第二十六章 次元世界の罠

「テンシ」は「デビル」の名を駆使して実に巧妙な策を弄した。
「鬼の掟十七条」は突き詰めてみれば三元論的発想が凝縮されたものであり、火星の衛星・運(ウン)の「想い」である「デビル」しか出来ない。
鬼神四郎が「デビル」と呼ばれた所以がここにある。
この世の中は二元論的に構成されているが、二元論の本質を理解していない人間が圧倒的に多い。
一般大衆と呼ばれる連中がみんなそうだ。
この世の中が圧倒的多数の被支配階級の人間で構成され、その上に少数の支配階級の人間が君臨している理由は、二元論の本質を理解している者とそうでない者との違いである。
自分が支配階級側に属している人間か、被支配階級側に属している人間かの判定は、二元論の本質を理解しているかいないかでできる。
生きることに執着して、死を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
オスであることに執着して、メスを蔑んでいる人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
善に執着して、悪を忌み嫌っている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
強者であることに執着して、弱者を蔑んでいる人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
賢く生きることに執着して、愚かを忌み嫌っている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
お金持ちに執着して、貧乏になるのを恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
幸福に執着して、不幸を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
天国に執着して、地獄を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
神に執着して、悪魔を忌み嫌っている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
健康に執着して、病気を恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
そして、
支配することに執着して、奴隷になることを恐れている人間は、所詮、被支配階級側に属している人間だ。
三元論的発想ができるようになるには、先ず、二元論の本質を理解することから始めなければならない。
火星の衛星・運(ウン)の「想い」である「デビル」しか三元論的発想ができない証が、鬼神四郎がつくった「鬼の掟十七条」に集約されている。
特に十七条が象徴的だ。
第十七条
  凡そ、人間といえども天と地の間を吹き抜ける砂塵のごとし、砂塵にどこへ行くかを決める資格なし、よって人間が人間の掟を決めること能わず、掟を決めるのは天と地の間を吹き抜ける鬼神のみ

自己の世界で生きているものにとって、たとえ、それが一元論の世界でも、二元論の世界でも、自己の世界が唯一無二のものと錯覚してしまうものだ。
それが一元論、二元論の所以でもあり、三元論の世界はそういった錯覚を一切しない世界なのだ。
一元論の世界で生きているものも、二元論の世界で生きているものも、自分たちを唯一無二と想い込んでいる。
二元論の世界の人間は一元的な発想しかできないから、好いとこ取りをするのである。
二元論の本質である表裏一体感を体得できれば、三元論の世界の登龍門を潜ったことになる。
二元論の世界は一元論的運動しかできない所以だ。
N元論の世界は(N−1)元論的運動しかできない所以だ。
だから立体の世界は平面運動しかできないのである。
三次元立体の宇宙が平面渦巻き運動しかできない所以である。
三元論的発想ができるには、四次元世界を体得するしかない。
それができるのは、火星の衛星・運(ウン)の想いである「デビル」だけなのである。
人間という生きものだけが善悪の判断をして、その判断が間違っていない正しいことだと何の疑いもなく信じ込んでいる。
しかも、殆どすべての人間が、“自分は正しい”と思い込んでいる。
人間社会だけに差別・不条理・戦争が存在する理由はこの思い込みにあるのに、誰も気づいていない。
暴力団やヤクザといった連中の方がまだましである。
何故なら、彼らは自分たちのやっていることを自覚しているから。
自覚している人間を更正させる方法はいくらでもある。
自覚していない人間を更正させる方法は殆ど皆無。
特に自分で善を為していると思い込んでいる偽善者を更正させるのはほぼ不可能である。
自分が偽善者であるかどうかを判別するバロメーターは、殺す行為は無条件に悪とするかどうかで決められる。
“殺すことは悪である”と無条件で判断する人間は全員偽善者だ。
“状況によっては殺すことも悪ではない”と条件付きで判断する人間は偽善者ではなく、寧ろ、偽悪者である。
偽善者が人間社会を差別・不条理・戦争の世界にした。
偽悪者は人間社会を差別・不条理・戦争の世界から解放することができる。
「国常立命(クニトコタチノミコト)」が鬼神四郎に指令した言葉をもう一度思い出すがいいだろう。

『デビル。お前の名前はデビルと言う。お前は、わしの分身じゃ。
お前は、わしの指図通りに行動しているだけで、それが小汚い人間どもの世界では悪いことだと言われていても、気にすることはまったくない。
自然が天変地異で人間の命を奪っても、人間は自然を殺人罪で捕まえることは出来ないであろう。
まともな人間なら、その時、自分たち人間が自然の摂理から逸脱する行動をしたから天罰を受けたのだ、と反省するだろう。
人間が人間を殺すと、いかなる理由であっても殺人罪になるというのは間違っておる。
それならどうして人間が戦争をして大量の殺戮をしても殺人罪にならないのだ。
人間社会も以前はそんな決まりはなく、それよりも自然の摂理をはずれた行為をしたら殺されるのが当たり前だと思っていたのじゃ。
それが人間どもだけが勝手に自分たちの掟を決めおって、まったくけしからん!
掟というのは自然が決めることで、たかが人間ごときが決められるような軽いものではない。
お前は人間の決めおったルールを破っただけで、自然の掟は破っておらん。
人間のルールなど老若男女全員が破っておる。
そのようなルールなど破られるためにつくったようなくだらんものだ。
それより自然の掟を知ることが一番大事なことじゃ。
自然の掟というのは、結局、この大宇宙の法則のことじゃ。
その大宇宙があまりにも大き過ぎるので、その掟を、宇宙のスケールに合わせて細分化したのじゃ。
だからお前たちが住んでおる地球にも宇宙の掟の一部が、地球の掟として厳然とあるのじゃ。
よいな、まず地球の掟を知り、その掟に添った行動をすることじゃ。
わしは、それを今まで、いろいろな人間に教えてやってきたが、彼らの力不足で実行するまでに至らなかった。
だから仕方なくお前の体を借りて自ら実行することに決めたのじゃ。これからお前が想い、行動することは、すべてわしが想い、行動することである。そのこと、よくこころしておくのじゃ』