第三十九章 売国奴ミケランジェロ

ミラノ公、ルドヴィーコ・イル・モーロがパスティールに言った。
「レオナルドに、我が娘の夫で、傭兵隊長のフランチェスコ・スフォルツァを弔うために、スフォルツァ家の菩提所サンタマリア・デレ・グラツィエ教会の食堂に、イエスの最後の過ぎ越しの食事の絵を描いてもらうことにした」
パスティールはレオナルドから事前に聞いていたことを思い出していた。
「パスティール、君にもミラノ公から依頼があると思うよ」
レオナルドは憂鬱そうな表情で言う。
「君は、もうフィレンツェを見放して、ローマに行くのかい?」
レオナルドはフィレンツェとピサの中間にあるヴィンチ村で生まれた。
パスティールが生まれたシエナの真北の町で、メディチ家に支援を受ける前から、お互いに知己の関係であり、レオナルドが悩んでいることを知っていた。
レオナルドのライバル、ミケランジェロ・ヴォナローティーは、レオナルドが「最後の晩餐」を完成した直後から、イエスが十字架から下ろされ、聖母マリアに抱き抱えられた彫刻像・ピエタの創作を開始して、1年余りで完成させた。
「あんな絵なら、そこいらの下人でも描ける。俺は彫刻でイエスとマリアを表現してみせる!」
ミケランジェロも、メディチ家のロレンツォが死んだ後の当主ピエロの支援を受けていたが、サヴォナローラの圧力で、ピエロはミケランジェロの支援を中止した。
ミケランジェロのレオナルドに対する嫉妬心が、一層ライバル心を掻き立てたのである。
「いや、フィレンツェから離れないよ」
レオナルドの拠点は飽くまでヴィンチ村であったが、後年、フィレンツェの名門ジョコンダ家当主の妻リザの肖像画の製作を要請され、1502年、正式にフィレンツェに移るまでは、ヴィンチ村で隠棲生活をしていた。
隠棲生活する理由があったからで、パスティールはその理由を承知していた。
ミケランジェロのレオナルドに対する反発心の大きな理由も、ここに潜んでいた。
「どうして、僕が、ミラノ公から呼び出されるのかい?」
レオナルドはしばらく沈黙を保っていたが、徐に口を開いた。
「ヴァチカンに対するアンチテーゼだよ?」
パスティールはレオナルドの意図を計りかねていた。
「宗教に対して哲学で応酬したいのではないかと思うのだが・・・」
「僕は哲学者ではないし、ソクラテスやプラトンの本を読んだこともないのに、何故、僕が哲学なんだい?」
訳がわからなかった。