、その能天気ぶりに呆れ返っている。 二十一世紀に入った人類にとって、肌の色の問題を取り沙汰するのは馬鹿げていると、嘗て人種差別をしてきた彼らでも確信しているのに、アメリカ人だけが依然人種差別意識を強烈に持っているのは、最早気狂い沙汰としか思えないのだろう。 第二次世界大戦までは、正義を大儀にしていても、本音は人種差別から起こった個人的な軋轢・相克の衝突に他ならない。 人間社会にしか起こらない戦争という悲劇の最大の原因は、国家という概念が生まれたからであり、その背景には民族と人種という非連続の要因が潜んでいる。 国家(Nation)という概念は民族(Nation)という概念と同期化している。 民族(Nation)という概念は人種(Human race)という概念と同期化している。 人種(Human race)という概念は人類(Mankind)という観念と同期化している。 人類(Mankind)という観念はホモサピエンス(Homo sapiens)という観念と同期化している。 ホモサピエンス(Homo sapiens)という観念は霊長類(Primate)という観念と同期化している。 霊長類(Primate)という観念は猿類(Apes)という観念と非同期化している。 従って、人間(Human being)の祖先はヘブライ人やアーリア人やドラビダ人や漢人や縄文人や弥生人といった人種(Human race)であり、彼らには国家(Nation)や民族(Nation)や人種(Human race)という概念がある。 一方、人類(Mankind)の祖先はクロマニオン人やネアンデルタール人といったホモサピエンス(Homo sapiens)であり、ホモサピエンス(Homo sapiens)の祖先であるジャワ原人や北京原人といった霊長類(Primate)であり、彼らには人類(Mankind)やホモサピエンス(Homo sapiens)の観念があっても、国家(Nation)や民族(Nation)や人種(Human race)という概念はない。 概念と観念の違いは、人類(Mankind)が人種(Human race)と同期化した時に概念が誕生したのであり、観念とは個人レベルの所産であるのに対し、概念とは組織レベルの所産である。 近代日本とは、明治維新以来の高々200年足らずであり、アメリカという国には古代も中世もなく、あるのは近代だけだ。 つまり、アメリカと日本は同質の国家と言える。 1783年にアメリカは独立国家として緒についた。 1868年に日本は近代国家の緒についた。 アメリカ合衆国と呼ばれるように、アメリカという国は人種の坩堝の国である。 建国2700年を超える由緒ある国家・日本とは名ばかりで、現代日本人は明治以降に誕生した新人種であり、江戸時代までの日本人とはまるで異国人程の違いがある。 江戸時代に276もあった藩の数が、明治政府の廃藩置県令で三府(東京府・京都府・大阪府)・六十九県に分けられた。 藩の領民は一生に一度の「伊勢参り」以外には、藩外に出ることは許されなかったから、彼らの血縁は藩内だけに留まる、所謂村社会だ。 血縁即地縁の村社会が江戸時代までの日本では続いていたのである。 ところが版籍奉還と廃藩置県によって、日本人なら誰でも自由に移動できるようになり、一気に日本人の混血が始まり、現代日本人のルーツが誕生したのである。 ヨーロッパの近代社会は500年にも及ぶ年齢を重ねている。 精々200年のアメリカや日本とは年季の入り方が違う。 季節に四季があると言うが、それは地球の四季のことだ。 地球に四季があるように、人生にも四季があり、生きとし生けるものすべてに四季がある。 悉有仏性。 「悉」とは宇宙のことであり、「有」とは移り変わることであり、「仏性」とは四季のことである。 ヨーロッパの国々の近代化の四季は既に晩秋から初冬に掛かっているのに対し、アメリカや日本という国の近代化の四季は未だ晩春から初夏だ。 言い換えれば、国の成熟度がヨーロッパとアメリカや日本とではまるで違うということだ。 我々日本人は、アメリカを若い国、未熟な国、伝統のない国と揶揄するが、そんな資格は決してない。 近世と称せられる江戸時代までの日本なら、伝統を誇る資格があるが、明治以降の日本は、アメリカよりも若い国、未熟な国、伝統のない国なのである。 若い幼い子供は些細なことですぐ喧嘩をする。 齢を重ねた大人はそう簡単に喧嘩をしない、その代わりに権謀術数を図る。 若い国同士の喧嘩を、老獪な国は高みの見物をする。 予てからのすぐに暴力を奮う悪ガキの横暴ぶりに業を煮やしていた老獪な国は、稚拙極まりない弱虫の阿呆ガキに味方はしたが、所詮、敵の敵は味方という論理だけのもので、稚拙極まりない弱虫の阿呆ガキに心酔する筈がない。 「それ見たことか!」 ヨーロッパの国々は、悪ガキと阿呆ガキの痴話喧嘩は所詮悪ガキの腕力がモノを言うことを熟知していた。 嘗ての太平洋戦争も、所詮は悪ガキと阿呆ガキの痴話喧嘩であり、その挙句の果てが原爆騒ぎであったことを見抜いていたが、当人たちはまるで判っていなかった。 成熟した大人なら、たとえ喧嘩をしても、その押さえどころを模索しながら喧嘩をする。 ガキの喧嘩は、よく言えば一心不乱に、悪く言えば軽挙妄動に溺れるから、その押さえどころが見えない。 アメリカが広島と長崎に原爆を落とした時、ヨーロッパの国々は日本に対する同情よりも、アメリカに対するその軽挙妄動に呆れた。 冷戦の敵方の大将・ソ連でさえ、アメリカの暴挙に怖れを生した。 スターリンが水爆開発の命令を部下にしたのも、アメリカの幼稚極まりない精神構造ゆえであった。 2034年1月1日。 世界有数の大都市・東京に鉄の雨が降った。 嘗て広島に、長崎に降った灰の雨は大河の流れのように、徐々に日本人を蝕んでいった。 今や東京に降った鉄の雨は谷間を駆け抜ける急流のように、囂々と日本人を蹴散らしていった。 地球が誕生した直後に、太陽の回りを彷徨する原始惑星が隕石となって地球に衝突した。 隕石の衝突によって抉られたクレーターが太平洋であり、抉り去られた塊が地球の周りを回りはじめた。 月の誕生だ。 地球には80億を超える人間を支える重力は最早ない。 地球からSOSの信号をキャッチした誰かが鉄の雨を降らしたらしい。 鉄の雨は東京を中心とした直径350キロメートルの地域を一瞬にして巨大なクレーターにしてしまった。 月の直径は3476キロメートルだからちょうど10分の1だ。 日本列島の東西の幅が300キロメートル、南北の長さが3500キロメートルだ。 東京を中心とした直径3500キロメートルのクレーターなら、東は北海道網走まで、西は沖縄まで、そして北は朝鮮半島を一気に呑み干し中国の首都北京にまで及ぼうとしていた。 これは警告だ。 中国当局は敏速に対応した。 関東大震災並みの地震が再び東京を襲ったことを想定して、日本政府はシミュレーションをしていたが、二十一世紀という時代の流れには、そんな姑息な対策などまったく無力だ。 首都機能を極大化していた日本は完全に麻痺状態に陥ったのは言うまでもなく、麻痺状態に陥った有機体は、内外から虎視眈々と狙っている細菌に一気に占領されるように、国境を越えた無法地帯と化してしまった。 2034年1月1日。 世界有数の大都市・東京に降った鉄の雨は、東京を中心とする直径350キロメートルの地域を消滅させてしまった。 関東甲信越地域が一瞬にして消滅したことによって、日本列島は分断された。 地球温暖化の進行によって海面が1メートルも上がっていた結果、幅が300キロメートルしかない本州島は真二つに割れてしまい、クレーターとなった地域は黒潮と親潮が合流する海峡になってしまったのである。 図らずも東と西に分断された日本を虎視眈眈と狙っていた国が、この機に乗じて動き出した。 一方、極端な東京一極集中の国家運営をしていたため、国としての機能が完全に麻痺し、他の地域でも混乱状態が発生した。 先ず貨幣制度が崩壊し、紙幣、つまり、お金が兌換機能を喪失してしまったのだ。 兌換機能を失った紙幣は単なる紙切れに過ぎない。 紙幣は単なる信用券なのであり、信用とは国家の担保に基づくものであるから、国家に信用がなくなれば、紙幣は必然的に紙切れに成り下がる。 世界に国家は200以上あるが、自国の紙幣を信用している国の数は10にも満たない。 残りの国では、自国の紙幣などいつ紙切れになるかも知れないことを熟知しているから、金や銀といったいわゆる貴金属を大事にする。 金(ゴールド)さえ持っていたら、どこの国に行っても食べ物に交換することができ、生きていくことができるからだ。 貨幣制度が崩壊しただけで、日本は無法地帯と化してしまった。 国の価値は国民のレベル、つまり、民度で決定される。 政治力、つまり、軍事力で国の価値が決定されるのではない。 経済力、つまり、金力で国の価値が決定されるのでもない。 国体を成す基本は国民にあることを忘れた国が多すぎる。 民度が高い国に、仮に有事が起きても、そう簡単に混乱状態に陥ることはないが、民度の低い国はすぐに国体を失う。 超拝金主義に塗れた日本の民度は極端に落ちていたため、一気に無法地帯と化したのである。 空間が消滅すると時間も消滅する。 時間が消滅しても空間は存在する。 過去・現在・未来は蜃気楼のような幻であるのが、その証明だ。 「ここ」という空間はまさに実在の証明だ。 「ここ」という空間に名札を付けると「今」となる。 過去に「今」という名札を付けるのは不可能だ。 未来に「今」という名札を付けるのも不可能だ。 では、現在に「今」という名札を付けることは可能だろうか。 では、瞬間に「今」という名札を付けることは可能だろうか。 では、現在この瞬間に「今」とい名札を付けることは可能だろうか。 それらの問いに対する答えは何れも「否」である。 現代流に言えば、過去・現在・未来はアナログ(連続性)情報であり、現在この瞬間も所詮はアナログ情報だ。 瞬間の「間」とはアナログのアナログたる所以だ。 一方、「今」という名札を付けられた「ここ」という空間は、まさに、デジタル(非連続性)情報だ。 時間とはアナログ情報に他ならない。 空間とはデジタル情報に他ならない。 空間が消滅すると時間も消滅する。 時間が消滅しても空間は存在する。 2049年12月31日。 東京に鉄の雨が降ったのが2033年12月31日だった。 16年の歳月が一瞬に経った。 空間が消滅することで時間も消滅したからだ。 幻の時間は2033年12月31日11時55分1秒、2秒・・・56分1秒、2秒、3秒・・・57分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒、57秒、58秒、59秒・・・と流れていく。 幻の時間は2033年12月31日11時55分1秒、2秒・・・56分1秒、2秒、3秒・・・57分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・58分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒・・・59分1秒、2秒、3秒、57秒、58秒、59秒、沈黙・沈黙・沈黙、2034年1月1日0時0分1秒、2秒、3秒・・・と流れていく。 実在の空間は2033年12月31日と2049年12月31日を共有する。 秒刻みの時間が何の意味がある。 分刻みの時間が何の意味がある。 世界の終焉の瞬間とはこんな感じなのだろうか。 残された者がいれば、後々検証もできるだろうが、微塵の跡形もなければ、目撃者も証言者もない。 歴史の真実は沈黙の目撃者でしか語り得ない。 歴史の真実は沈黙の証言者でしか証言し得ない。 すべてを一瞬にして奪い去っていく力の源泉は何処からやって来るのだろうか。 2049年12月31日。 タイムスリップとは過去・現在・未来という時間が混沌状態になることに他ならない。 夢の中では過去・現在・未来という時間の混沌状態が現れるが、現実の世界では過去・現在・未来という時間は整然としている。 過去の出来事が後で起こるようなことはない。 未来の出来事が先に起こるようなことはない。 現在の出来事が後にも先にも起こることはない。 つまり、現在とは過去の一部であり、未来の一部でもあるから、時間とは厳密に言えば過去・未来だけである。 出来事はすべて『今、ここ』にだけ起こるのだ。 機会(チャンス)は『今、ここ』だけにしかない。 我々人間はこの機会(チャンス)を逃し続けてきた。 その原因は二つの間違いを冒してきたからだ。 過去・現在・未来という時間に制御される人生を送ってきたのが一つ目の間違いだ。 過去・未来しかない時間に現在という時間を無理やり填め込んできたのが二つ目の間違いだ。 結果、『今、ここ』という唯一の機会(チャンス)を逃し続けてきた。 宇宙や自然の他の生き物には、過去・未来という時間もなければ、過去・現在・未来という時間もない。 在るのは『今、ここ』だけだ。 アインシュタインは「時間」を「空間」の上位に置いて、この世は「時空の世界」だと主張した。 爾来、人間という「空間」は「時間」に支配される羽目に陥った。 アダムとイブが知恵という名の禁断の果実を、悪魔という名の蛇に唆されて食べたため、エデンの園、つまり、天国から追放されたと言うなら、アインシュタインは「空間」であるエデンの園から我々人間を「時空」という地獄の世界へ誘惑した悪魔という名の蛇に違いない。 時間とはアナログ情報に他ならない。 空間とはデジタル情報に他ならない。 空間が消滅すると時間も消滅する。 時間が消滅しても空間は存在する。 2049年12月31日。 東京に鉄の雨が降ったのが2033年12月31日だった。 24=16年の歳月が一瞬に経った。 空間が消滅することで時間も消滅したからだ。 16年の歳月が24の指数、つまり、4秒で事が済んだのである、 逆に言えば、我々が普段4秒という時間で経験していることは、実在の世界では16年に当たるということだ。 2時間の映画で人間の一生を語ることも可能だし、宇宙の一生も語ることができる。 映像の世界とはそんなものだ。 映像の宇宙とはそんなものだ。 宇宙が誕生して150億年経ったというが、150億は233=85億8993万4592と234=171億7986万9184の間であるから、実在の宇宙では、高々33秒から34秒の出来事に過ぎない。 2033年12月31日。 東京に鉄の雨が降り、日本列島が真二つに分断された。 ある空間が消滅すると、ある時間も消滅する。 ある時間が消滅しても、ある空間が消滅することはない。 空間が実在で、時間が幻想である証左だ。 相対性理論は主張する。 三次元空間に対して、四次元要因が時間だと。 時間が空間を支配するわけだ。 そうなら、時間が消滅すると、空間が消滅する筈だ。 そうなら、空間が消滅しても、時間は消滅しない筈だ。 そうなら、過去・現在・未来と『今、ここ』とは主客逆転する筈だ。 過去・現在・未来が主人で、『今、ここ』が客人となる。 だから、人間は偽者の自分を自分だと錯覚するのだ。 本物の自分は『今、ここ』にしかいない。 『今、ここ』が主人で、過去・現在・未来が客人なのである。 空間が実在で、時間が幻想である証左だ。 過去・現在・未来には空間は内包されていない。 『今、ここ』には時間と空間が包含されている。 『ここ』が主人で、『今』が客人である。 空間が主人で、時間が客人である。 本当の自分とは、時間という汽車に乗って、人生という旅をする旅人だ。 窓外には景色という空間が実在するが、時間という汽車が走っているために、景色が光景、つまり、動く空間として映る。 世界は映像である所以だ。 自分が動いているのに、周りが動いていると勘違いをする。 人間が錯覚生き物である最大の原因がここにあるのだ。 他の生き物は自然に対して謙虚だ。 人間だけが自然に対して傲慢だ。 謙虚は謙虚も傲慢もない。 傲慢は謙虚と傲慢を併せ持つ。 偽善は独善に他ならない。 偽善の国は独善の国に他ならない。 ある空間が消滅すると、ある時間も消滅する。 2034年1月1日から2049年12月31日までの間の時間が消滅した。 東京に鉄の雨が降り、日本列島が分断されたことを田島八郎と石嶺リエは、首里の都ホテルで知った。 2033年の大晦日は二人にとって新しい船出の記念日であった。 ひめゆりの塔での事件が国家間の紛争にまで発展し、更には世界戦争にまで波及するとは、八郎でさえ予測できなかった。 ボスニアの首都サラエボでオーストリア皇太子を暗殺した青年も、まさか第一次世界大戦にまで波及するなど思いもよらなかったであろう。 第二次世界大戦の幕は、ナチスドイツのヒットラーのポーランド進軍で切って下ろされたが、ヒットラーのポーランド進軍の遠因は第一次世界大戦の敗北に帰結する。 第一次世界大戦と第二次世界大戦は連綿と繋がっているのだ。 ロシア革命と第一次世界大戦も連綿と繋がっているのだ。 フランス革命とロシア革命も連綿と繋がっているのだ。 すべては一本の糸で繋がっているのだ。 真珠湾攻撃で日本とアメリカを繋いだ運命の糸が、沖縄を悲劇の主人公に仕立てあげた。 鬼神四郎の想いを繋いだ運命の糸が、島田一郎という少年と娘の冬子を繋ぐ運命の糸と発展していった。 何もかもが一本の運命の糸で繋がれていく。 お互いの意思などお構いなしに運命の糸が発展してゆく。 10が20にジャンプする。 無から有が生じる瞬間だ。 20・21・22・23・24・・・210・・・2100・・・21000・・・2n・・・2∞ 0・1・2・3・4・・・10・・・100・・・1000・・・n・・・∞ 田島八郎が∞だ。 石嶺リエが0だ。 20と2∞が繋がる瞬間、大きな爆発が起こる。 見えない敵の姿は0・・・n・・・∞の間のnだ。 田島八郎と石嶺リエの間にnが存在する。 鉄の雨の正体とはnのことに他ならない。 |