第九章 沖縄への罪償い

連合国軍最高司令官司令部(GHQ)に戻ったマッカーサーは、ホワイトハウスの司令を無視した行動に出ると共に、特別プロジェクトチームを秘密裏に編成した。
特別プロジェクトチームの主査を選定するに際して、彼は連合国軍最高司令官司令部(GHQ)ビルの前に拡がる宮城に目をやり呟いた。
『この世で信頼できる人物は唯一あの方しかいない!』
マッカーサーが最も信用できる部下であり、彼の運転手でもあったマット・ウェイン軍曹がGHQ総司令官室のドアーをノックした。
「君はスタンフォード大学で法律を専攻した筈なのに、上級士官候補を固辞したらしいね?」
軍曹は黙って直立している。
「君の生家があるサンフランシスコは日系人が多く住んでいることで有名であり、ルーズベルトが大統領命9066号を発布した1942年に、君は一志願兵としてアメリカ陸軍に入隊したと記録にあるが・・・」
額に汗が噴き出ている軍曹にマッカーサーは優しく言った。
「私は、君が憂慮している事態と反対の立場にいることを、先ず伝えておこう・・・君の両親の生家はカリフォルニアのツールレイクにあるらしいね?」
マット・ウェイン軍曹は観念した様子で、徐に口を開き始めた。
「自分の両親は南ダコタ州スーフォール(Sioux Falls)のスー(Sioux)族出身のアメリカン・インディアンです」
マッカーサーは満足気に頷き、部屋の天井を見上げながら、独り言を呟き始めた。
『今から、連合国軍最高司令官司令部(GHQ)は表の顔と裏の顔を持つことになり、裏の顔は日比谷通りの向かい側の主人と秘密裏に交信することが主なる任務になる・・・裏の顔の主人は私の前に立っている人物である・・・』

マッカーサーの密命を受けたマット・ウェイン軍曹が寝食を忘れて資料づくりに没頭していた間、表の顔の主人は一転してホワイトハウスの良き僕の振りをし続けていた。
「連合国軍最高司令官司令部(GHQ)総司令官!極東国際軍事裁判はいつ行われるんだ?」
ワシントンのトルーマンが東京のマッカーサーに迫る。
『日本より先に降伏したナチス・ドイツの軍事裁判もまだされていないのに、日本の戦犯の軍事裁判を督促するとは・・・』
内心忸怩たる想いのマッカーサーであったが、GHQの裏の顔の主人のことを考えると、大根役者の彼でも名演技ができるものである。
「来る4月29日の日に、ポツダム宣言第10項の戦犯処罰規定に基づいて、極東軍事裁判条例により、11ヶ国の連合国名によって、『平和に対する罪』『殺人と通例の戦争犯罪』『人道に対する罪』の三つの起訴を行う予定にしており、特に29名のA級戦犯及びB級C級戦犯リストを作成中です・・・29名のA級戦犯者の名前を申し上げましょうか?」
受話器の向こう側は沈黙を保ったままだったので、東京の主人がひとり一人のA級戦犯名を言上しようとすると、聞き取り難い低い声でワシントンの主人が口を開いた。
「そのA級戦犯の中から一人の人物を最終的には不起訴処分にするんだ・・・いいな!」
表と裏のGHQが誕生して以来、マッカーサーの仕事はワシントンを欺くことにあったから、ワシントンからどんな無理難題を投げられても、脳味噌を凍結させる術を会得していた。
『また何か企んでいるな・・・』
腸が煮えくり返る想いを押し殺して、大統領閣下に謹んで返事するGHQ総司令官であったが、ちょうどその頃、資料づくりに専念していた裏の顔の主人が、やっと資料を完成させたのである。
マット・ウェイン軍曹は草稿を何度も読み直しながら、表の顔の主人の腹の底を考えていた。

『Draft of Agreement between Japan and the United States of America Concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islands.

Japan and the United States of America,

Noting that Japan and the United States of America shall review together on coming a certain date the status of the Ryukyu Islands and the Daito Islands, referred to as "Okinawa"
in the Joint Communique between the Government of Japan and the Government of the United States of America should enter into consultations regarding the specific arrangements for accomplishing the early reversion of these islands to Japan;

Noting that the two Governments should all conduct such consultations and affirm that the reversion of these islands to Japan be carried out on the basis of the said Joint Communique;

Considering that the United States of America desires, with respect to the
Ryukyu Islands and the Daito Islands, to relinquish in favor of Japan all
rights and interests.

Considering further that Japan is willing to assume full responsibility and authority for the exercise of all powers of administration, Legislation and jurisdiction over the territory and inhabitants of the Ryukyu Islands and the Daito Islands;

Therefore, should be agreed as follows:

Article I

1 . With respect to the Ryukyu Islands and the Daito Islands, the United States of America relinquishes in favor of Japan all rights and interests on coming certain date,

effective as of the date of entry into force of this Agreement. Japan, as of such date, assumes full responsibility and authority for the exercise of all and any powers of administration, legislation and jurisdiction over the territory and inhabitants of the said islands.

2. For the purpose of this Agreement, the term "the Ryukyu Islands and the
Daito Islands" means all the territories and their territorial waters with
respect to which the right to exercise all and any powers of administration,
Legislation and jurisdiction was accorded to the United States of America
with Japan other than those with respect to which shall also return to Japan concerning the Amami Islands and the Agreement concerning Nanpo Shoto and Other Islands shall be signed between Japan and the United States of America,


Article II

1 . Japan recognizes the validity of, and will continue in full force and effect, final judgments in civil cases rendered by any court in the Ryukyu Islands and the Daito Islands prior to the date of entry into force of this Agreement, provided that such recognition or continuation would not be contrary to public policy.
2. Without in any way adversely affecting the substantive rights and positions of the litigants concerned, Japan will assume jurisdiction over and continue to judgment and execution any civil cases pending as of the date of entry into force of this Agreement in any court in the Ryukyu Islands and the Daito Islands.
3. Without in any way adversely affecting the substantive rights of the accused or suspect concerned, Japan will assume jurisdiction over, and may continue or institute proceedings with respect to, any criminal cases with which any court in the Ryukyu Islands and the Daito Islands is seized as of the date of entry into force of this Agreement or would have been seized had the proceedings been instituted prior to such date.
4. Japan may continue the execution of any final judgments rendered in criminal cases by any court in the Ryukyu Islands and the Daito Islands.
This Agreement shall be ratified and the instruments of ratification shall be exchanged. This Agreement shall enter into force two months after the date of exchange of the instruments of ratification.
IN WITNESS WHEREOF, the undersigned, being duly authorized by their respective Governments, have signed this Agreement.

For Japan : Tennoh Hirohito
For the United States of America: General Headquarters Douglas MacArthur

沖縄返還協定草稿

琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定

日本国及びアメリカ合衆国は、

日本国及びアメリカ合衆国は来る特定の日に、琉球諸島及び大東諸島所謂「沖縄」の地位について検討し、これらの諸島の日本国への早期復帰を達成するための具体的な取極に関して日本国政府及びアメリカ合衆国政府が直ちに協議に入ることに合意し、 両政府がこの協議を行ない、これらの諸島の日本国への復帰が共同声明の基礎の上に行なわれることを再確認したことに留意し、アメリカ合衆国が、琉球諸島及び大東諸島のすべての権利及び利益を日本国のために放棄を完了することを希望することを考慮し、また、日本国が琉球諸島及び大東諸島の領域及び住民に対する行政,立法及び司法上のすべての権利を行使するための完全な機能及び責任を引き受けることを望むことを考慮し、次のとおり協定する。

第1条
1.アメリカ合衆国は,琉球諸島及び大東諸島に関し、すべての権利及び利益を、この協定の効力発生の日から日本国のために放棄する。
日本国は、同日に、これらの諸島の領域及び住民に対する行政、立法及び司法上のすべての権利を行使するための完全な権能及び責任を引き受ける。

この協定の適用上,「琉球諸島及び大東諸島」とは、行政、立法及び法上のすべての権力を行使する権利がアメリカ合衆国に与えられたすべての領土及び領水のうち、そのような権利が奄美群島に関する協定並びに南方諸島及びその他の諸島に関しても適用される。

第2条
1.日本国は、公の秩序又は善良の、風俗に反しない限り、琉球諸島及び大東諸島におけるいずれかの裁判所がこの協定の効力発生の日前にした民事の最終的裁判が有効であることを承認しかつ、その効力を完全に存続させる。
2.日本国は、訴訟当事者の実質的な権利及び地位をいかなる意味においても害することなく、この協定の効力発生の日に琉球諸島及び大東諸島におけるいずれかの裁判所に係属している民事事件について裁判権を引き継ぎ、かつ、引き続き裁判及び執行をする。
3.日本国は、被告人又は被疑者の実質的な権利をいかなる意味においても害することなく、この協定の効力発生の日に琉球諸島及び大東諸島におけるいずれかの裁判所に係属しており又は同日前に手続が開始されていたとしたならば係属していたであろう刑事事件につき,裁判権を引き継ぐものとし、引き続き手続を行ない又は開始することができる。
4.日本国は、琉球諸島及び大東諸島におけるいずれかの裁判所がした刑事の最終的裁判を引き続き執行することができる。

この協定は、批准されなければならず、批准書は、東京で交換されるものとする。この協定は、批准書の交換の日の後2カ月で効力を生ずる。
以上の証拠として、下名は、各自の政府から正当に委任を受けて、この協定に署名する。

日本国のために         天皇 裕仁
アメリカ合衆国のために GHQ 総司令官 ダグラス・マッカーサー』

『閣下は一体なんのためにこんな密命を自分に与えられたんだろう?』
マット・ウェイン軍曹がマッカーサーから草稿の密命を受けた時は、その真意をまったく掴めなかったが、草稿が纏まっていくに連れて、蝋燭の透かしが浮かび上がってくるように、彼の脳裏という白紙の上に表れてくるのであった。
その後、彼の作成した草稿をベースに日本とアメリカとの間で次から次へと新しい締結が為されていくことになる。

1951年9月8日・サンフランシスコ。
日米講和条約締結。
1953年4月2日・東京。
日米友好通商航海条約締結。
1960年1月19日・ワシントン。
日米安全保障条約締結。
1968年4月5日・ワシントン。
奄美群島及びその他の諸島に関する返還協定共同声明。
1969年11月21日。
琉球諸島及び大東諸島(「沖縄」)に関する返還協定共同声明。