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第六章 人間の誇り ジープを降りたマッカーサーは兵庫に両手で握手を求めた。 「You returned as you promised, didn't you?(約束通り戻ってきたね!)」 「Where I promised to return was not here but Manila.(必ず戻ってくると約束したのは、ここではなく、マニラだよ」 「I thought you should return to see me at anywhere else.(わたしに必ず会いに戻ってくるとばかり思っていたよ)」 「You are quite right!(確かにそうだね)」 二人が誰もいないエレベーターに乗り込むと、マッカーサーから敢えて石嶺礼子の話を切り出した。 「石嶺礼子と君は一体どんな関係なんだい?」 穏やかな表情の兵庫の顔が急に厳しいものになった。 「石嶺礼子は私の娘だ!」 マッカーサーは我が耳を疑った。 「何だって!」 エレベーターのドアーが開くと、目の前に女性が立っていた。 「石嶺小百合さんだ!」 淡々と言う兵庫の顔をまじまじと眺めるマッカーサーに、女性は深々と頭を下げた。 「石嶺礼子の母です」 十八才の時に陸軍士官学校に入り、二十三才で陸軍少尉になって以来、六十数年間の軍人としての人生の中で、軍人であったことを恥じたことは一度もなかったマッカーサーが、自分の部下が自分の恩人の娘を殺したも同然であることを悟った時、軍人であることをはじめて恥じた。 目の前にいる日本人に一言も発することが出来ない彼は、五ヶ月前の9月27日のことを思い出していた。 「現人神」と呼ばれている人物に会った日だ。 「現人神」の肉声を聞いたことがなかった日本国民は、8月15日の玉音放送ではじめて聞いたのである。 『朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。 (私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良な国民に通告する) 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。 (私は日本政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告させた) 抑々、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。 (そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々とともに栄えることを喜びとすることは、先祖から行ってきたことであって、私もそのように努力してきた。先に、米国・英国に宣戦布告した理由も、日本の政治的・経済的自立と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない) 然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公各々最善を尽くせるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。 世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。 (しかしながら、四年間の戦争で、われわれ陸海軍将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員の勤勉、一億国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦争における状況は芳しくなく、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、何の罪もない非戦闘員を多く殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それでもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そうして人類文明も破壊されることになってしまうだろう) 斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。 (このような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができるだろうか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるよう命令した理由である) 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。 (私は日本とともに終始、東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない) 帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想を致せば五内為に裂く。且、戦傷を負ひ、災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。惟ふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す。 (日本国民で戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、いうまでもなく大変なものになる。国民の負けたくないという気持ちも私はよく知っている。 しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う) 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ、情の激する所、濫に事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。 (私は、ここに国体(天皇制)を守り通して、忠義で善良な国民の真心を信頼し、いつも国民とともにある。もし、感情的になって争い事をしたり、国民同士がいがみあって、国家を混乱に陥らせて世界から信用を失うようになることを私は強く懸念している) 宜しく挙国 一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏くし誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。 (国民よ、どうか団結して子孫ともども固く、神国日本の不滅を信じ、道は遠いが責任の重大さを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心や志操を固くして、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければならない。あなた方国民はどうか私の気持ちを酌んで理解してほしい。)』 GHQ本部に自らやって来た「現人神」を、マッカーサーは「命乞い」に来たと思っていたが、「現人神」は指しで勝負しに来たのだ。 玉音放送で国民に訴えた自らの心情を証明するために、自らの命を張った相手がマッカーサーだった。 マッカーサーは「現人神」を前にして思った。 『戦争に勝つことに腐心するのが軍人の使命だと思って生きてきた。 若し、それが軍人の使命だとするなら、軍人とは如何に卑小な使命しか持っていない人種なんだろう・・・』 1946年1月1日。 今上天皇は「人間宣言」を行い、「現人神」としての自己の神格を否定した。 それから一ヶ月後、マッカーサーは海部兵庫から一通の電報を受け、ワシントンから沖縄に向かった。 軍人としての誇りを失いかけていた彼に、更に拍車を掛けたのが、海部兵庫との再会だった。 人としての誇りとは、一体何であろうか。 何かを失うことで誇りを得、何かを得ることで誇りを捨てる。 「現人神」から日本の支配権を得た自分が人としての誇りを失い、日本の支配権を失った「現人神」が人としての誇りを得たような気がしたマッカーサーだった。 人としての誇りを失った彼に容赦なく襲ってきたのが兵庫との再会であったが、すべてを失った日本にとっては幸運の恵みとは、誰がその時予想しただろうか。 |