第三章 戦争の非情

1946年1月22日。
嘉手納米軍キャンプ軍事法廷。
原告:石嶺礼子
被告:リック・サンダー曹長
   ジェイソン・ウェイン軍曹
   マイク・レナード伍長
原告側弁護人・屋良優平は起訴状を読み上げていた。
「原告・石嶺礼子は去る5月27日、日本陸軍から看護婦としての労働を強いられ、摩文仁岳の洞窟にて看護に従事していた。
折しも沖縄上陸後、南進していた連合軍が摩文仁岳の洞窟に集中砲火を浴びせ、洞窟に突撃した被告・アメリカ陸軍第三師団のリック・サンダー曹長・ジェイソン・ウェイン軍曹・マイク・レナード伍長は洞窟入り口で爆風に飛ばされた原告を発見した。
沖縄師範学校女子部の学生であった原告の姿を見た被告は、治療を装って原告の体に触れ、意識朦朧としている原告に野獣の正体を露にした挙げ句、輪姦の途に出た。
1899年のハーグ条約での「戦争のルール」に基づけば、敵国の民間人に対する如何なる戦闘行為若しくはそれに準ずる行為は厳禁されている。
それにも拘わらず、被告の原告に対する「戦争のルール」を無視した行動が、ハーグ条約の国際法に抵触したことは明白である。
ここに原告の法的代弁人は、被告に対する厳罰処置をされんことを、連合軍事法廷に訴えるものである。

1946年1月22日      原告:石嶺礼子・法的代弁人:屋良優平」

アメリカ陸軍・日本海戦司令長官ポール・ヘストン中将(Lieutenant General)は本国大統領府から一通の電報を受けていた。
「ヘストン中将!ジャップスを徹底的に家畜(ゴイム)扱いするんだ!」
『ワシントンからの言葉とは思えない!』
ヘストン中将は吐き捨てるように呟いた。
被告への尋問からはじまった被告側弁護人・ウィリアム・アルトマンがリック・サンダー曹長に訊いた。
「原告を最初に抱いたのは、あなたですか?」
「はい、そうです」
リック・サンダー曹長が答えた。
「レイプしていると思いながら原告を抱いたのですか?」
「いいえ!彼女の方から誘ってきたからです」
間髪を入れずに曹長が答える。
屋良弁護士の横に座っていた石嶺礼子の頬が引き攣った。
屋良弁護士が手を挙げて裁判長に訴えた。
「裁判長!逆誘導尋問です!」
「原告側の異議を却下する!」
裁判長が木槌を叩いて穏やか且つ冷静に言った。
アルトマン弁護士が続ける。
「何故彼女の方から誘ってきたと思ったのですか?」
事件現場を再現するのがアルトマンの狙いである。
「彼女の両腕がわたしの肩を抱いていたからです」
石嶺礼子が顔を両手で覆って泣き出した。
アルトマンはほくそ笑む。
・・・・・・・・・・・・・。
「ウェイン軍曹!原告を二番目に抱いたのはあなたですか?」
アルトマンが尋問を楽しんでいる様子は誰の目にも明白。
「はい、そうです」
ウェイン軍曹が不敵な笑みを浮かべながら答える。
「輪姦であることを承知の上ですか?」
アルトマンが矛先を変えた。
「輪姦とは思いませんでした」
ウェイン軍曹が笑い声で答える。
アルトマンが期待に胸を膨らませて次の質問を楽しんでいる。
「何故輪姦だとは思わなかったのですか?」
「サンダー曹長の肩を抱いていた彼女の腕が、わたしを誘っていたからです」
石嶺礼子は耳を覆い、泣き崩れた。
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「レナード伍長!あなたは15才の少女を抱いた罪の呵責がなかったのですか?」
アルトマンが再び矛先を変えた。
「彼女は処女ではなかったからです!」
黒人兵士のレナード伍長の発言で法廷全体がどよめいた。
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「裁判長!原告の尋問を行いたいのですが、御許可下さい!」
アルトマン弁護士が勝ち誇った態度で叫んだ。
「裁判長!原告は尋問に耐え得る状態ではありません!」
「原告側の異議を却下する!」
屋良弁護士の必死の訴えにも拘わらず、裁判長によって無惨にも却下された。
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「事件当時の原告は処女でしたか?」
「異議あり!人権侵害です!」
屋良弁護士の訴えも、娯楽場と化した法廷では空しい叫びでしかない。
「本裁判にとって最も重要な質問であるから、原告側の異議は却下する!質問を続けなさい!」
裁判長は最早ポルノ映画の監督にでもなった様子。
判決の決定要因が石嶺礼子の処女性に因ると判断したアルトマン弁護士は、事件前の彼女の男女交際歴を調べた結果、勝訴の確信を得ていた。
「事件当時の原告は処女でしたか?」
アルトマン弁護士の執拗な質問に石嶺礼子は遂に屈した。
「いいえ!違います!」
項垂れながら答える彼女にアルトマン弁護士は更に追い打ちを掛ける。
「事件当時のあなたは処女だったか、処女でなかったかを訊いているのです!」
「処女ではありませんでした・・・」
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「尋問を終わります!」
アルトマン弁護士が静かに言った。
11人の陪審員による判決は無罪であった。
無罪を勝ち獲った被告たちは、翌日アメリカ本国に送還された。
1946年1月27日午前7時。
「ウーン!ウーン!ウーン!」
哀しいサイレンを発した救急車が安謝川(あじゃがわ)の河口で停車した。
石嶺礼子が安謝川(あじゃがわ)に身投げ自殺をしたのである。
臨月に入っていた礼子は胎内にいる子供と心中を図ったのだが、皮肉にも、新しい生命(いのち)は一命を取りとめた。
石嶺夏子の誕生である。
新しい生命(いのち)が戦争の非情さの中で生まれたのである。