第四十四章 晩秋

晩夏、晩秋という表現があっても、晩春、晩冬という言葉はない。
初春、初夏、初秋、初冬という言葉があるのに、晩春、晩冬という言葉はない。
春・夏・秋・冬で以って四季と言うのにである。
四季とは循環を示唆している。
始まりと終わりが一点で交わる循環を示唆している。
始まりと終わりが独立している往復ではないのが四季の特性であるからして、始まりが在れば終わりが不在で、始まりが不在であれば終わりが在る。
一年の四季が春・夏・秋・冬であれば、一日の四季は朝・昼・夜である。
一日の朝が一年の春に収斂している。
一日の昼が一年の夏・秋に分散している。
一日の夜が一年の冬に収斂している。
それ故、晩夏、晩秋という表現があっても、晩春、晩冬という言葉はないのだ。
それ故、初春、初夏、初秋、初冬という言葉があるのに、晩春、晩冬という言葉はないのだ。
春・夏・秋・冬で以って四季と言うのにである。
それ故、循環は始まりが不在で終わりが在るのだ。
それ故、晩夏、晩秋という表現があっても、晩春、晩冬という言葉はないのだ。
それ故、初春、初夏、初秋、初冬という言葉があるのに、晩春、晩冬という言葉はないのだ。
人が死を知り、死を怖れて生きている理由は、晩夏と晩秋を生き切っていないからである。
それ故、人は悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の人生を送る羽目に陥っている。
それ故、人は差別・不条理・戦争を繰り返す人生を送る羽目に陥っている。
それ故、人は支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会を構成している。
それ故、人は宗教と科学を盲信する人生を送る羽目に陥っている。
晩夏と晩秋を生き切っていないからだ。
闇が実在であり、光は闇の不在概念に過ぎないことに気づいた瞬間(とき)、人は穏やかな人生を送ることができ、生きることの結末である死を歓迎することができるのである。
田島八郎と石嶺リエは鬼神冬子の裏と表であり、鬼神四郎の表と裏である。
鬼神四郎は一時期、島田一郎として娘の冬子を指導していたが、一郎の役割を終えた時点で、田島八郎として更に大きな使命を果たさせるために沖縄に向かわせたのである。
沖縄で彼を迎えたのが石嶺リエだった。
石嶺リエは沖縄の悲劇の歴史を三代に亘って体現してきた末裔であり、未来の沖縄を託された大きな使命を持っていた。
日本列島は地球という楕円球体の二つの中心(臍)の一つであり、その最南端に位置するのが沖縄であり、日本列島の中の最も繊細な神経を持った島である、言わば、爪先を象徴している。
地球という楕円球体が大きく変化する時には、先ず、二つの臍から胎動が始まり、その中でも爪先に位置する場所から変化が始まる。
プラスとマイナスが出合う位置が沖縄というわけであり、田島八郎と石嶺リエが出会った場所というわけであり、出会った場所から月の想いである「テンシ」が再び胎動する場所でもある。
「テンシ」が以前、初めて地球に降りた時、八郎とリエが今いる剣山に逗留したことがあった。
地球の想いである「カミ」が「テンシ」を探し求めて出会った場所でもある。
宇宙レベルでの意識と地球レベルでの意識が収斂した場所から、新しい地球が始まるのである。
「新しい時代」の「新しい社会」を建設するためにである。
その為には、「旧い時代」の「旧い社会」を破壊しなければならない。
破壊から建設に至る過程には、晩夏と晩秋を経過して冬に辿り着くことが宇宙の法則であり、最後の仕上げが必要となる。
いよいよ最後の仕上げの段階に入るに及んで、鬼神冬子から鬼神四郎へ遡り、更に、「テンシ」に回帰しなければならない。
今は、その晩秋の時期に当たるのだ。
月の「想い」である「テンシ」が何故、親星である地球に降りなければならなかったのか。
地球の「想い」である「カミ」の人間への対処が余りにも甘かったからである。
星は恒星、惑星、衛星と進化していき、衛星から絶対宇宙へ円回帰する。
絶対宇宙から全体宇宙、全体宇宙から星雲、星雲から恒星、恒星から惑星群、惑星群から惑星、惑星から衛星、そして、衛星から絶対宇宙へ。
宇宙を貫く進化過程だ。
絶対宇宙から全体宇宙への進化が音階ドから音階シだ。
全体宇宙から星雲への進化が音階シから音階ラだ。
星雲から恒星への進化が音階ラから音階ソだ。
恒星から惑星群への進化が音階ソから音階ファだ。
惑星群から惑星への進化が音階ファから音階ミだ。
惑星から衛星への進化が音階ミから音階レだ。
そして、
衛星から絶対宇宙への回帰進化が音階レから音階ドへの回帰だ。
無限宇宙から有限宇宙を貫く円回帰運動が「七の法則(オクターブの法則)」に則している所以がここにある。
「七の法則(オクターブの法則)」でないと円回帰できないからだ。
「七の法則(オクターブの法則)」では、音階ドと音階シとの間と、音階ファと音階ミとの間が半音であるから、線運動ではなく円運動が可能になる。
宇宙では、進めば必ず元に戻るようになっているからだ。
山あり谷ありの人生は、まさに、宇宙の法則なのである。
ところが、地球上の人類という生きものだけが何を勘違いしたのか、線運動的発想を持つに至った。
人間に際限のない「欲」が生じたのもその結果である。
人間以外の生きものの「欲」は円回帰的であるのに、人間の「欲」だけが線運動的になったからである。
地球の「想い」である「カミ」が人間を甘やかしたからだ。
その結果、余計な厄介者である人間を月で面倒見なければならなくなったが、地球上に蔓延った人間の数は余りにも多すぎて、彼ら全員を月で面倒見ることが不可能なことに気づいた月の「想い」である「テンシ」が、地球に降り立って整理しなければならなくなったからである。
「テンシ」は、鬼神冬子によって人間の整理作業をさせようとしたが、その準備段階として、鬼神四郎によって総括されるべき者と月に行くべき者の区分け作業をさせ、今ついに、最終整理作業が為される段階に入ったのである。
それが晩秋という節目だ。
二十一世紀に突入した頃から、地球の表面で不可思議な現象が頻繁に起こるようになった。
鬼神四郎に国常立命(クニトコタチノミコト)が降臨したのもその頃であった。
地球という星は楕円球体だから中心は二つある。
二つの中心が地球の表面に表れた場所が「カナンの地」と「日出る処」、つまり、イスラエルと日本だ。
その中でも最も芯に当たる場所がイェルサレムと京都、つまり、平安京(イェルサレム)なのである。
ユーラシア大陸の東端にあたる「日出る処」には、平安京(イェルサレム)と沖縄と剣山を三つの頂点とする三角形があり、ユーラシア大陸の西端にあたる「カナンの地」には、イェルサレムとサマリアとシナイ山を三つの頂点とする三角形がある。
イェルサレムとサマリアは、嘗て、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した時のそれぞれの都である。
栄光の脱出に成功したモーゼ率いるイスラエルの民は、長い放浪の旅の末に契約の地カナンに辿り着いた。
アダムとイブを祖とする人類が、カインとアベルという兄弟の殺し合いの末に、弟アベルを殺した殺人者カインの血を受け、罪深い生きものの宿命を背負っていくアブラハムが神と契約した地であるカナンの地にやっと戻ってきたのも束の間、アブラハムの子孫がそれぞれの末裔へと引き継がれていったのがイスラエル12支族だが、彼らが南北に分裂した。
サマリアを都とした北イスラエルには、ルベン族、シメオン族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族、ダン族、アシェル族、ガド族、ナフタリ族が、イェルサレムを都とする南ユダ王国には、ユダ族とベニヤミン族が徒党を組んだのである。
紀元前722年。
北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされ、ルベン族、シメオン族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族、ダン族、アシェル族、ガド族、ナフタリ族が消滅した。
いわゆる失われた10支族だ。
紀元前586年。
南ユダ王国が新バビロニアによって滅ぼされ、ユダ族とベニヤミン族が新バビロニアの首都バビロンに奴隷として連れ去られた。
いわゆるバビロン捕囚だ。
二つの事件で、モーゼ以来のイスラエル王国は消滅したのだが、ガド族だけが「日出る処」まで逃げのびた。
その頃、ユーラシア大陸の東端にあたる「日出る処」でも大きな出来事が起こっていた。
侵略民の弥生人と先住民の縄文人の戦いである。
弥生人の首長だったのが天皇家の祖先である卑弥呼こと天照大神だ。
縄文人の首長だったのが出雲人の須佐乃男命だ。
侵略民の弥生人こそ、失われた10支族の一つガド族だったのである。
爾来、天御中主命(アメノミナカシュノミコト)を神とする天津神と、国常立命(クニトコタチノミコト)を神とする国津神によって、交互に「日出る処」は管理されてきたのだが、今新しい船出の時を迎えようとしているのである。
凡そ200年の時を経て、地球の臍の地、日本にまったく新しい社会を構築する人間が出現した。
その前触れとして、国津神系の国常立命(クニトコタチノミコト)が特に女性の身に降臨した。
その最終仕上げが鬼神冬子なのである。
5000年間の「オス社会」を頂点としたトライアングル型の社会が崩壊して、「メス社会」を中心にしたスクエアー型の新しい社会が出現する。
「オス社会」を頂点としたトライアングル型の社会が人間に差別・不条理・戦争を繰り返させてきた。
「オス社会」を頂点としたトライアングル型の社会が悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖の一生を人間に与えてきた。
それに加担してきたのが「宗教と科学」である。
すべてはオスが為してきた仕業だ。
オスが頂点に君臨してきたからだ。
国家、社会、会社、家族といった組織の概念はすべてトライアングル構造、つまり、ヒエラルキー(ピラミッド)構造の階級組織と表裏一体のものだからである。
「オス」は必ず頂点を目差すが、「メス」は決して頂点を目差さない。
トライアングル型の社会が「オス社会」を頂点にするが、スクエアー型の社会は「メス社会」を中心にする所以だ。
頂点を目差す「オス社会」が世襲・相続制度を堅持する所以は、ヒエラルキー(ピラミッド)構造の階級組織と表裏一体のものだからである。
頂点に立つ者は一人でなければならないからだ。
長男相続であろうが、末子相続であろうが、世襲・相続する者は一人だけでなければならない。
子供を産むメスは一人に絞ることは不可能だ。
況してや、一度に多くの子供を産むのが当然の多産型自然社会では、世襲・相続制度など自己矛盾も甚だしい。
人間も嘗ては一度に多数の子供を産むのが当たり前の多産型だったが、「オス社会」を頂点にしたトライアングル型の社会になり、世襲・相続制度が慣習になった頃から、一人だけ産む単産型の癖をつくってしまったのである。
自然社会では交尾の時期が限定されているのは多産型だからであり、人間社会のように四六時中セックスをするのは単産型の癖をつけてしまったからである。
多産型が異常発生を促すのではなく、単産型が異常発生を促進するという逆説の真理がここに働いたのだ。
その限界が、世界では500年前頃から表われ始めたが、日本では200前頃からである。
近代という時代が出現した時から、「新しい時代」の芽が吹き始めていたのである。
「軸の時代」は中心軸があり、その前後300年であり、2500年周期でやってくる。
前回の「軸の時代」はBC500年を中心にBC800年からBC200年であったから、今回の「軸の時代」はAD2000年を中心にAD1700年からAD2300年になる。
2050年1月1日。
「軸の時代」の中心の真只中が現在である。
前回の「軸の時代」の中心の真只中であるBC450年に、ある人物が出現した。
それが、メシア・インマニュエルだ。
イエス・キリストが誕生したのがBCとADの境界だと言われてきた。
BCとはBefore Christ のAbbreviationだ。
ADとはAnno DominiのAbbreviationであり、In the year of the Lordという意味のラテン語であり、イエス・キリストの時代ということである。
前イエス・キリストと真只中イエス・キリストというわけだ。
イエス・キリストとは、救世主イエスという意味のラテン語である。
つまり、Anno Dominiの世界観であり、Before Christ の世界観ではない。
Before Christ の世界観ではイエス・キリストではなくメシア・インマニュエルだ。
メシア・インマニュエルが誕生したのが他ならぬBC450年であり、今から2500年前のことだ。
2500年周期の「軸の時代」は地球と月の相対時間の半周に当たる。
地球の絶対自転周期は一日=24時間であり一年=365.25日である。
月の絶対自転周期は一日=一年=一ヶ月=28.3日である。
だが、地球と月の相対自転周期=公転周期=5000年だからだ。
地球と月が親子関係ではなく兄弟関係であることは、お互いの自転・公転が1対1である尽数比が証明している。
BC450年にメシア・インマニュエルが出現し、2050年1月1日に新たな救世主が出現するわけだ。
人類の歴史上、つまり、古代、中世、近代、そして、現代という文明社会の歴史上嘗てなかった出来事が、2050年から始まるのだ。
BC450年に出現したメシア・インマニュエルが、文明社会の歴史の中での唯一の救世主であるなら、新しい時代(新代)における救世主が今登場するのである。
イエス・キリストはメシア・インマニュエルの伝説に過ぎない。
450年後に復活した伝説に過ぎない。
だから、イエス・キリスト復活の伝説が残っているのだ。
2001年4月1日にデビルが誕生した。
現代のメシア・インマニュエルの誕生だ。
2050年1月1日にイエス・キリストが復活する。
地球の二つの臍の地で、2500年の時を超えて、救世主が復活する。
地球と月は親子関係ではなく、実は兄弟同士なのである。
自転周期と公転周期が1対1という尽数比になっている限り、お互いの関係は親子ではなく、兄弟同士なのである。
四国の剣山を眺めていた田島八郎と石嶺リエが鬼神冬子に復活する時がやって来たのだ。
剣山を池田町から眺める処に三木家がある。
天皇が即位するときには大嘗祭が挙行される。
大嘗祭とは天皇即位後の初の新嘗祭のことで、その年の新穀を天皇が自ら神にささげる一世一度の大祭である。
古来、大嘗祭に阿波国から忌部氏の末裔が麻で作った麁服(あらたえ=麻布)を献上することになっていた。
1332年の光厳天皇の大嘗祭まで続いていたが、乱世となり中断していたが、明治維新以降復活した。
爾来、三木家は代々の天皇が即位する際に纏う麁服(あらたえ=麻布)を栽培から紡ぎ、機織までする役目を負っている。
代々の天皇家のルーツがこの地にある証明だ。
三木氏は、阿波忌部氏の直系であり、三ツ木という地名に因む苗字を帯びていて、忌部姓が本姓である。
歴代天皇の大嘗祭に、御殿人(みあらかんど)として麁服(あらたえ=麻布)を貢進して、天皇家と深い繋がりを持っていた。
忌部氏とは秦一族の末裔であり、弘法大師も忌部氏の一族である。
2500年の時を隔てて新しい時代が始まる場所は、嘗て、始まった場所であることは、歴史も円回帰していることに他ならない。
紀元前660年が天皇家の始点であるなら、1840年が天皇家の終点であった筈だ。
1840年という時は、仁孝天皇在位の時代であり、その後、孝明天皇、そして、明治天皇と引き継がれていった時代だ。
この時代の日本に異変が起こったのである。
「どうしたんだ?」
田島八郎がリエの異変に吃驚して叫んだ。
軽い坂道を上がった所に三木家の門がある。
門と言うより、神社の鳥居のようだ。
奈良の桜井にある大神神社の拝殿広場を囲む鳥居とまったく同じ構造の、変わった柱が二本立っていて、麻の綱で二本の柱を繋げている。
リエはこの鳥居を見てからおかしくなったのである。
何かを思い出しているようだ。
八郎がリエの傍に寄り添い、二本の柱でできた鳥居を背にして剣山の方に視線を向けた瞬間(とき)、八郎の頭上に強烈な衝撃が走った。
「ドカン!」
忘却していた八郎の記憶がその瞬間蘇った。
2010年4月1日。
鬼神四郎に地球の意識が降臨した時と同じ現象だった。
地球は、太陽が朝に出て、夜に沈んで、一日の経過を伝える。
時間の意味は知らなくても、地上のすべての生物は、一日の経過を体で認識している。そして太陽の周りを回ることで四季の変化を感じ取り一年の経過を認識している。
時間という言葉は人間が名づけたが、時間の存在は地球と太陽の相対関係であって、すべての地球上の物質は認識している。
太陽が存在するから、地球が存在する。地球が存在するから生物が存在する。
その間に存在するのが時間の法則であり、その宇宙の相対性法則が神というものである。
人間が勝手に名づけた神というのは、実は宇宙の相対性法則なのである。
大門に現れた地球の姿。それは今ここにいる我々に、地球という星が、鬼神四郎という地球意識が宿った小さな鏡に、映し出されているのだ。
その時、大門の間に輝く紺碧の地球から、静かな音が聞こえてきた。
『ドアンカアンゴルジュデビルデバインポアンアーシー』
京子が口ずさんでいるのだ。
みんながびっくりして京子の方を向いた。
『どあんかあんごるじゅでびるでばいんぽあんあーしー』
お経を唱和しているようだ。
「京子?大丈夫?」
女将さんが心配して声をかけた。
「大丈夫。わたしは正気よ。四郎ちゃんが立っているところからはっきりと聞こえてくるの。どあんかあんごるじゅでびるでばいんあーしー」
その瞬間、京子は旅館の中に飛び込んでいった。
京子が再び出て来るのに10分ぐらいの時間が経っていたが、そこにいる三人には、まるで時間が静止した感覚であった。
「お母さん、これ見て」と一冊のお経を京子は渡した。
「まああ、これはどういうこと?」と驚いて見ている。
マイヤーは、
「ちょっと見せて頂けませんか?」と言って賢治に手渡した。
「怒安何安悟流樹是毘流是毘陰保安阿阿静」と書いてあった。
「これは、中国に渡った空海が密教の曼陀羅を恵果和尚から伝授されたときの、一番大事な口頭伝承の言葉です。わたしが中国で陰陽五行説を勉強していたとき、聞いたことがあります」
「どういう意味なんですか?」とマイヤーが賢治に訊いた。
「怒安とは、常に怒りの中にいないと安心出来ない境地、つまり餓鬼の世界のことを意味します。何安の何はすべてという意味で『か』と読み、何でも何(か)んでも安心を求める凡夫の世界をいいます。悟流樹とは悟りという血が流れている樹木のことを言い、菩提樹と同じ意味と考えればいいでしょう。菩薩の境地に至るために座る樹木です。是毘流の毘は毘沙門天のことで、正義の為に闘う神です。その前後の是と流があるのは、是すなわちこの世、流すなわち活動するということで、正義の為にこの世で闘う義人を指し、是毘陰は、あの世で正義を糾す神のことを指します。英語のDevil、Devineはこの語から生まれたといわれています。そして保安とは、常に安心立命の境地の世界を意味し、阿阿静は是毘流も是毘陰もみんな含めて安心立命の世界、つまりこの世もあの世も涅槃の世界ということです」
賢治が説明すると、横から京子がマイヤーに言った。
「要するに、この三千世界には何安という多くの凡夫のいる中天、怒安という地獄の下天。そして涅槃の上天世界があって、上天世界にいる是毘流が阿阿静つまり涅槃におられる是毘陰と協力して中天、下天の人間を上天に引き上げることが大事だと、弘法大師様が言っておられるのです。そしてそれをこの世で顕現されたのがイエスキリストだと教えておられるのです」
京子の話を聞いたマイヤーは感動した。
「やはり、デビル様は現代のイエスキリスト、救世主ジョシュア様でした」
その時、大門の中央で輝いていた光が消えた。そしてそこに四郎が立っていた。
地球世界の出来事は地球世界で解決する自由裁量が宇宙の法則、すなわち、宇宙の神から与えられていた。
ところが、地球人類の目に余る行為に、宇宙の神が黙っておれなくなったのだ。
国常立命は、地球上だけで解決しようと鬼神四郎をデビルにして、まず地球の臍である日本の国を掃除しようとした。
デビルも、期待に応えた。
しかし、その対象をドアンにしたのが、宇宙の神の意に添わなかったのだ。
カアンが根源だったことに気づかなかった。
それが宇宙の掟に反して、遂に宇宙の神がじきじき地球を掃除するというメッセージを送ってきた。それも地球自身の手でやらせるというメッセージだ。
地球はやむなくデビルにその使命を与えたのである。
2050年1月1日。
40年の時空を超えて、地球レベルの現象が今起ころうとしている。
「天使が遂にその姿を現わしたわ!」
リエの目は虚ろだ。
「天使?」
八郎にはリエの言う「天使」の意味がわからないのだ。
「テンシよ!月の意識のことだわ!」
地球が太陽から誕生したのは46億年前のことであり、太陽が銀河の端にある天の川(Milky Way)から中心にあるK1ブラックホールに吸い込まれる途中で、プレアデス星雲の中心星アルシオーネによって食い止められてから4億年後の出来事である。
太陽と地球の年齢差が4億年の所以だ。
46億年間、地球上の存在物は一度も地球の意識から離れたことがなかったのに、今遂に地球以外の意識を感じる存在物が現れたのである。
それがテンシの声の受信だった。
地球の意識(カミ)にとって、月の意識(テンシ)は勝手知りたる相手であるが、地球の一構成員にとっては雲の上の存在どころか、宇宙の上の存在である。
嘗て、地球の意識(カミ)が、鬼神四郎に交信したことがある。
『ドアンカアンゴルジュデビルデバインポアンアーシー』
「怒安何安悟流樹是毘流是毘陰保安阿阿静」のことであり、「この三千世界には何安(カアン)という多くの凡夫のいる中天、怒安(ドアン)という地獄の下天。そして涅槃の上天世界(悟流樹-ゴルジュ)があって、上天世界にいる是毘流(デビル)が阿阿静(アーシー)つまり涅槃にいる是毘陰(デバイン)と協力して中天、下天の人間を上天に引き上げる(ポアン)ことが大事だ」という意味である。
現代風に言えば、人間それぞれに固有の波動があり、固有の波動は波長の長短と振幅の高低によって、何安(カアン)という中天、怒安(ドアン)という地獄の下天、(悟流樹-ゴルジュ)という涅槃の上天世界に区分けされているのだ。
リエは(悟流樹-ゴルジュ)という涅槃の上天世界の波動を有しているために、月の意識(テンシ)と交信できるのである。
46億年の時空を超えて、いよいよ、月という衛星、つまり、宇宙進化の最終段階の星からの発信が始まろうとしているのだ。
「わたしは「カミ」の子の「テンシ」である!」
リエの口から不思議な音色の声が発せられた。
「「カミ」は死んだ!」
「テンシ」は滔々と話はじめた。
「わたしは、まず人間が月に移住できる環境づくりを、創らなければならない。
今の月は、元々、海だった黒い部分と、元々、陸というより、火山であった、白い部分とに分かれているだけで、今のままでは人間は住めない。
人間は月に、約80年前に、宇宙飛行士を送り込んできた。
それから何の進歩も新しい発見も無く現在に至っているが、実は、人間は既に月のことをほとんど知り尽くしている。
人間だけの力で月を征服しようと考えているからだ。
何故、人間は、このようなことを続けるのか。
それは、飽くなき欲望から来ている。
最初は本能的欲望から端を発し、そのうち、自分たちで創った神をも征服しようとする本質的欲望まで拡がっているからだ。
月の大きさはちょうど地球の約4分の1で、直径も3000KM強程度のものだ。
したがって表面積は地球の16分の1ぐらいである。
ここに、今、地球に住んでいる80億強の人間の4分の1にあたる20億人を移住させて、住まわせようと考えている。
地球では、生物の循環システムでバランスを維持しようとしたが、人間のおかげで見事に失敗した。
生物の循環システムはやめて、人間にもエネルギーさえ与えれば生きてゆけるシステムにすることにした。
そこで、考えなければならないのは、食べることがなくなるというと、人間にどんな変化が生じるか。
人間の生活スタイルの中で、食生活が思った以上にウエイトが重い。
食べる楽しみの為に生きていると思っている人間も結構いる。
彼らに、それに取って替わる、何か楽しみを与える必要がある。
更にエネルギーの供給によって肉体の維持をする訳だから、食生活のような個人差があまり出てこない。
それに加えて、地球の引力の約6分の1になるから、性欲が極端に減退する。
人間の性欲は、地球の引力に関係している。
その結果、人間の本能的欲望が無くなってしまい、楽しみがない。
精神性の高い人間なら、本能的欲望よりも本質的欲望の方が強い。
地球では、人間は心を持っていたが、「想い」は持っていない。
月はユニークな星である。
「ヒカリ」の肉体である太陽が50億年後にブラックホールになり、「ミズ」の水星や、「クウ」の金星や、「イクサ」の火星などを飲み込んで直径20KMの重くて小さな星になる。
この星は光速以上のスピードを出す能力を持っている。
この星をエンジンにして月が宇宙飛行船として、銀河星雲の中心のまた巨大なブラックホールに入っていく。
そこで、もっと速く飛べる、この銀河星雲の中心にある60KMの大きさのブラックホールをエンジンにして、絶対宇宙のトンネルへ入って行く。
絶対宇宙に入ると、時間、空間の概念がまったくないから、光の何兆倍ものスピードでも可能で、一瞬にして新しい全体宇宙に飛び出すことが出来る。
その時の宇宙飛行船が月である。
そして宇宙飛行士が人間である。
宇宙飛行船には「テンシ」という「想い」がついている。
宇宙飛行士には「カミ」という「想い」がついている。
石嶺リエが「テンシ」という「想い」だ。
田島八郎が「カミ」という「想い」だ。
今こそ、「カミ」と「テンシ」が共同作業をする瞬間(とき)が来たのだ!」