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第三十二章 文明の終焉 地球上の生物が絶滅の危機に瀕する事態が人間社会にまで及んできた。 2050年5月1日。 田島八郎は石嶺リエを鬼神蜂蜜店に残して大阪市内に潜入することにした。 彼が先ず立ち寄ったのは千里丘陵にある天神社だった。 嘗て鬼神冬子と島田一郎がはじめて出会った竹林の天空の道を逆の方向に歩くと、地球を呑み込むような大きな太陽の強烈な視線が、これから歩もうとしている修羅の世界への原動力になってくれそうに背中に感じる。 東京に鉄の雨が降って以来、日本全土は混沌状態が続いていたが、何かわからないが大きな力が働き、国家形態だけは辛うじて維持されていた。 知的文明社会が登場しておよそ1万年が経つが、地質学的に国家が消滅した例は一度もない。 政治学的に国家が消滅した例を挙げると枚挙に暇がない。 紀元69年に起こった第一次ユダヤ戦争でイスラエルの国は滅亡し、紀元125年に起こった第二次ユダヤ戦争でユダヤ人はイェルサレムの地、つまり、契約の地から追放され、イスラエル国家は消滅した。 しかし、カナンの地・イェルサレムはその後も存在し続けた。 人間同士の衝突、つまり、概念の世界の衝突は、政治学的国家の消滅は有り得るが、地質学的な国家消滅は有り得ない。 1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終焉を迎えた時、政治学的な国家消滅は起こった。 ユーゴスラビアもチェコスロバキアも消滅した。 二十世紀に消滅した国だけでも、南ベトナム、マラヤ連邦、シッキム、北イェーメン・南イェーメン、アラブ連合共和国、アラブ連邦、エチオピア・エリトリア連邦、ソマリランド、カメルーン共和国、マリ連邦、ザンジバル、タンガニーカ、そして、東ドイツとソ連とある。 ユーゴスラビアは、セルビア・モンテネグロといった支配民族が分離した上に、新たにスロベニア・クロアチア・マケドニア・ボスニア・ヘルツェゴビナが誕生した。 しかし、地質学的な消滅は一度もなかった。 紀元前1万3千年にインド洋に浮かんでいたとされるムー大陸や、紀元前1万年に大西洋にあったと言われるアトランティス大陸は地質学的に消滅した例だと言える。 政治学的に消滅した例はその後の歴史に刻まれるが、地質学的に消滅した例はその後の歴史に跡形も残さない。 これは一体何を意味するか。 文明の消滅を意味する。 ムー文明、アトランティス文明と呼ばれる所以だ。 日本という国家が消滅しても知的文明は依然存続するが、日本列島が地質学的な消滅をしたら、その時は文明の消滅を示唆していることになる。 その分岐点が2050年5月1日なのだ。 天空の路を200メートルほど下ると、右手に天神社の参道が見えてくる。 左右の鬱蒼とした竹林が、八郎の背後を追いかけるように照りつけていた太陽の光を遮って、天神の杜に一層の荘厳さを与えていた。 鬼神四郎に国常立命(クニトコタチノミコト)が降臨した竹林は、半世紀の時を刻んでも変わってはいなかった。 鉄の雨が降って以来、日本列島の様相は大きく変わったが、千里丘陵だけは半世紀前の姿を維持していたのは、千里丘陵の氏神である天神社のおかげであった。 2001年4月1日。 竹林の間の畦道(あぜみち)を早足で歩いている男がいた。 年の頃は30才そこそこ、毎朝、この竹林を歩く習慣を持っていた。 その男の名は鬼神(おにがみ)四郎。 無職・独身で安アパートに住んでいる、一見チンピラ風の、どうしようもない男だが、彼がただ一つ自慢出来るのが朝早く起きて、アパートの近くにある竹林の中を散歩し、最後に近くの天神社にお参りすることを日課としていたことだ。 彼は、この日の朝も6時過ぎに、いつもの竹林を通り過ぎようとした。 その瞬間(とき)、ガツンという音がして頭上から何かが落ちてきた感じがして体全体が硬直した。 四郎は若い頃から運動神経は抜群で、しかも天性の頭の良さを持っていたが、性格があまのじゃくで何事にも反抗していた。 せっかくの天性の能力を活かす機会もなく、高校も中途退学し、親許からも離れて、定職も持たずに日雇い人夫の仕事をしながら酒と女に溺れた生活をしていた。 ただ、5年前にふとしたことから毎朝6時から近くの竹林の中にある神社に参るようになった。 なぜそうなったのか、彼自身もはっきり分からなかったが、「このままでいいのか」と自問自答する日々の中で朝早く神社に参る習慣を持つに至ったのだ。 「ガツン!」と竹林全体がこだまで響くぐらいの音がした。 ちょうどその近くに地蔵が祀ってあったが、四郎はその地蔵と同じく石像のようになったままで立っていた。 気がつくのに1分ほどのものだったが、四郎にとっては何年も経過したような錯覚を持つほど、それは長い暗闇の沈黙の中での別世界の体験だった。 自分の体に異変が起きる予感がしたが、すぐに普段の意識に戻って、何事もなかったように神社の階段の前にさしかかった。 そこで一礼するのが慣習になっていて、頭を下げようとしたが下がらない。 体が直立した状態から曲げることが出来ないのだ。 四郎は、先ほどの出来事が自分にとって重大な出来事であることを、その時、悟った。 一礼もせずに階段をあがり、本殿の前に立って柏手を二回打った。 これもお決まりの行事なのだが、その瞬間(とき)再び、「ガツン」という大きな音と共に、頭上に強烈な衝撃を受け、「鬼じゃ、鬼が入ったぞよ」と大きな囁きを胸の辺りで聞いた。 人類史上比類のないひとりの悪魔が誕生した瞬間であった。 2050年5月1日。 天神社の参道から100メートルほど下ったところにある同じ地蔵の前で、八郎の頭上に大きな衝撃が走った。 「鬼じゃ、鬼が入ったぞよ」 八郎の胸で大きく囁いた。 半世紀前には、日本レベルでのお仕置きのために一人の怪物が登場した。 今、世界レベル、いや、地球レベルでのお仕置きのために一人の怪物が登場しようとしている。 しかも、同じ場所から・・・ 人間社会だけにある宗教の歴史はおよそ1万年という年齢だ。 つまり、神の歳は1万歳と言える。 人類というまだ自然社会の一部に組み込まれていた社会だけにある信仰の歴史はおよそ50万年という年齢だ。 つまり、神の歳は50万歳と言える。 しかし、地球自身がすべての親とする「カミ」の歴史はおよそ46億年という年齢だ。 つまり、「カミ」の歳は46億歳と言える。 地球の「想い」である「カミ」は46億年もの間、地球上に存在するすべてのものを見守ってきた神であり、50万歳や1万歳の神など足下にも及ばない。 地球上に存在する生き物の源泉を太陽に見たててきたことが、そもそもの間違いであった。 太陽を生命力の源泉とするのは地球自身であり、地球の表面に存在するものの生命力の源泉は地球であって、決して太陽ではない。 50億歳の神も、1万歳の神も太陽を生命力の源泉とする結果だ。 太陽に対する信仰、太陽に対する宗教だ。 我々人間は、足下の神を忘れていたのだ。 地球の「想い」である「カミ」こそが、我々人間にとって、先祖としても神であり、天地を創造した万能の神であったのだ。 「カミ」はあまりにも慈悲深かったゆえ、我慢に我慢を重ねてきた。 そんな「カミ」を見守ってきた、「カミ」の長男であり、我々人類の長男である、月の「想い」である「テンシ」が半世紀前に地球上に降り立った。 爾来、多くのお仕置きが為されてきたが、一向に反省しない人類に、遂に最後のお仕置きをするために、再び「テンシ」が降臨しようとしているのだ。 「テンシ」が自ら降臨しようとしている。 その前に、嘗て「テンシ」が地球上に降りて来た時のことを、述べておかなければならないだろう。 「テンシ」が地球に降りてきたときのタイミングは絶妙なものだった。 ヨーロッパ諸国の各王朝が生まれてから約300年間、アフリカ・アジアの国を侵略し尽くしたあとの退廃がピークにきた時期だった。 今まで外国に目を向けていた各国の国民が自分たちの国の王朝に疑問を持ちはじめたのだ。 特に北の厳寒の国であったロシアのロマノフ王朝は、ヨーロッパ諸国の王朝の中で一番遅れて出来た王朝であり、ピヨートル大帝までは良かったが、その後余りにも厳しい気候が国民の間に大きな格差を生み、その王朝の滅亡を早めた。 しかし、幸いにもその前にフランスで革命が起きた。 フランス革命は明らかに王朝すべてに対する挑戦であった。 革命のリーダーシップを獲ったのは明らかに「テンシ」の仕業だ。 このフランス革命によって、ロシア革命は時期は別として決定的となった。 仮にロシア革命による共産主義国家が出来ていなかったとしても、ロシアの代わりにフランスが共産主義革命を起こしたことは間違いなく、その時はレーニンの代わりにフランスの英雄が革命の指導者になっていただけのことだ。 このふたつの革命は明らかに仕掛けられていたのである。 この頃にロシアで秘密裏に世界を転覆する会議が開かれ、その後の100年間に起こり得ることを偶然に見せかけ、実は確実に実現させるためのシナリオを書きあげた。 フランス革命もロシア革命もシナリオ通りに為されただけであり、その背後に「テンシ」の姿が見え隠れしていた。 フランス革命、ロシア革命の後に第1次世界大戦が勃発した。 世界大戦と呼ばれているが、これも陰謀だ。 イギリスのビクトリア王朝やフランスのブルボン王朝といった帝国主義列強国に出遅れたドイツ・オーストリア帝国のハプスブルグ家の皇太子が、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで暗殺されたのがきっかけだと言われているが、それは表面的な理由で、実体は帝国主義の覇権争いに過ぎない局地戦争だった。 そして世界大恐慌が起こり、この頃からイギリスにとってかわってアメリカが世界の覇権主義の頭をもたげだした。 これらすべての事件が偶然どころか、完全に意図的に仕組まれたものであることは周知の事実だ。 意図的に仕組まれたものが事実なら、そこに何らかの目的がある筈だ。 「テンシ」が後ろで糸を引いているなら、この一連の出来事の狙いは人種差別をし、帝国主義植民地政策を展開していった欧米諸国に対する最終的審判である筈だ。 欧米白人社会の世界制覇の継続を目的としたものなら、一般的に報道されているように、有色人種国家の台頭に対する牽制だろうが、それにしたらあまりにも手がこみ過ぎている。 「テンシ」の差し金だと断定せざるを得ない。 「テンシ」が地球に降りてから、地球はまさに殺戮の地獄絵の様相を呈した。 100年間で1億を超える人間が同じ人間に殺された。 1億を超える人間の死骸を並べると地球を5周もするほどのものだ。 地球を5周する人間の死骸の悪臭と人間の苦しむ想いで包まれた地球はもう生命体の住める場所ではない。 人間の死骸をそのままにしておくと酸化され、そのとき酸素を吸収し、大気の酸素は当然少なくなる。 酸素を吸って生きている人間にとって息苦しくなる。 地球自体の生態までおかしくなる。 有機生命体は精巧にできたものだが、死んだときが問題だ。 無機物質にも死があるが、分解されるのに多くの時間を要する。 特に放射性物質などは何十年、何百年もかかって分解していく。 有機物質はその機能が停止すると、すぐに分解してしまうから処理に困る。 人間以外の生命体は、生と死のバランスを自然がリサイクルコントロールしているが、人間の場合は排泄量が多過ぎ、リサイクルするひまがない。 それに大戦争で死骸がこれだけ一気に出ると、地球はゴミ捨て場になってしまう。 人間という動物は同じ仲間をどうして平気でこれだけ殺すことができるのか。 イエス・キリストが神の子だと自称したのは、地球の子は月の「想い」の「テンシ」と共通するところがある。 48の法則が96のプラス・マイナスの法則に分化すると、人間のようなマイナスのマイナスの事象の生き物が生じることを知っていたのかも知れない。 人間すべてを代表して、自分は神の子と言ったのかも知れない。 イエス・キリストが十字架に架けられた時、父なる神に恨みごとを並べた。 人類という動物は地球の有機生命体であるが、人間とは地球の子である月の無機生命体であるかも知れない。 法則、つまり、ルールが増えれば増えるほど、逆に罪が増えるのも法則のひとつのようだ。 人間社会でもルールが増えるごとに犯罪の種類が増える。 罪を犯させないために罰則を決めたルールが皮肉にも罪を増やす。 人間は地球に住むべき有機生命体でなく、月に住むべき無機生命体であったとするならば、人間がすでに一度自分の力で月に行っているにもかかわらず、その後いっこうに月に行こうとしないのはまだ自分たちの住む場所になっていないと判断して地球にいすわっているのかもしれない。 二十一世紀の人類の唯一最大のテーマは「地球との共生」という実に傲慢極まりないテーマである。 人類を地球と対等の立場に置いている。 言葉の遊びなど問題ではない。 地球の「想い」に人類の「想い」が通じるようにならなければならない。 我々人類は今まで、マクロの宇宙からミクロの宇宙までを探索することには腐心してきた。 結果、マクロの宇宙は137億年の歴史を持つことが判明し、太陽系は50億年の歴史を持ち、地球は46億年の歴史を持つこともわかってきた。 ミクロの宇宙はニュートリノの正体までわかり、マクロ宇宙からミクロ宇宙を貫く法則では、宇宙は膨張するだけではなく収縮する可能性もあり、収縮する宇宙になれば過去から未来へと流れる時間は未来から過去へと逆流することになる・・・いろいろなことがわかってきた。 しかし、肝腎の足下の地球のことは、まるでわかっていない。 我々人類には「心」があるように、地球にも「心」がある。 生きているということは動いていることだ。 生きているとは有機的だということだ。 動いているとは無機的だということだ。 生と死を対極に置くのは有機的世界の話であり、無機的世界では静止・運動の話に他ならない。 つまり、死とは静止であり、生とは静止・運動だけのことである。 我々が死と思っているのは有機的死に他ならず、無機的には相対静止・運動から絶対静止になるだけのことだ。 「心」とは静止・運動の繰り返しの中でお互いを投影し合う鏡という映像に過ぎず、それを「想い」と言い、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会を構築してきた中の方便として生まれた宗教では、「魂」や「霊」と嘯き、宇宙の実在の基本である「肉体」の上位に置くという傲慢極まりない愚行をしてきた。 地球の「想い」である「カミ」が先ず動き出したが、その元凶が「カミ」の子である人類の「心」にあったのを見逃した結果、「カミ」の長男である「テンシ」が怒り心頭になり、「カミ」の肉体である地球という星に降臨してきたのだ。 人類の「心」と「テンシ」との戦いが終末の戦争になることは言うまでもない。 二十世紀が人類同士の共食いであったとするなら、二十一世紀は地球の子供の兄弟喧嘩になるだろう。 共に骨肉の争いに変わりはないが、厳密に言えば、肉体の争いから、「想い」の争いに高度化したのである。 「想い」がはじめにありきで、現実があとに続く。 映像のメカニズムの基本である。 我々が現実だと思い込んでいるものが実は映像に過ぎない証左だ。 映画の製作の工程のはじめに「想い」ありきで、ロケで撮影をした映写フィルムはまだ静止画フィルムで、光の誕生と映写機の輪転によってはじめて、我々が現実と呼ぶ動画面の映画が映し出される。 夢とは現実に他ならない証左である。 現実とは夢に他ならない証左である。 夢を観ている真最中は現実だと想い、夢から醒めてはじめて夢だと気づく映像のメカニズムの一瞥を日々得ているにも拘わらず、我々人間は年々の夢、生々の夢、つまり、一生の夢のメカニズムを観て観ぬ振りをするのは何故だろうか。 「想い」がはじめにありきで、現実があとに続く。 と信じ込んでいるからだ。 霊や魂がはじめにありきで、肉体があとに続く。 と信じ込んでいるからだ。 宇宙はそうではない。 肉体がはじめにありきで、「想い」があとに続く。 二十世紀が人類同士の共食いであったとするなら、二十一世紀は地球の子供の兄弟喧嘩になるだろう。 共に骨肉の争いに変わりはないが、厳密に言えば、肉体の争いから、「想い」の争いに高度化したのである。 実在のメカニズムの基本である。 太陽も地球も月も人類もみな肉体という実在だ。 太陽と地球との間の公転運動によって地球の自転運動が起こり、地球の「想い」、つまり、「カミ」が誕生した。 地球と月との間の公転運動によって月の自転運動が起こり、月の「想い」、つまり、「テンシ」が誕生した。 地球と人類との間の公転運動によって人類の自転運動が起こり、人類の「想い」、つまり、「こころ」が誕生した。 肉体がはじめにありきで、「想い」がそのあとに続いた。 公転運動がはじめにありきで、自転運動がそのあとに続いた。 万有引力がはじめにありきで、重力がそのあとに続いた。 137億年前に我々の宇宙がビッグバンと言う大爆発によって誕生した際に、唯一の力が四つの力に分かれたが、その最初の分離によって生まれたのが重力だ。 唯一の力とは万有引力に他ならず、そのあとに続いたのが重力の所以だ。 公転運動のあとに自転運動が続いた。 「運動宇宙」の誕生だ。 「映像宇宙」の誕生だ。 「夢宇宙」の誕生だ。 だが、そのまえに「静止宇宙」があったはずだ。 だが、そのまえに「実在宇宙」があったはずだ。 だが、そのまえに「現実宇宙」があったはずだ。 我々は一体何をしているのだ。 我々人間は、科学万能だと信じ込む一方で、「魂」や「霊」などといったまやかしの宗教をも信じ込む。 支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度を堅持しながら、自由主義やら、民主主義やら、社会主義やら、共産主義やらと、まやかしの宗教を信じ込む。 政治に宗教が必ず付きものであった古代奴隷制度社会、中世封建荘園制度社会からの脱却が、近代自由民主社会共産主義社会であったが、実体は支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度の強化に過ぎなかったのだ。 イスラエル・パレスチナ問題はキリスト教・ユダヤ教対イスラム教の骨肉の争いに過ぎない。 インド・パキスタンのカシミール問題はヒンズー教対イスラム教の争いに過ぎない。 政治問題は宗教問題に過ぎない。 政治問題は形而下学的命題であるのに対して、宗教問題は形而上学的命題である筈なのに、形而下学的命題と形而上学的命題が混同されて戦争という悲劇が繰り返される。 「魂」や「霊」、つまり、「意識」がはじめにありきで、「肉体」はあとに続く、つまり、「借りもの」だとするまやかしの考え方が、人類を差別・不条理・戦争の世界に引き摺り込んできたのだ。 そのお釣りを、今人類が払わされようとしているのだ。 「テンシ」によって。 知的文明はおよそ1万年の歴史を持つ。 「想い」がはじめにありきで、現実があとに続く。 霊や魂がはじめにありきで、肉体があとに続く。 知的文明の基本的考えである。 人間社会に政治が生まれ、政治に宗教が加担したのが、知的文明の正体に他ならない。 地球はおよそ46億年の歴史を持つ。 肉体がはじめにありきで、「想い」があとに続く。 宇宙の基本である。 1万年の歴史を持つ人類の知的文明は今や瓦解する。 一文明の終焉だ。 止めを刺すのが、地球の子である月の「想い」である「テンシ」だ。 ヨハネの黙示録は言う。 “額に×印のついている者を破滅させよ!天から舞い降りて来る七人の使者によって、彼らを破滅させよ!そして新しき国を創造せよ!” 額に×印のついている者とは、“お金だ!お金がすべてだ!”と喚く、タルムード信仰に冒された超拝金主義者たちのことだ。 額に×印のついている者とは、この世的成功に価値を見出す、タルムード信仰に冒された超拝金主義者たちのことだ。 額に×印のついている者とは、霊や魂といった「意識」がはじめにありきで、「肉体」があとに続くといった宗教に冒された超拝金主義者たちのことだ。 彼らを破滅に追いやる七人の使者こそ、月の「想い」である「テンシ」なのだ。 知的文明を終焉に追いやる「テンシ」の行動は、天神社からはじまる。 |