第一章  骨肉の兄・弟

正太郎は、日比谷高校の二年生で、東京大学を目指している受験生だ。
父親の宇都宮一郎は、大蔵大臣の大物政治家で、正太郎は一郎の長男として生まれた。
正太郎の下には、正ニ郎という弟がいて、慶応義塾の中等部に通っている。
宇都宮家は、天皇家と大化の改新以来、皇后である天皇の后を昭和天皇まで、綿々と送り続けてきた藤原一族の流れを汲む名門の家柄だ。
一郎は東京大学法学部を卒業して、大蔵省に入省し、最高位の事務次官まで昇りつめ、退官後衆議院議員に初当選したのが三年前のことだった。
代議士としての経験が少ない一郎であったが、大蔵省時代に大物政治家に恩を売り、天皇家の外戚の名門藤原一族の血を引く、エリ−ト中のエリートであったから、一回目の当選で、当時の総理大臣であった中丸真の副官房長官に抜擢された。
そして、明治維新の元勲・大久保利通によって英国と独国を模範にした近代国家建設から、日本を実質支配するエリート官僚の巣窟、大蔵省の大臣になった一郎は、まさに総理大臣にまっしぐらの道を歩んでいた。
正太郎は、一郎を心底尊敬していた。
『親父のような人生を歩んでみたい』という強い想いが、東京大学を目指す結果となり、日比谷高校という日本一を自負する高校に入ったのだ。
一方、正ニ郎は、親の一郎から見ても、『この子は正太郎よりも政治家の素質を具えている』と思わせる片鱗を小さい時から発揮していた。
一郎は、正二郎を政治家にすることを決心して、慶応幼稚舎に入学させたのだ。
親のそんな期待も知らず、正二郎は天真爛漫な中学三年生の青春を満喫していた。
外目には、これほどの選りすぐられた一族は無いと思われていたが、人間社会に生きている生き物は、複雑な精神状態をいつの間にか持つようになるもので、この一家にも、大きな悩みがあった。
その中でも、家長の一郎にとって頭痛の種は、正太郎、正二郎兄弟の不仲であった。
普通の家庭の高校二年と中学三年の兄、弟なら、兄は弟をかばってやり、弟は兄を慕う年頃であるのに、正太郎と正二郎の間には骨肉の憎悪心が既に芽生えていたのだ。
特に、長男である正太郎は利発なだけに、父親の正二郎に対する想いを察知して以来、弟の正二郎に対して対抗心を超えたものを持っていた。
それが、正太郎を日比谷高校に入学させ、東京大学を目指すきっかけとなっていたのだ。
慶応義塾・中等部を卒業する三ヶ月前の年末に、父・一郎に正二郎は、自分の本音を告白した。
「お父さん。僕は慶応の普通部に入学しなくてもいいでしょう?」
何を言っているのか、理解出来なかった一郎が正二郎に訊いた。
「何を言ってるんだ。わしには、お前の言っていることが理解出来ない」
正二郎は、日比谷高校を受験したいと言った。
唖然とした一郎ではあったが、自信満々に話する正二郎に、逞しさを感じた。
その話を一緒に聞いていた、正太郎は顔を真っ赤にして、目は潤んでいた。