第三十章 男性社会の限界

リエは心身ともに確かに女だったが、今その殻を破ろうとしている。
八郎は心身ともに男女であり続ける。
情、つまり、愛情とは心身ともに男女の者しか持ち得ない。
血肉の情を愛情と勘違いしている人間は真の愛情が奈辺にあるのかまったく自覚できない。
男の気持ちは女にはわからないし、女の気持ちは男にはわからない。
では、男に憧れ、女を忌み嫌う男性社会を維持するのは何故だろうか。
“死んだ者は生きたことと死んだことの両方を経験しているから、生きている者の気持ちも死んだ者の気持ちも両方わかっているし、生・死問題という一枚のコインの本質もわかっている。”
人間はこの考え方を支持しているから死を忌み嫌っているのだが、実はそうではない。
そうであるなら、“女は男と女の両方を経験しているから、女の気持ちも男の気持ちも両方わかっているし、男・女問題という一枚のコインの本質もわかっている”という考え方が、女を忌み嫌う原因であり、実はそうではないことになる。
結局の処、
男の気持ちは女にはわからないし、女の気持ちは男にはわからない。
男・女問題という一枚のコインの本質が見事に観えてくる。
生まれた時から死ぬまで、男は男であり続け、女は女であり続けた場合に限って、男の気持ちは女にはわからないし、女の気持ちは男にはわからないのである。
男・女問題という一枚のコインの本質は、男は生まれた時から死ぬまで男であり、女も生まれた時から死ぬまで女であるという点にある。
では、男は生まれた時から死ぬまで無条件に男でいられるだろうか。
自然と一体感で生きている他の生き物の世界はメス(女)社会である。
自然と一体感で生きていない人間の世界だけがオス(男)社会である。
結局の処、メス(女)社会とは自然との一体感であることに他ならず、オス(男)社会とは自然との一体感を失う、つまり、部分観であることに他ならない。
自然とは地球のこと。
真の親である地球との一体感とは、真の親である地球の想いである重力を感じる。
真の親である地球との一体感を失って、真の親である地球の想いである重力を感じることが出来なくなった人間だけが、生まれてから死ぬまでオス(男)社会を続け、挙句の果てに、臆病な男(オス)の死に至るから、死を怖れる。
オス(男)にとって死は自己の消滅であり、メス(女)にとって死は自己の引継ぎに過ぎない。
オス(男)社会が支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会をつくった理由がここにある。
支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別社会に生きている人間は、オス(男)によって自己の存在証明が可能だと信じている。
この考え方は実は幻想に過ぎない。
男・女問題という一枚のコインの本質は、真の親である地球の重力を感じることで地球との一体感を持つ他の生き物は生まれた時から死ぬまでメス(女)社会であり、真の親である地球の重力を感じることが出来ない部分観を持つ人間だけが生まれた時から死ぬまでオス(男)社会であるという点にある。
メス(女)社会の他の生き物の気持ちはオス(男)の人間にはわからないし、オス(男)社会の人間の気持ちはメス(女)社会の他の生き物にはわからない。
だから、他の生き物は死を知らないのに、人間だけが死を知り、死を怖れて生きている。